この本を電車の中で読もうとしたのが間違いのもとだった。最初の前書きを読んだだけで、涙が出てきてとまらなくなった。涙のもとは次の文章。
底辺でもがく「売春をするシングルマザー」たちの悲鳴は、あらゆる母親の、産み育て、苦しむ魂への肯定だ。折れてもいい。へこたれてもいい。その手を握った、子どもの手を放すことがなければ。あなたたちが苦しいのは、本来あなたたちを守るべき社会が機能していないだけなのだから。
つっこみどころもあるのだが、「あなたたちが苦しいのは、本来あなたたちを守るべき社会が機能していないだけなのだから」というくだりでは、本格的に涙が出てきて、電車の中でこの本を開いたことを後悔した。前書きでこれだもの、この後何があるのかしら、と心配になってきたのだが、フェミニズムの「あなたは悪くない」と「Personal is Political」をあわせたようなこの一文。「個人的なことは政治的なこと」というよりもさらにはっきり、「悪いのは社会だかんね」と、苦しんでいるシングルマザーたちに語りかけている。そしてあなたたちは本来守られてしかるべき存在なのだよとも、この一文は言っている。こんなやさしい文章にひさしぶりに出会ったような気がする。
先日あるシングルマザーと話したのだが、彼女はうつやPTSDに苦しんでいる。その彼女に、子どもの世話ができないなら、子どもを手放しなさい、施設に預けなさいと周囲は言うそうな。でも彼女は主張する。子どもがいなくなれば、私はもっと具合が悪くなると。
聞いていて思ったのだが、なぜ彼女に「金」と「手」が与えられないのだろうか。「金」と「手」があれば、多くのシングルマザーは、何とか子どもとやっていける。暮らしに必要なお金の心配をしなくてよければ、できない家事を手伝ってくれる助けがあれば、状況はずいぶん変わるだろうと。そして著者も言うとおり、「シングルマザーへの支援とは、そこに育つ、将来の社会を担う子どもへの支援」なのだ。だが、そうはいかないのが、妙な自己責任論が跋扈するこの国の現状。
出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで
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著者は彼女たちを花弁が全て抜け落ちた花にたとえる。花弁はあらゆる希望や可能性。それらの全てがひとつ、またひとつと潰され、結局何も残っていない丸裸の花。それほどまでに彼女たちは何も持っていないと。では、その希望や可能性とは何だろうか。各節のタイトルを紹介する。
民生委員の無理解/DV夫を終身刑にでもしない限り…/養育費とは「善意」にすぎない/仕事ない、給料安い/生活保護「不受給」のワケ/婚活チャンスと生活保護/最後のセーフティネット
女性の援助に携わる人なら、おおよそどのような内容なのか見当がつくのではないだろうか。「最後のセーフティネット」とは「帰れる実家、頼れる親・親族」である。取材に協力してくれた売春するシングルマザーのほとんどが、「家族のないシングルマザー」だったと言う。湯浅誠さんが言うところの「家族福祉からの排除」である。親がないのは、この人たちの責任ではない。しかし、彼女たちはさまざまな事情から、生活保護も受けずにドがつく貧困の中に生きている。そこに彼女たちを追い込んでいるのは、差別であり、偏見であり、貧弱で偏狭な福祉政策である。生活保護の不正受給と言えば、シングルマザーが取りざたされるが、貧困ビジネスと呼ばれる弱者を食い物にするビジネスのほうがよっぽど問題なのは本書にもあるとおり。(昨日まで毎日新聞の夕刊で「貧困に巣くう」として貧困ビジネスの実態ルポが掲載されていた)。
シングルマザーの実態を知った著者はシングルマザーたちにこう呼びかける。
助けが欲しければ全力で叫び、その身と心を休めることが悪いとは思わないでほしい。苦しいと叫ぶ母を助けられない世の中ならば、苦しいと叫ぶことがはばかられる世の中ならば、それはあなた方が間違っているのではなく、世の中が間違っているのだ。だから、全力で遠慮なく、大声で叫んでほしい。助けてと。
こんな文章読むと、また涙が出てくるじゃないか!著者が言うとおり、何の支えもない状況で女がひとり子育てをするのは「まず無理。ほぼ無理」。そして少子化の社会の中で、せっかく生まれた子どもを大切に育てようとしないこの国の見識とはいったいどうなっているのだろうと思う。子どもに、必要な教育や機会が与えられないのは、国家の損失だと著者は言う。全くそのとおりだし、こんなことをしている国がどの面さげて「命を大切に」などと言えるのだろうと、心から思う。
最後に「欲望と貧困のはざまで」というサブタイトルは、あまりよくないと思う。このタイトルだと、欲望と貧困のはざまで、金欲しさに売春したみたいな印象がある。そうではないことは読めば分かることとは言え、もちょっと誤解のないサブタイトルにしてほしかったと思う。
もうひとつ最後に民主党政権の子ども手当てが約束倒れだと批判する人がいる。だがそれより以前に生活保護の母子加算を廃止したのは誰だったか、児童扶養手当を5年で打ち切ると決めたのは誰だったかを忘れないでほしい。
