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ボンダイ

若者論から国際論まで幅広くテーマに。不寛容より多様性に富んだ世の中の方がいいじゃん!

「図書館無縁層の発生」と言う地方問題

都市部の図書館はみんな「駅前」にある

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 東京都港区の区立図書館の所在地をご存知だろうか。

 みなと図書館をはじめ、三田、赤坂、高輪、麻布、と、みな駅前に立地していることに気づく。近隣住民にとって中心地である場所に図書館はあって当たり前なのだ。

 ちなみに名古屋市港区の「港図書館」も駅直結にあるし、大阪市港区の「港図書館」も駅徒歩すぐにある。

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 そしてそれは首都圏郊外であっても同じだ。

 ここ、湘南にある図書館は、湘南ライフタウンをのぞけばすべてが駅前にあるのだ。ライフタウンの図書館は分館であり、もっと大きな図書館に行きたければ、見切れているが湘南台駅前の総合市民図書館もある。

 

 つまり図書館に行くときは、普通の湘南の常識であれば、公共交通(鉄道・バスなど)か自転車である。そしてそれは、県央でも横浜でも東京でも常識だし、都市部であれば当たり前なのである。すなわち生活導線に図書館が満たされているということはとても大きなことなのだ。

 

「図書館に行くこと」が一苦労な地方都市 f:id:gudachan:20151008185804j:plain

 宮崎県宮崎市は図書館分離型の地方都市の1つだ。

 県庁所在地なので県立図書館と市立図書館の2館が存在するのだが、見てのとおり、どちらも宮崎市街地から離れている。最寄り駅のない陸の孤島だ。ちなみに、事実上の「21世紀の宮崎の中心地」のイオンモールは右端にある。

 おまけに宮崎の住宅街はいわゆる「ドーナツ化」によるニュータウン開発が進んでいるという。市域の外れの高速道路沿い辺りに付随して住宅分譲地が作られており、そこからわざわざクルマを出して図書館に行く必要がある。そのために車を出すのは手間だ。小学生が自転車で3キロ以上も迷子にならずにこいだりすることなんて普通の常識ではありえないことだ。それこそ連れ去り事件の被害に遭うだろう。

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 特にひどいなと思ったのは香川県だ。

 JR高松駅前から県立図書館はなんと7キロくらい離れているのである。しかも高松は田舎にしては珍しく「琴電」と言う私鉄網があるのだが、県立図書館のある場所は琴電の駅すらも遠い。陸の孤島である。高速道路のインターからもちょっと離れている。

 そして、高松は、市街地の外れにあたる東と西に巨大イオンが2本体制で存在している。つまり、高松市の左半分住民は西イオンに集まり、東の住民は東イオンに集まるわけであり、けっきょくのところ市の極北ばかりにすべてが集中するわけである。

 

 もちろん、公民館とかコミセンとかに小さな分館の図書室とかがあったりするんだろう。ただそれにしても「それなりに立派な図書館」と言うものがあるにもかかわらず、それに一切接点がない住民が大量にいると考えた方がいいだろう。

 この手の地方都市の場合、高齢者は日本の昔ながらの良くも悪くも濃い地縁を好むが、50代以下の世代(つまり団塊より若い人)はそういうものと一切無縁なのだ。むしろ大都市部だと、下町みたいな古い住民はそれこそ若者でも濃いし、新住民だってそもそもその街が好きでわざわざ選んでやってきているわけで地域活動も盛んだったりする(東京のローカルのお神輿の熱気はすごいよ!)のだが、なんというかそのへんの大学のぼっち学生がそのまま大人になったり家庭を持ったりしたようなとてつもなく冷めた人が多いのである。すると公民館に行く機会すらもほとんどなく、結果、そういう図書室も他人事になるのだ。

 

