広瀬すずさんのスタッフdisコメ炎上騒動に感じたこと。
こちらの記事読みましたー。
広瀬すずさんが「スタッフをdisった」とされている件について - いつか電池がきれるまで
経緯についてはこちらが詳しく。
誕生日の広瀬すず、番組中の発言に謝罪&祝福に感謝 - 芸能 : 日刊スポーツ
くだんの映像も見たし、関連情報についてネットニュースやブログを読んで、普段触らない時事ですが書き残したくなったのでふわっと書きます。
最初の印象は「燃えそうだなー」「幼いなー」でした。
テロップも含めネットで拡散しやすい形に映像が作られていて、それが編集されずに世に出るということは、それなりの悪意があるように感じました。軽率さの範囲にするには、このSNSのご時世でそれこそ16歳の少女に対する配慮が足りない気がします。
そして、若いというより幼い。映画「海街diary」見たばかりというのも一因かもしれないですが、その印象が強い。天使みたくに可愛いですよね広瀬すずさん。先に映画「縫い裁つ人」で中谷美紀さんの歳を重ねた美しさに当てられてなかったら、メロメロに溶けてたと思います。可愛いものなんでも好き!
海街diary 1 蝉時雨のやむ頃 (flowers コミックス)
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話逸れそうなので戻すと、目の前で一緒に仕事している人に対しての感想を、わからない世界、に置いて話してしまうのって、若さというより幼さだなーと。
それで一呼吸遅れて感じたのが、一緒に仕事している人たちを前に「わからない世界だから興味があります」と話して、それをテレビの電波に乗せてしまう、テレビという世界の面白さです。
学生時代照明に憧れた少女の話。
ブログで何度か書いてますが、兼部時期挟みつつも小学生から演劇をやってて、ずっと照明班志望だったんですね。演劇ってどこも人不足の機材不足で、まともに照明班名乗れたのは高校になってからなので照明班暦的にはとても短いのですけれど。
なぜ照明班志望だったかといえば、幼い頃に親に連れられてみたミュージカルの影響が大きかった気がするし、それをきっかけに触らせてもらった配電盤や機材のメカ感に昂ったからかもしれないし、単純に、舞台を始めるのも切り替えるのも終えるのも照明の指先ひとつという全能感に酔ったのかもしれない。その総合結果だと思います。
でも照明だけいても舞台が成り立たないのはわかるんですね。だから文句もいわずに足りない役者を補っていたし、「この人滑舌悪いなぁ」「なんでこの見た目で主人公にやりたがるんだろう?」と密かに思ったことがないわけでもありません。それも中学時代までですが。
誰が欠けても困るけど、誰にだって代わりがいる世界。
id:fujiponさんが、部活のプレーヤーとマネージャーの例を出してますが、自分は演劇を、役者を支えるというより「舞台を支えたい」という思いでやってました。役者は同じ舞台を構成する一員ですねー。システムの構成要素同士で、主従関係はないかも。だって、どちらがいても成立しないので。
人がいなくて役者やらされた中学時代の舞台だって、頭下げてOBに照明やってもらえるよう頼み込みにいかなきゃ体裁の整った舞台は無理でしたし。割と演劇においては、役者と裏方と呼ばれる人たちって同じ世界の中でそれぞれの役割を演じていで、誰が欠けても成立しない、そういう世界だった印象です。
すみません間違えました。「誰が欠けても成立しないけれど、誰にだって代わりがいる」世界です。恋愛のゴタゴタで主役の片方が欠けた時も一週間で後任は見つかって舞台成り立ちました。演出とのトラブルで音響が降りた時も、他の大学の音響オペできる人にお金払ってきてもらえたのです。
役者とスタッフが「別世界」に見えるテレビ。
でも多分テレビと演劇だと感覚が違うんですよねー。だって演劇は割とそれにかかりっきりになって、それだけのために長い時間を費やしますけれど。テレビの世界って時間と才能を切り張りして役者や裏方(というか「スタッフ」呼びかなー)がパッチワーク式に作っていくやり方なのは想像つきますし。
そうなってしまえば役者とスタッフの距離というか世界は離れて「なんで別世界のあの人たちはそれをしてるのだろう」と他人事になりそう。そうじゃない人もいると思いますが。
というか、大学時代。演劇でもそういう「役者」と「裏方」は別、て考える人がいて「よく照明専門やりますねー」といわれたことがあるので、どこにでも思う人はいるんでしょう。世界を断絶させればその分「何かの幅」みたいなものが狭くなっていく気がするのですけれど。
可愛さがあればあとは別に必要ないよね!
まぁ誰にだって代わりがいるので、より才能がある人が残るんだと思います。今回の場合、可愛いは正義だし、それ以上思うことはないのですけれど。可愛いが消費され尽くした後に何が残るかとかは、「可愛いからいいじゃん」という人たちと同じであまり興味ありません。 世にこれを出した人もそうだったのかなー。
一方で、そういう断絶した世界を作らずに、ちゃんと世界の構成要素としてお互い知り合って一つの何かが作れるようになると「また一緒に仕事したいなぁ」となるんですよねきっと。少なくとも自分はそうだった。
たった一つの才能の一点突破と、チーム戦で戦った時って、スポーツにおいてはどちらが強いんですかね?でも才能が集まってのチーム戦もありえるからこの仮定は意味ないなー。
そんなわけで広瀬すずさんのスタッフdisコメ炎上騒動について思ったのは、テレビの人たちの関係性って面白いなー、でした。そこにあるバファリン的優しさというか、思いやり成分て何%くらいなのかしら。