最小不幸の社会。いいじゃないかと私は思う。 (加藤)
底辺でもがく「売春をするシングルマザー」たちの悲鳴は、あらゆる母親の、産み育て、苦しむ魂への肯定だ。折れてもいい。へこたれてもいい。その手を握った、子どもの手を放すことがなければ。あなたたちが苦しいのは、本来あなたたちを守るべき社会が機能していないだけなのだから。
つっこみどころもあるのだが、「あなたたちが苦しいのは、本来あなたたちを守るべき社会が機能していないだけなのだから」というくだりでは、本格的に涙が出てきて、電車の中でこの本を開いたことを後悔した。前書きでこれだもの、この後何があるのかしら、と心配になってきたのだが、フェミニズムの「あなたは悪くない」と「Personal is Political」をあわせたようなこの一文。「個人的なことは政治的なこと」というよりもさらにはっきり、「悪いのは社会だかんね」と、苦しんでいるシングルマザーたちに語りかけている。そしてあなたたちは本来守られてしかるべき存在なのだよとも、この一文は言っている。こんなやさしい文章にひさしぶりに出会ったような気がする。
先日あるシングルマザーと話したのだが、彼女はうつやPTSDに苦しんでいる。その彼女に、子どもの世話ができないなら、子どもを手放しなさい、施設に預けなさいと周囲は言うそうな。でも彼女は主張する。子どもがいなくなれば、私はもっと具合が悪くなると。
聞いていて思ったのだが、なぜ彼女に「金」と「手」が与えられないのだろうか。「金」と「手」があれば、多くのシングルマザーは、何とか子どもとやっていける。暮らしに必要なお金の心配をしなくてよければ、できない家事を手伝ってくれる助けがあれば、状況はずいぶん変わるだろうと。そして著者も言うとおり、「シングルマザーへの支援とは、そこに育つ、将来の社会を担う子どもへの支援」なのだ。だが、そうはいかないのが、妙な自己責任論が跋扈するこの国の現状。
出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで
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著者は彼女たちを花弁が全て抜け落ちた花にたとえる。花弁はあらゆる希望や可能性。それらの全てがひとつ、またひとつと潰され、結局何も残っていない丸裸の花。それほどまでに彼女たちは何も持っていないと。では、その希望や可能性とは何だろうか。各節のタイトルを紹介する。
民生委員の無理解/DV夫を終身刑にでもしない限り…/養育費とは「善意」にすぎない/仕事ない、給料安い/生活保護「不受給」のワケ/婚活チャンスと生活保護/最後のセーフティネット
女性の援助に携わる人なら、おおよそどのような内容なのか見当がつくのではないだろうか。「最後のセーフティネット」とは「帰れる実家、頼れる親・親族」である。取材に協力してくれた売春するシングルマザーのほとんどが、「家族のないシングルマザー」だったと言う。湯浅誠さんが言うところの「家族福祉からの排除」である。親がないのは、この人たちの責任ではない。しかし、彼女たちはさまざまな事情から、生活保護も受けずにドがつく貧困の中に生きている。そこに彼女たちを追い込んでいるのは、差別であり、偏見であり、貧弱で偏狭な福祉政策である。生活保護の不正受給と言えば、シングルマザーが取りざたされるが、貧困ビジネスと呼ばれる弱者を食い物にするビジネスのほうがよっぽど問題なのは本書にもあるとおり。(昨日まで毎日新聞の夕刊で「貧困に巣くう」として貧困ビジネスの実態ルポが掲載されていた)。
シングルマザーの実態を知った著者はシングルマザーたちにこう呼びかける。
助けが欲しければ全力で叫び、その身と心を休めることが悪いとは思わないでほしい。苦しいと叫ぶ母を助けられない世の中ならば、苦しいと叫ぶことがはばかられる世の中ならば、それはあなた方が間違っているのではなく、世の中が間違っているのだ。だから、全力で遠慮なく、大声で叫んでほしい。助けてと。
こんな文章読むと、また涙が出てくるじゃないか!著者が言うとおり、何の支えもない状況で女がひとり子育てをするのは「まず無理。ほぼ無理」。そして少子化の社会の中で、せっかく生まれた子どもを大切に育てようとしないこの国の見識とはいったいどうなっているのだろうと思う。子どもに、必要な教育や機会が与えられないのは、国家の損失だと著者は言う。全くそのとおりだし、こんなことをしている国がどの面さげて「命を大切に」などと言えるのだろうと、心から思う。
最後に「欲望と貧困のはざまで」というサブタイトルは、あまりよくないと思う。このタイトルだと、欲望と貧困のはざまで、金欲しさに売春したみたいな印象がある。そうではないことは読めば分かることとは言え、もちょっと誤解のないサブタイトルにしてほしかったと思う。
もうひとつ最後に民主党政権の子ども手当てが約束倒れだと批判する人がいる。だがそれより以前に生活保護の母子加算を廃止したのは誰だったか、児童扶養手当を5年で打ち切ると決めたのは誰だったかを忘れないでほしい。
最小不幸の社会。いいじゃないかと私は思う。 (加藤)