 だがそういう図書館無縁層が多い地方都市ほど住んでいる人口規模を考えても、立派過ぎる場合が多い。

 県庁所在地ならば人口20万とか30万でも、県立図書館と市立図書館がそれぞれある。もといろん市域がバカみたいに広いのでレベルの実態は首都圏の同レベル自治体と合致しないとはいえ、どっちも超大型のハコモノで、東京の都心の区立図書館の方がボロボロでせせこましいのだ。でも利用者は当然、都内の図書館の方が多い。それこそ区外、神奈川県や千葉県からの在勤者なんかさえも利用することがあるだろう。これはどうも理不尽だと思わないか。

 

武雄市はもしかしたら「初・図書館体験者」が多かったのではないか

www.sankei.com

 TSUTAYA図書館問題がいろいろ話題を呼んでいるが、武雄市のあの図書館の立地場所を調べたことある人はいるだろうか。

  幹線道路沿いなのである。しかもお隣は「Youme」という九州ローカル版のイオンモールみたいな商業施設だ。

 

 つまり、「イオンモールでショッピング感覚」で、図書館に市民を流入することに成功したのである。彼らはきっと「TSUTAYAでしかもスタバもある」から喜んだのだろう。田舎の人はTSUTAYAに馴染んでいるし、スタバに妙な偏愛を持っているからだ。

 

 だがもしかしたら、それは武雄市民にとっての図書館の初体験だったのではないだろうか。

 ある地方都市では、クルマ社会化が進みすぎて「路線バスの乗り方がわからない市民」が発生していることがわかり、地元のバス会社は市民に路線バスと言うものは何か、何が便利なのか、どうやって乗るのかを教えるような取り組みをすることで経営の建て直しに成功したという。

 地方の人はそれほど「自分が体験しないこと(しなくなったこと)」への不理解が激しいわけである。それが図書館にもあるということだ。

 

 つまり、都市部において図書館の機能をそれなりに知っている人からして、いくら選書がメチャクチャであっても、いくら図書館の本質と矛盾しためちゃくちゃなどがあったとしても、地方の市民たちはそもそも「本来の図書館」を知らないので分かりようがないのである。

 武雄に図書館ができた当時、私はSNSで様子を観察していたが、それを礼賛する人も、批判する人も、みな都市部の肩書きを持った人たちばかりで、それに反応しているのも(おそらくは)大学を出ているであろうリテラシーのある層だった。武雄どころか佐賀県にも無縁だった人たちが、全国初のTSUTAYA図書館として話題にしていたのだ。賑わっていることは分かっても、武雄市民による是・非をどうこう言う投稿はほとんどインターネット空間に乗ることはなかった。

 

 一方、今回の海老名のTSUTAYA図書館がまずかったのは、海老名は何だかんだで首都圏であるということだったからではないかと思う。つまり海老名市民には図書館が何たるかがある程度分かっていて、みんな昔からインターネットにも慣れている。だから、「地元民」がネットで現地レポートを行い、図書館について知りたい地元民がそれを見たりし、あれやこれや盛り上がっている流れができてしまい、結果、既存の「インターネットTSUTAYA図書館監視団」とかとともに大炎上になっちゃったんじゃないかと思う。

 

 

 一連の問題では「図書館無縁層の発生」と言う課題が浮き彫りになったというわけである。

 すると、図書館の質低下と化よりも重大な問題が予測されることになる。それは財政難と利用者減少にともなう「図書館そのものの整理統合」である。安倍自民党が切るのか、維新の橋下さんがボロクソに叩いて切るのか、民主党蓮舫さんが仕分けるのかはわからないが、「人が集まらない公営事業は無駄」と言う流れの行きつく先は図書館削減ではなかろうか。

 TSUTAYA化して賑わえた場合は残し、そうでない場所はいきなり閉じるのは抵抗もあるからと、NPOや財団などを指定管理者とさせといてしばらく様子を見てだんだんと弱らせ提起、それでも改善できないし運営能力がないと見なした場合は切るわけである。

 

 そんな未来になったらヤバいと思うあなたはぜひ図書館を毎日利用しよう。