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日本人の紅林麻雄化と間違った正義感

ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠
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Phenomenon 今回は正しかったからいいっていう観点でしか見れてない人が半数くらい。コントロール出来ない上に国家プロジェクトに影響を与えるくらいでかい権力が行使されているコワイっていうSF話なのに。

hungout id:Phenomenon正しくないケースでもこうなるかもしれないという妄想はありえない。正しくなければここまで盛り上がらず終わる。自分は正義の元にやってるという大義名分があるから騒げる。


なんというか、正義というのは固定された共通の認識であるという思い込みがある人が多い気がする。
人間の正義感なんて全く当てにならないというのは「愛国」という正義を掲げている連中の行動を見ればわかりそうなもんだが。


今回の件でも著作権的には白なのか黒なのかはっきりしていないわけで、そんな曖昧な状態なものを叩き潰して「我々が正しかった!」みたいなこと言ってるの本当に馬鹿だなと思ってしまうわけで。
これが例えば殺人事件の容疑者だとしたら、「お前は過去にも犯罪を犯しているから今回の件もお前がやったに違いない!」と周りが騒ぎたて、容疑者を精神的に追い詰め、最終的に本人が否認しているにもかかわらず犯人に仕立て上げて「我々の勝利だ」と喜んでるという話で。


紅林麻雄という刑事がいまして。
紅林麻雄 - Wikipedia
彼は自分の思い通りのシナリオを作るために拷問を行い、証拠をでっち上げ、屁理屈を言い、いくつもの冤罪を作り出してきた。
今回の件も拷問(メールボムやプライバシーの侵害など)、証拠のでっち上げ(大量のデマ)、屁理屈(我々は納税しているから関係者だ、仲間が審査している時点で問題なのだから叩いても良い等)を行い、冤罪とは言わないまでもそれに近いものを作り出した。
こんなのがまかり通るのはおかしいと普通は思うわけだけど、どうもこの国ではそうではないらしい。


本当に勝利宣言を出したいのなら裁判で白黒つけさせてその結果パクリであると認定されるくらいじゃないとダメだろ。
本人に認めさせるというのは疑惑の最初期では有効だったかもしれないけど、現状では精神的苦痛を過剰なまでに与えているのでもはや意味を成さない。
嫌がらせから解放されるために認めたということになりかねないからな。


そもそもエンブレムを取り下げさせることが勝利条件という時点でおかしい訳で。
目的と手段が完全に逆転している。
パクリではないものを取り下げさせて勝利というのはもう正義でも何でもなく、ただ自分が気に入らないから取り下げさせてるだけと言われても仕方がない。
紅林麻雄も「事件を解決する」という目的と「犯人を見つける」という手段が逆転してしまったために冤罪を次々発生させ、多くの罪のない人を苦しめた。


こう書くと「我々は罪のある人間だけを選んで叩いているのだから正義である」という反論をする人間が出てくるのは想像に難くない。
もちろんそれは間違いで、今までも全く罪のない人や物がデマによって叩かれるという事例が多数発生してるのは御存知の通り。
さらに言うと仮にその人や物に罪があったとしても、やってはいけないことを平気でやってる時点でそれはもう間違いだ。
部外者が違法行為やそれに類する行為で相手に罪を認めさせてもそれはただの憂さ晴らしや快楽行為であって正義とは程遠いものだ。
本当の正義ならそんなことをしなくても間違った相手の行為を正すことができるはずだ。
できないのはそれが正義ではないからではないのか?


ということを何度言っても「お前も同類だろwww」と言われるだけなのでそろそろこういうこと言うのやめようかと思っている。
デマを何度指摘しても「だけど悪いのは向こうだしwww」と言ってくる馬鹿があまりにも多くて検証するのが馬鹿らしくなったのと同じ感覚。
もうお前らには何の期待もしねえよ。


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