任天堂岩田社長 伝説のスピーチ「ゲーマーのこころ」 -
01 ゲーム開発者としての原点
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2005年3月7日
Game Developers Conference(GDC) 2005
任天堂岩田社長 基調講演より
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岩田社長
ご紹介どうもありがとう、Jamil。
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岩田社長
私の名刺には社長と書いてありますが
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岩田社長
頭の中は、ゲーム開発者です。
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岩田社長
そして
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岩田社長
心の中はゲーマーなのです。
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岩田社長
今日はゲーマーとしての私、
ゲーム開発者としての私から仕事、
そして社長としての私から業界について話そうと思います。
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岩田社長
私が最初に遊んだゲーム
それは『ポン』でした。
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※ポン(PONG)は、アタリ社が1972年に発売し、
世界で初めてヒットした卓球ゲーム。
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岩田社長
そのとき私は高校生で、初期のヒューレットパッカードのポケット電卓を買った最初の一人でした。
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岩田社長
これが私のゲーム開発の原点かもしれません。
ほとんどの人は計算機として使っていましたが、私はゲームプログラミングに使っていました。
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岩田社長
私が最初に作ったのは野球ゲームでした。
誰もそのゲームのグラフィックが悪いなんてことは言えません。
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岩田社長
なぜなら、
そのゲームにはグラフィックが無かったからです……!
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岩田社長
このゲームは数字で表現されているだけの物でした。
しかし友人たちはそのゲームを楽しんでいました。
その光景はとても誇らしい瞬間で、私の情熱のエネルギー源でした。
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岩田社長
ゲームへの情熱はどんどん膨らんでいき、私の進路は決まっていきました。
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岩田社長
1978年、私は東京工業大学に入学しました。
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そこでゲームのプログラムを学びたいと思っていましたが、(当時は)誰もゲームプログラミング教えてはいませんでした。
そこで私はエンジニアリングとコンピューターサイエンスを学ぶことにしました。
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岩田社長
授業の後、友人達が家で勉強している頃、私はバイクに乗ってあるお店に通い詰めていました。
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岩田社長
そこは日本で最初のPCを売る店で、そこに私は住んでるかのように入り浸っていました。
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岩田社長
また、そこにいたのは私一人ではなく、私以外にも初期のコンピューターを見つめながら、私と同じ様に「どうすればこれでゲームが遊べるのか」ということを考えている人たちがいました。
私達はすぐに友達になり、秋葉原にアパートを借り、そこでゲームを作り始めたのです。
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岩田社長
私達仲間が毎日真夜中までゲームを作り続けたグループは今、HAL研究所と呼ばれる会社になりました。
名前は「2001年宇宙の旅」に登場するコンピューター「HAL」 から取りました。
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岩田社長
その名前はとてもクールだと思いましたよ。
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岩田社長
ちなみに、これがその頃の私です
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岩田社長
他のゲーム開発者のように、クールな風貌だとは思いませんか?
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岩田社長
どうやったのかもう忘れてしまいましたが、私はなんとか勉強をこなして大学から卒業しました。
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岩田社長
私は同級生の中でも”最も小さな会社”に就職しました。5人しかいないHAL研究所です。
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岩田社長
父にそのことを告げたときが、家族にとって最悪な瞬間だったことは……容易に想像できるでしょう
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岩田社長
時々、私がHAL研究所で働いていた時はどんな事をしていたのかと尋ねられます。
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岩田社長
私はプログラマーであり、
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岩田社長
そしてエンジニアであり
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岩田社長
デザイナーでもあり
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岩田社長
食料調達
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岩田社長
掃除も
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岩田社長
全部自分でやりました。
それら全ては私にとって楽しい仕事でした。
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でも、HAL研究所に訪れた最も大きな出来事は
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任天堂が素晴らしいグラフィックのマシン、ファミコン
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米国ではNESと呼ばれているもの、を開発しているという噂を聞いたときです。
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ファミコンこそ私達の為のマシンだと思った私達はあらゆる手段を使って任天堂に連絡を取りました。
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岩田社長
そして、私達の出したアイデアの1つはすぐに受け入れられ、私達は任天堂に雇われる事になります。
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岩田社長
しかし、任天堂に私達に別のプロジェクトを修正するように言われ、元の持ち込んだゲームのスケジュールは遅れました。
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私達が一から作るのではなく、修正したそのゲームは『ピンボール』として発売されました。
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この経験はアーティストであってもゲームビジネスの側面を知らなければならないということを教えてくれました。
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結局そのまま元のゲームを出したとしても、大して売れなかったでしょうけどね。
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また別の面でも勉強になりました。
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今の標準から考えるとファミコンのグラフィックはとても貧弱だったので、私達はどうやったらプレイヤーの想像性を掻き立ててそれを補うかどうか考えるようになりました。
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岩田社長
今も、自分達のゲームがグラフィックの面で余り良く見せることができず、どうしたら良いかと悩むと時はこの時のことを考えるようにします。
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岩田社長
私達の仕事は任天堂と緊密な関係を作るのに十分すぎる物でしたね。
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HAL研究所が生み出した幾つかの初期フランチャイズは、他の面でも勉強になりました。
『星のカービィ』の第一作
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この作品は私達にチームワークの価値を教えてくれました。
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誰もが(マリオの)宮本氏になれるわけではありません。
私達はチームの何人かによって生み出され、お互いに高めていくアイデアは、一人の人間が生み出したものを超えるということを知りました。
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縁があって、私達は日本の有名なクリエイターで、ゲーマーとしても知られていた糸井重里氏と共にゲーム開発をしました。
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岩田社長
氏にとっては初めてとなるそのシリーズは
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日本では『MOTHER』、ここアメリカでは『Earthbound』と呼ばれています。
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私達は様々なアイデアが相互作用を起こせば更に魅力的なものになるということが分かりました。
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岩田社長
長い年月と幾つものプロジェクトが過ぎていき、私は任天堂の社員として働くことになりました。
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岩田社長
そして今から3年ほど前に、山内氏から私に社長として自分の後を継ぐように伝えられます。
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岩田社長
もちろんとても光栄なことでしたが、大変な挑戦でもあります。
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岩田社長
私は多くの時間を費やし、大変な責任を背負わなくてはならないことでしょう。
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岩田社長
しかし幸いにも……
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岩田社長
ゲーム開発者は逆境には慣れっこなんです。
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つづく
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https://www.youtube.com/watch?v=w9HUMt2rrOI
より書き起こし
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