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日本の宗教は、空洞だから受け入れられてる

社会 ブログ

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honeysuckle.hatenablog.jp

これはあくまで僕の宗教観ですが、イスラム教、キリスト教、仏教には大きな違いがあると思っています。

イスラム教 ~しなくてはならない、という教え

キリスト教 ~しなさい、とう教え

仏教    こう考えたほうが幸せでしょ、という教え

あくまで私的な感覚ですけどね。たとえば死んだらどうなるか、という考え方もそれぞれで面白いんです。

イスラム教 天国か地獄に行きます。

キリスト教 天国か地獄に行きます、生まれ変わりもあります。

仏教 死んだらどうなるかわかりません。だから今が大事です。

そういう根本だからか仏教っていうのは「人の内面に問いかける」事が多いんだと思います。滝に打たれたり、写経したり、座禅を組んだりするのは「自分の内面と向き合ってる」ということですもんね。

まー、そーですねー。
とはいえイスラム教とキリスト教が似てるのは当然なんですよ。
イスラム教はキリスト教の影響下にあるので。

以下、ちょっと思い出したことをつらつら書く雑記。
ほぼ記憶で書くんで、適当でこれもバズりませんよ。

【ザッピング用 目次】




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新興宗教キリスト教

http://www.flickr.com/photos/22993384@N00/228000463
photo by ingirogiro

原始キリスト教がローマ帝国で広まったのが始まり。
イスラム教は預言者ムハンマドが創始者。

今は世界中に広がっているイスラムですが、生まれたのは7世紀のアラビア半島です。

 当時のアラビア半島の人々はどんな暮らしをしていたのか。
 アラビア半島の住民はアラブ人が大多数です。セム語系の人たちです。
 当時かれらは国家をつくっていません。民族としても全然まとまっていません。部族単位の暮らしをしていた。

 暮らし方も多様でした。ラクダの遊牧民、小規模農業、隊商貿易などです。アラビア半島の西側、紅海に面した方ですが、ここはインド洋と地中海を結ぶ交易ルートになっていて隊商貿易の商人たちが都市をつくっていた。

 宗教は多神教でした。土着の神様をそれぞれ信仰していたようです。また、ユダヤ教やキリスト教も商人によって伝えられていた。

 このアラビア半島にメッカという町がある。隊商貿易で栄えていた町で、住民も商人が多い。この町で生まれたムハンマド(570?~632)がイスラム教をつくるのです。
第43回 イスラム教の成立

現地に伝わっていたキリスト教などの影響を受けて預言者ムハンマドが作り出した一神教がイスラム教。
キリスト教も一神教。
多神教は、ギリシャ神話や仏教、神道などありますが。

本来的に土着の信仰を考えると、日本は神道なんだろうけれど(仏教は輸入品ですから)いわゆる神仏習合と明治の廃仏毀釈の歴史があって、日本における現代の宗教観というのは混濁してしまった事情があるようにも思う。
神道は、天皇を天津神の子孫とする神話だったのだけれどいわゆる八百万の神々(多神教)だったものですから、仏教という輸入品も受け入れその中に混ぜ込んでしまった。
しかし明治期に政府は、神道を国家宗教(国家神道)にしようと廃仏毀釈をやろうとした歴史がある。
神道を正当にしようとすれば、当然ながら仏教が邪魔になりますからね。
政治的理由で、このときにいろんな仏教施設がぶち壊された。

しかし仏教は結果的に生き残った。
どころか今や神道も仏教も山岳信仰もすべてがゴチャゴチャになったまま、さらには海外からキリスト教まで入ってきて、最近ではイスラム教に感化されたりする日本人まで出てきたりするんだから。
菅原道真とか「死んだ人を神として奉る」なんて発想は、実に神道的だけど違和感感じないもの。
念仏ってのは仏教ですから、念仏で霊を追い払えるなら地縛霊ってのは仏教のカテゴリとか?
心霊番組で神主が来るパターンは、あんまり見ない。
でもお清めの塩ってのは神道がルーツのはずなんすねー。

どこでも文化ってのは、都合のいい形に土着文化と混ざりますが(カーゴ信仰とか)日本ほどサクサク受け入れちゃうのも珍しい。
なんといいますかね。

天国と地獄

http://www.flickr.com/photos/22490717@N02/15806772322
photo by archer10 (Dennis) (55M Views)

