家族会議
今週火水は、相馬の母の四十九日の法要のため、相馬に帰りました。今年2月に渋谷への引っ越しの報告のために実家に帰ったときは元気そうだったのに、末期癌の進行と亡くなって四十九日は本当にあっという間でした。
火曜の夜に開かれた家族会議では色々なことを話し合ったのですが、私に関しては放蕩ぶりと健康面の心配が話題になりました。そのため父から、東京に戻ったら必ずちゃんとした病院で人間ドックを受けること、まずその日付が決まったら連絡し、結果が出たらそれを加工することなくコピーしてすぐ実家に送ることを厳命されました。父から「俺より先に死ぬことは許さん」と言われました。あとは私の借金の話とか。
コミュ障の私と幼稚園児の姪
私は3人兄弟の長男で下は妹2人なのですが、妹2人は結婚して子供が出来ていて、2人の姪と1人の甥ができていました。私はコミュ障なので、子供と何を話して良いか分からず、無言の笑顔で愛想を整えるので必死だったのですが、そんな私を見かねてか、姪が話し掛けてくれました。
「貴義おじちゃんの好きな食べ物はなーに?」
「えっ!え…(なんだろう、なんて答えればいいんだろう)パ、パイナップル!そう、パイナップルかな!」
「パイナップル?」
「うん、そう、パイナップル!(あちゃー(ノ∀`)反応に困る果物を出しちゃった)」
「嫌いな食べ物は?」
「嫌い?え、えっと、キューイかな!」
「キューイ?」
「好きな食べ物は何?(質問返しだ!)」
「全部好きー!」
「えっ、じゃあ嫌いな食べ物はないの?」
「なーい!」
「そっか…。偉いね!」
「…。」
というコミュ障爆発な会話をしておりました。
母の四十九日
翌水曜日に母の四十九日の法要が行われました。曹洞宗のお坊さんが来て、母の仏壇の前でお経を読んでもらいました。小さい頃にはお経は呪文のようにしか聞こえなかったのですが、今になって聞いてみるとけっこう内容や意味が理解できるようになっていました。
法要の後はお坊さんと会食。通夜や告別式の時もそうだったのですが、私は父の隣の席で喪主補佐のような感じでお坊さんとお話しすることになったため、色々大変でした。お坊さんは駒澤大学仏教学部出身で渋谷にもよく行ってらしく、東京の話を少ししました。
あとは隣組の話とか。相馬には現在も戦前の隣組が残っています。相馬の隣組は6世帯くらいで構成されて、結婚や葬儀などの時にはお互い助け合うようなかたちになっています。もっと広い町内会とは完全に別組織。「隣組が残っているってすごいですよねー!」とお坊さんに話したら、「隣組は言っちゃあ何だけど、戦時中は密告組織だったからね」とのお返事。妹達が「えー、そうなんですか!怖ーい!」と言っていました。(まぁそればかりじゃ無いんだけどね)と思いながらも、「特高なども隣組を活用していましたからね」と話を合わせておいた。
お坊さんのカメラの話になって、お坊さんがキャノンのコンデジを愛用している話やプリンタの話になりました。「でも今やカメラなんてスマートフォンについているものの方が高性能だから、使われなくなってきているんだよね」という話をしていた。お坊さんが持っているカメラより29倍くらい高いNikonのカメラを持っている私は、「でもボケの美しさとかRAW現像などはコンデジやスマホでは全く対応できていない分野だけどね…」と思ったけど、「本当にそうですよねー!」と話を合わせておいた。
父と2人で墓参り
四十九日が終わった後、すぐに東京に帰らなくてはいけなかった私は、家族より先に、父と2人で母や祖母・祖父が眠るお墓に墓参りしてきました。祖父と祖母は戦時中に結婚。祖父は小さい頃の私に南方戦線の戦争の話をするのが大好きでした。今はみんな合わせて眠っています。
父は葬儀の時から「よく見ておけよ。今度はお前が俺の喪主をする番なんだからな」と言っていました。とても全手順は憶えられなかったけれど、「わかった」と答えました。「男の約束」的なものなので。
相馬から福島市へ向かうバスの待合場所でも、父と少し話しました。「人間ドックの結果は必ず送って来いよ。日付が決まったら連絡しろ。それから本当に何もかも駄目だったら、やめれば良いんだからな。相馬に帰ってきて俺と一緒に暮らせばいい」と言われました。
その後、福島市へ向かうバスの中へ。本当は原発事故なんて起きなかったら、相馬から上野へは特急電車で帰られたのですが…。
母の遺品
相馬から帰るときに、母の遺品を受け取りました。1つは「クロ」。私が小さい頃にずっと手に持っていたスヌーピーの人形で、どの場所にも持ち歩いていたから、真っ黒になっていたから「クロ」。母はそのクロを大事に保管してくれていました。
そして、私の青いセーター。これも私がはな垂れ小僧だった小さい頃によく着ていた服でした。これも母が大事にしまっていてくれていました。
故郷に錦を飾ろう
父の言葉は最後の砦があるという事だと受け取ったけど、自分はまだまだ東京でやり残していることが沢山ある。何もかも敗れて落ち武者のように帰ってくるのではなく、故郷に錦を飾りたいと思います。そのためにも今の仕事を頑張らねば。あと、今月中に人間ドックを必ず受けて、その結果を実家に伝えます。