2015-06-03
フェミ叩き厨の姑根性
先日弱者男性関連のエントリーを上げた。わたしの結論は経済的、肉体的、また知的能力の点で困窮状態にある男性を女性だけで助けるのは難しいので、男性の協力が必要だと思う、ということだった。
わたしの書き方が誤読を誘うものだったのかもしれないけれど(長いから最後まで読んでない人もいたと思う)、あの話を「男は困ったら福祉に頼れ」という話だと受け止めた人が少なからずいた。そして「フェミは自分たちを助けろと言いながら男を助ける気がない」という趣旨のことを、ブクマや増田でわめいていた。
わたしは17歳で親元を離れて自活し始めた。世間も知らず、体力もあまりなく、経済的にも、いま振り返れば何度かひどい困窮状態に陥ったけれど、そこで何度も助けてくれたのは公的制度や福祉ではなく、身近なコミュニティにいた人たちだった。
だから大人になったいま、自分を助けてくれたような大人になりたいと思う。もちろんその人たちはわたしの人生を完璧に救ってくれたわけじゃなかった。だからわたしも完璧に助けられないからと尻込みしないでいたいと思う。
そこで助けてくれた大人や子供の中には男性も女性もいた。ただ、女性の方がより身体に近い親密なケアをしてくれたし、わたしもそれを受け入れることが出来た。同じことを男性からしてもうらうのは社会的に問題があり、実際迂闊にそれを受け入れてかえって大事になったこともあった。
さて、フェミ叩き厨のみなさんは、どうしてこういう真面目で切実な話にもフェミガーフェミガーをねじこんでくるのでしょうか。人がみな老いていき、病に倒れ、職を失う可能性がないとはいえないこの世の中で「それは性差と関係ない福祉の問題」と切って捨て、他人事にしておける人がどれほどいらっしゃるでしょう。明日は我が身ではないのでしょうか。
ここでこじれたら後々自分が困るのに、相手が既婚女性と見るとダラ主婦だとか夫を搾取しているとか騒ぐ。子供を産むことを躊躇する、あるいは望まないと言う女性に群がっては口を極めて叩く。少女や乙女を見ると自分の理想像に沿って成長するよう圧力をかける。それらを一人で表立ってはやらず、人目につかないところでネチネチやったり、同好の仲間と集団でやる。
おや!これは、家庭版のまとめなどでよく目にする悪い姑像そのままじゃないですか。どうして似てくるのかしら?
嫁から姑へのクラスチェンジ
家族や親戚の女性が徐々に年老いていく経過を目にする機会がある。女性作家も初期の作品から高齢になってからのエッセイなど順を追って読むと作風の変化がわかる。
見ていると、若い頃はむしろ「女性はけして男性に劣った存在ではない、自由に羽ばたいていくべきだ」と唱えていたような人が、長ずるにつれ「いまの女性はなっていない」「妻とはこうあるべきだ」とぐちぐち言っていたりして、驚く。佐藤愛子とか。
中には「おまえもやってなかっただろ!」ということを妻の、また母の条件としてあげ、「出来ていない、旦那さんが可哀そうだ」と大真面目に言いだす人もいる。*1
身近で見てきた範囲では、こういう女性はだいたい現在夫と上手くいっていないか、夫がいない。そして息子が妻を迎えたとき「自分はよくいる姑のようなタイプじゃない」と鷹揚な気持ちで、寛大に嫁を迎える気持ちでいる。「姑だからって怖がることはないのよ。ベタベタする気もないからね!」
しかし嫁に来た方は、そもそも嫁に来たと思ってすらいないこともある。「夫の身内か。平和につきあえたらな」くらいの認識である。家事育児を指南してもらおうとも思っていない。
前提の違い
新入社員であれ、転校生であれ、ニューカマーを無意識に下に見ている人はいる。ある種の職業や成育環境に優越感を感じている人もいる。そういう人は上から下にかがみこむ気持ちで隣に並んでやった相手が、自分に対等に接して来ると尊厳を傷つけられたように感じる。
昔、白人男性が奨学金欲しさに、黒人のふりをして大学に入る映画があった。彼は「私は黒人のあなたに差別心なんかまったくないのよ!」と非常に恩着せがましくアピールしてくる女性に困惑する。彼女は差別心のない自分を印象付けようと彼を家に招待し、家族に紹介して食事をふるまい、総仕上げとしてベッドに誘う。彼にも選ぶ権利があるとは考えもせずに。
「私は嫁いびりなんかしない」と誇らしげに宣言していた女性たちを見ているとこの白人女性を思い出す。その言葉には「自分は姑であり、あなたが仕えるべき夫の母親であり、敬われるべき年長者で、あなたはこの家庭に後から入ってくるよそ者だけど」という前置きがあるのだと思う。
フェミ叩き厨のみなさんがこのような姑に似てくるのは「自分は男であり、女が仕えるべき夫と同様の立場であり、生まれたときから女より優れた力と能力を持った性で、女はこの社会で生かしてもらっている立場なのに」という前提が根底にあるからじゃないかと思う。
フェミ叩き厨のみなさんの中には「女に暴力を振るったこともない」とこぼす方がよくいる。「フェミニズムを真に受けてきたがモテなかった」というtogetterが少し前に話題になった。これは「一生懸命家族に仕えてきた」とこぼす姑と似ているように思う。役割をきちんと果たせば当然のこととして敬意や好意を得られるはずだ、という理屈だ。
言うまでもなく姑になった女性がみなこうなるわけではなく、舅になった男性がこのような傾向を免れているわけでもない。小姑小舅についても同様である。*2 *3
ただ、それまで嫁として立場が弱かった女性が、自分より立場が弱い者を得たと思うことではっちゃけてしまうように、男性社会で立場が弱い男性は自分より下にいるはずと考える女性にある種の期待をして、それが叶えられないことで鬼姑化してしまうのだとしたら、そこには相通じるものがあると思う。
嫁姑関係で苦労した女性がその関係に固執するのは傍から見ているとおかしな感じがする。また男性社会の構造で苦労した男性が、その構造に疑問を投げかける女性に喰ってかかるのも変だなーと思う。でもそこには「そんなことが認められるなら自分の苦労はなんだったんだ」というやりきれない怒りがあるのかもしれない。*4
ピラミッドを作った側に手が出せないから、下にいると思ってる相手に鞭をふるっているんだろうけど、そういうのを情状酌量してもらえると期待するのは間違ってるよ。
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