リバーフェニックスは1993年の深夜に、命を落としたらしい。
クラブで友人らと機嫌良く飲んでいた彼は、しかし突然、喘ぎ出し、よろけながらも店を出た。そこで卒倒、意識不明のままで病院に運ばれた。
手を尽くしたが五十分後に死亡が確認されて、二十三歳の若さで人生を閉じた。
遺体からは致死量のドラッグが、検出されたと言われている。故に彼の死因は麻薬の過剰摂取による、事故死という診断がなされたそうである。
けれども私の友人は、違うと言って利かなかった。
リバーフェニックスは生粋のベジタリアンであったらしく、動物性のものは一切、口にしなかった。だから麻薬など、常用するはずがない。何らかの事情があって暗殺されたのではないか、そんな物騒なことまで言い出したのである。
私には見たまま聞いたままを信じるだけの素直さが、欠けている。ベジタリアンだから余計に怪しいと考えた。黒いからこそ白く塗って、黒い部分を隠す必要がある。赤いから青で染める。
ドラッグをするためにベジタリアンを装った。
自分以外のすべてを疑うほうがずっと気が楽で、人を騙す前には必ず相手の信用を得る、それが他人を欺く手段になり得ると、私は今でも確信している。
いつの間にか私も、リバーフェニックスの生い立ちについて、興味をそそられていた。
他人の人生など、聞きたくも知りたくもなかったのに、たった二十三年間の苦しみなど分かりたくもなかったのに、それなのに私は無理やり聞かされて、いつものように想像しながら予測して、最後まで結論を求めてたった独りで道に迷っている。
私の脳裏には別のイメージが広がっていた。友人の話を聞きながら、違った世界を見せられていた。
暗いテントの中だ。うつろな空間では、ろうそくの炎だけが、呼吸しているかのように錯覚した。
そんな場所で大勢の子どもたちがひっそりと、それでいて懸命に身の置き場を探している。
少年や少女たちには選ぶ権利は与えられていなかった。ちょうど生まれてくるときがそうだったように、あるがままを受け入れるだけの、短い猶予があるだけだ。
子どもたちの中には、友人が話したリバーフェニックスの姿もある。
幼いころのリバーフェニックスは良い悪い、する、しないまでも親から強制された。しかもリバーフェニックスの両親はカルト教団へ入信し、教団では大人はおろか、子供に対してまでもセックスを奨励していた。
空腹を訴える子どもたちはわずかな食事と共に、残りの欲望を別の対象へ向けるように強いられたのだ。
教団に所属していた幼児同士もまた、互いを相手にしてセックスをしたのではないか、リバーフェニックスが亡くなった当時、憶測を呼んだ記事が数多く出て、興味本位の大衆は彼の人生までを、断定的に扱った。
リバーフェニックス自身もそういった儀式に参加した経験があることを、どうやら認めていたらしい。
そのうち友人は本棚から、別の雑誌を引っ張り出してくる。インタビュアーの質問に対して、リバーフェニックス本人が答えたらしい記事について語り出した。
自分の私生活について尋ねられたときには、いつもいい加減に答えるだけさ、どうしてもそうしたくなるんだ。インタビューの中でリバーフェニックスはごく平然と、自らの過去について語っている。
それを聞いた私は考えて迷ってまた考え抜いて、私だけの予想を密かに立てた。
全てが嘘だ。四歳で覚えたセックスも、カルト教団での暮らしも、それからおそらくは両親でさえも、全部が全部、嘘に違いない。
本当のことは決して話さない。話したくない。ひょっとしたら、話せないのかもしれない。
どれほど説明を繰り返したとしても、同じ場所で巣食う者にしか分からない事実がある。決して他人は他人を理解できないし、わかり得ないし、分かって貰えるはずなどない。私のことも私がやったことも、それから私が味わってきたことについても、やはり同じである。
友人の話が一段落すると、彼は私を抱きすくめて、唇を吸った。
床に倒して伸し掛かってくる。私は抵抗をしなかったが、泣く、ふりをした。私の様子に驚いた友人は、ごくあっさりと自分を恥じて身を引いた。
彼とのセックスが泣くほどいやだったわけではない。セックスというものは私にとって、リバーフェニックスが味わったかもしれない、四歳のそれと何ら変わりがない。しかも私にしたって、私を求められる以上に、相手を必要だと感じる気持ちもある。
断じて言うが、私は彼が嫌いだったわけではないし、行為をやめなければおそらく、気が済むように従ったはずだ。
ところが私はいつもの嘘で、すべてを台無しにした。けれどもそれをいくら悔やんだところで、徒労に終わる。あのときの私が体を開こうが、泣き叫んであの男を拒否して詰ろうが、今さらそのことには何の意味もない。
物事は始めから終わりに至るまで全部、記憶されている。
ただし拒否するチャンスが許されているのは、始まりの一瞬だけだ。時機を逸した決断には、どんな救済も哀れみも間に合うことがなくて、それを認めるのはとても辛くて、だけどどうしようもなくて、私はただ、脳裏に浮かぶ風景だけに愛着を持った。
隣には友人がいて、映画のエンディングに流れた曲がリピートしながら、際限なく鼓膜を揺らしている。
そばにいて欲しい、歌詞とダブって、別の世界がモニターの中で蘇っていた。
薄汚れたTシャツを着た主人公が笑っている。悲しそうに主張するときでさえも、彼には彼にしか分からない事実がある。嘘にしたって腐るほどあったはずだ。それどころか他人を欺くことでさえも、どんな人間にも容易いのだと私には分かっている。
記憶の中の私はシャツを乱して、床に寝かされている。繰り返し鳴り続けるあの曲が、決して終わらないで欲しいとささやかに願っていた。
私は他人の辛さに気づかぬほどに幼稚であったから、自分の苦悩にしてもやはり目を背け、友人に対しても重大な嘘を何度もついた。
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