たとえばリンク先の方の言う

イスラム教 天国か地獄に行きます。
キリスト教 天国か地獄に行きます、生まれ変わりもあります。
仏教 死んだらどうなるかわかりません。だから今が大事です。

これですけど「あれ?仏教って地獄あったよな?」と思う人もいると思うんですが、六道輪廻の教えの中に天国も地獄も存在してる。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道で六道。
スロットで言えば天国は1/6、人間も1/6。
4/6はバトリ続ける修羅の国か、牛や豚か地獄かっていう部の悪いスロット。

どちらかといえば「死んだらどうなるかわかりません」というのは神道の教えの方が近い。
神道では、死んだら→神ですから。
仏教は宗派によって違いますが、禅宗では解脱しない限りは輪廻転生、解脱すれば輪廻からドロップアウトできる。
仏陀は最初にドロップアウトしたからこそ「あいつパねぇ!」と言われ偉い。

ミックスジュース

http://www.flickr.com/photos/71453924@N00/14063624317
photo by Nemo's great uncle

ウチは京都出身なんで。
道路の脇に地蔵が立ってたりして、おはぎをお供えしたりするんだけど地蔵ってのは地蔵菩薩、あるいは道祖神信仰や民間信仰に基づく名もなき八百万の神の一神。
庚申塔ってのがありますが、あれは中国からやってみた道教。
んで、お賽銭をあげたり夏祭りは下御霊神社なんで神道。
山から降りてきた托鉢僧におばあちゃんなんかが物を渡したりしてて、それは禅宗。
んで、クリスマスプレゼントももらう。

一つところにいてもいろんな宗教がごっちゃになってんすよねー。
この辺、ルーツで見ると民俗学ってのは面白い。

妖怪なんかでは、神が格落ちした例もある。
付喪神(九十九神)と言われるくらい、存在するあらゆる物には霊性があるわけです。

科学と宗教

新興宗教オモイデ教 (角川文庫)

んでまぁ、今の仏教とかの理解はよほど調べたり興味がない限りはそんなに詳しくもない。
それはそれでいい。
今の文明ってのはそういうもの。

それっぽくいい感じの精神論をいいように利用すればそれでいい。
宗教ってのも、精神的安定化ツールなんで。

宗教は、必要とされる時だけ必要とされる。
だから初詣とか受験とか、そういうときだけ寺社仏閣に行ってお祈りする。
かつては科学がなかったから、その代わりに神や仏が必要だった。
しかし科学が取って代わり、情報ネットワークが発達し、さまざまな暗闇が取り除かれ、神や仏は単なる必要なときに頼れる概念になった。
科学は、神や仏の多くを殺したけれど駆逐するほどの力はなかった。

日本において神道も仏教も「ザックリおいしいとこどり」になったのは(以前どこかにも書いたのだけど)参照アーカイヴになり得る聖書みたいな物がないからなんですよね。
キリスト教は、誰でも大昔に書かれた聖書で「正しい教え」を学べる。
しかし仏教や神道は神主や僧侶が催事のときに念仏を唱えたりするくらいのもので皆に「崇めなさい」とは言わない。
だからこそ「なんとなく」広まってるが正しい教えを知らない。
念仏っていっても大抵「なんまいだ〜」くらいのもの。
自分は「般若心経と寿限無が好きな中学生」でしたが、見回してもそんな人はいなかった。


宗教に対する無知を利用する詐欺師みたいな連中もいますけども。
そういう詐欺師には、系統だった宗教の歴史を知れば色々と見える物があると思う。
どれも大概、これまでの宗教をくっつけたセミスクラッチのハンパな教えだから、知識として知っていれば「あれ?これって○○教のアレじゃね?」と気づいたりもできるはずなんですがね。

最後に 空洞の国 日本

面白いのは、日本って国はなんでもかんでも中身がない方が受け入れられやすい印象がある。

宗教にしろ「本気で仏様を信仰してる」のではなく「お正月なんだし初詣くらいいっとくか」「合格したいからお参りに行こう」みたいなものだからこそ受け入れられてる。
これが「お布施しなさい」「崇めなさい」だったら受け入れられない。
毎週教会に行くとか、メッカの方にお祈りするとか、断食しなきゃあいけないとか。

信仰したい時だけ信仰していい。
空洞を好む国、スタイルだけ、表面上の神聖こそ日本的。

現代の仏教・神道の信仰って、実に日本的だし、科学文明な現代的だなと思うんですよねー。
とはいえ宗教的知識の弱さが、安易に自己啓発や新興宗教に繋がってしまうのがなぁ……。

そういえば「日本的アイドル」「日本的恋愛ドラマ」ってのも実に中身がない。

(ももクロ 24時間 Uストアーカイヴ映像を観ながら)

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