本棚の大きさ
鎌倉にて
本棚の整理をしております。
「本棚ってすげえ!」
「あれだけ散らかっている本がこんなにコンパクトにまとまるなんて!」
「奇跡だ!」
とか言いながら整理してるんですがいっこうに片づく気配はないばかりか次第に心臓がバクバクいってきて考えがまとまらず顔は紅潮しそのうえ自分の周りがビールの缶だらけになっているのです。なにかへんな病気じゃないとよいのですが。
まじめな話はこのへんにして、本棚をじっとみつめていて気づかされるのは、
「ここには何かが欠けている」
ということです。
むかし作家の本棚の写真をまとめた書籍やムックがいくつも発売されていましたよね。あれってつまり人の脳みその中をのぞくような楽しみとして企画されたものですよね。
僕自身も人の本棚をじろじろと見つめるのは大好きで、人の家にいくとすすめられた椅子にも座らずに本棚の前に胡座をかいたり寝ころんだりして、その本棚小宇宙を見つめていると周りがビールの缶だらけになっているのです。なにかの呪いでしょうか?
しかし自分の本棚をながめてしみじみと思うのは仕事がしたくないなあ鰻丼が食いたいなあできれば人の金でということなのですがそれは今は関係ないのでちがうことを考えるならばこの本棚はオレの脳の中身とはものすごく関係ないな! これがオレの考えてることだと思われたら心外だ帰らせてもらいます、みたいなことです。
だってここにある本たちは特に好きでもなんでもないですし。なんでかなー。なんか本を読まない人の家にいくと、その人が好きそうな本だけがありますよね。喫茶店のマガジンラックのように。それは本の「所有」という部分だけが洗われてくっきりとなった状態でそこにあるからでしょうかね。
長くなりそうなので、唐突に当てずっぽうに書きますが、コレクションとか所有の意味が薄れてるでしょう、さいきん、とくに。
僕は自分にコレクター体質がないということを自覚してるんですが、それでも10年くらい前はまだなにかを集めたり所有したいという気持ちがあった。でも今はものすごく薄くなってます。
そうなった原因の一番大きなものは、eBayやヤフオク、ひいてはアマゾンなどの存在です。僕が手にしたいものは検索すれば、世界のどこかにあることがわかる。そしてそれは、マウスをポチっとやればすぐ手が届く。そうなるともうほとんど「所有」することの意味というのが、そこにあるか、ここにあるかという距離しか意味なくなってきますよね。たとえそれを購入したとしても、隣の部屋の押し入れにつっこんでしまうのだとしたら、ちがいは隣の部屋までの4メートルか、何千キロだか何万キロだか先の米国西海岸の誰かの家にあるかのちがい、しかない。
だから僕がそれをアーカイブしたり手入れをしたりしてやる必要はまったくないわけで、自ずと部屋は愛着のあるものないものの差のないものであふれ均質化し締め切りは守れずビールの缶がふえてしまうのもいたしかたないといえるのです。だって整理して本棚から本を出すよりアマゾンに注文したほうが楽だし。
そんなわけで本棚は僕の脳の中身を反映しなくなりましたが、言い方を変えれば脳の中身が地球大の本棚に拡大されたとも言えるような気がするので何も問題ないですから、途中ですが本棚の整理はここで終了させていただきます。

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