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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大根仁『バクマン。』

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大根仁バクマン。』を観た。常に話題作を提供する手腕は見事としか言いようがないが、劇場版の『モテキ』にしろ、この監督の作品は映画になるとどうしても粗が目立つ。画面は美術、情報量、役者の演技と、非常に密度は高いが、結局の所のっぺりしている。教室を舞台に3人を配置するならば、サイコーは想いを寄せる亜豆を後ろの席から盗み見るべきだろうし、それを秋人は更にその後ろの席から盗み見ていて欲しい。サイコーと亜豆の交感の場に、校舎の階段を選んだのであれば、その上り下りには意味があって欲しい。映画にしたメリットはどこにあるのだろう。しいて挙げれば”音”か。ペン先の奏でる音の迫力とサカナクションの劇伴のマッチングは素直にかっこいい。


役者に関しては期待していた主演格の佐藤健神木隆之介染谷将太の3人にはどこか漫画的わざとらしさを感じてしまった(特に健くんの童貞演技はわざとらしい)。と言うのも、演じている事を感じさせない山田孝之の存在感がとびきり素晴らしかったからだ。編集者陣の、ノゾエ征爾、岩瀬亮、ヨーロッパ企画といった小劇場ファン垂唾のキャスティングもリアリズム志向にビシっと効いていた。同じく小劇場界のスター岩井秀人だけは編集者でなく担任役。神木隆之介×岩井秀人で『桐嶋、部活やめるってよ』の威光をM劇中漫画「この世は金と知恵」に反映させる意図だったのでしょうか。大根仁のこういう所が嫌いだ。編集長を演じたリリー・フランキーは当然のように巧い。サイコーの叔父川口たろうを演じた宮藤官九郎はこれ以上ないはまり役。唯一の女性キャスト亜豆を演じた小松菜奈の良さはわかりかねたが、染谷将太に似ているという事はわかりました。


原作は愛読していた身だが、誰が出てない、あのシーンがない、ニュアンスが違う、だの野暮な事を言うつもりはない。むしろ、2時間に収める取捨選択の大胆さは見事なものがあった。原作が兼ね備えていた藤子不二雄Aまんが道』のジャンプ版というのを色濃く出していたのもいい。集英社資本でありながら、藤子関連のフィギュアが大量に美術として使用されているのに驚く。テラさんのチューダーとキャベツ炒めなど、どの層に向けた小ネタなのか、という感じもあるが、サイコーと秋人の仕事場がトキワ荘として演出される外からアパートを収めたショットが抜きん出て素晴らしかった。川口たろうの机に飾られている『まんが道』主人公・満賀道男の

ワイの恋人は漫画や

という名言が、原作では最重要人物である亜豆を物語から退場させてしまうのも面白い。EDで流れるサカナクションの主題歌タイトルが、まんが道の全ての始まりである「新宝島」(手塚治虫のデビュー作)なのも憎いぜ。


まんが道』の”ジャンプ版”という事で物語が換骨奪胎されているのは、他ならぬ井上雄彦『SLUM DANK』である。持ち込み原稿が処女作である事を編集者に驚かれるシーンは

高頭監督「バスケ始めてどれくらいだ?」
桜木花道「3ヶ月だよ、文句あんのか?」

だし、後少しで目標に達せそうな所で病欠に倒れるサイコーは試合中に腰を痛める花道だ。

あの子はわずか4ヶ月で異様のほど急速に力をつけてきた
治療やリハビリにもし時間がかかるなら
プレイから長い間離れてしまったら
それが失われていくのもまた早い この4ヶ月がまるで夢だったかのように

という『SLUM DANK』における彩子の台詞が、サイコーを病床から仕事場に向かわせているように思えた。死力を出し切りアンケートで1位を取ったのに、力尽きて連載打ち切りとなってしまうくだりは、湘北vs山王のそれ。最後まで引き延ばされるサイコーとシュージンのタッチは、言わずもがな桜木と流川のそれである。ここらへんはもう巧いと言わざるを得ない。エンドクレジットのアイデアも唸る出来栄え。大根仁には、ここらへんの良さをスクリーンでなくテレビという場で発揮しまくって欲しいのがやはり本音だ。