今日ぼくの以下の記事に超長文の文章が寄せられました。
ぼくに対して堪忍袋を切れられたそうです。
ぼく個人宛に送られたのではなく、ブログのコメントとして名前ありきで来たので全文掲載します。
宮森君、今まで黙ってきたが堪忍袋の尾が切れた。
君の顔くらいしか知らない同じ町に住む似ても似つかぬ身分の人間からいい機会だから言わせてもらう。
私には文才は無い上、2桁年ぶりに個人ブログにコメントし長文となることご容赦の上、軽く光栄だとでも思ってくれれば幸いだ。
まず君が勝手に何を書こうが自由だ。
ただし自由には「責任」という必ず外せない強制セットがあることを忘れてはいけない。
それが例え君の「ストレートな自分の体験や意見」とやらが 「どっかで見たことあるタイトル」 「どっかでみたことある主張」 「無難な領域で収めようとしているのがミエミエで意見に見せようとしている無駄な文字列」 で、どう見ても君のユニーク性のある体験や意見には見えず 同じ記事の中でさえ矛盾することを平気で書き放つ 結局は君が嫌う「群衆に埋もれたもの」だったとしても 例え引用であっても リツイートであっても 君にも 私にも 誰にでも 一度書く、言う、実行したことには、当たり前だが明確な責任があることぐらいわかるだろ?
どんな反応があったかは非常に大切なこと。 反応に一喜一憂してはいけないが、反応の正しい評価ができなければ 溺れ死に際の上も下もわからなくなっている人だ。
コメント・ブクマ・解析、見てて気づかないのも驚きだが 直接的な反応以外も読めず触れれないようでは、君の人格と知性を疑う。
私の妻の高校の先輩は「私には声なき声が聞こえる」公に言い内戦へと展開した。 この国の歴史に残る大炎上は彼を死の寸前まで追い込まれ、今日の現在この時刻でも強い批判がある一方、当時から敵味方双方から一定の評価を得ている。
因みに君がなろうとしていた政治の話だ。
そこまでを覚悟をし、身分どころからこれから生まれる者まで対象を選ばず聴こえない声を聴き、ある声の奥の声を聴かねば、何一つ生むことも守ることさえもできない。
このブログ、そして記事は一つ一つが全くもって続いていない・積み重ねのない、絵に描いた餅の一発ばかりを得ようとしている。
私の敬愛する毎日コツコツ「伝える」ことで食ってる人達への侮辱だ。
もっと酷い言い方を敢えてするとするなら、世の中の人々をコイン程度にしか思わないギャンブルごっこをする人に誰が協力するだろうか? ご飯は自分で作っているのか? 君が自分ちの前の道路を1mでも引いたのか?
そもそも飲める水を自分の力で調達しているのか?
とりあえず、私や他の人の反応、下らない予想をせず「黙って」君の両親に見せなさい! コメントも含めて君のブログだよな?
できれば君がUPする度、通知が来るよう君のその「行動力」で勝手に携帯を設定してあげることをお勧めする。
君の親しい周りの人達が9割呆れ、もう何も言う気を無くしながらも1割心配している今このうちにこそ、身のある行動をされることを心からお願いします。
このような文章ですね。
ぼくの中で気になったのが太字にした部分です。
この太字について、ぼくなりに今回応えていきたいとおもいます。
「拝啓 山崎さま」読んで頂けてると幸いです。
Q.自由には責任があることを忘れていないか?
ぼくはたしかにブログで自分の好きなことを自由にかいてます。
しかし、好きなことをかいてても数字という責任をぼくは取らないといけないんです。
でないと、父に借金も返せないし、お世話になった人たちに恩返しできるくらいの影響力も持てない。
だから、それに関してはシビアに考えてますね。
毎日収益もPVも30分おきくらいにチェックしてますし、どのような記事がヒットするのかも勝手に考えてしまいます。
ただ、ぼくは他人には好き勝手やってるように見えてていいんです。
TV番組もバカなことばかりやってて、視聴率なんて全然考えてないように見えるでしょ。バラエティ番組なんて特にです。
しかし、裏では視聴率とメチャクチャ闘ってますからね。
それと同じで数字という責任を取ることに関して、ブログ運営者のぼくだけが向き合ってればいいんです。
ブログ読者には「ミヤモ責任感無さそう」とおもわれてて一向に構わない。
山崎さんにも「自由で責任感無いね」とおもわれてるくらいが丁度いいのです。
ただ、本音だけ言えば、ぼくは自由でいるための責任として数字は考えてますよ。ということです。
Q.ぼくの記事がどこかで見たことある表現や言い回しであること
これは、ぼくだけに限らないのでストレートに言ってしまいます。
ビジネス書や偉人の名言でもそうですが、みんな言ってること「同じ」ですから。
表現は多少違えど、根底の伝えたいことは同じです。
それじゃ何が違うのか?
それは伝えている「人」が違うんです。
マザーテレサが言って響く人もいれば、そうでない人もいる。
親鸞が言って響く人もいれば、そうでない人もいる。
それと同じようにぼくが言って響く人もいれば、そうでない人もいる。
世の中は「どこかで見たことある表現、言い回し」で溢れています。
ぼくの言ってことも先人が語っているも大して変わりません。
しかし、ぼくが伝えて響く人がいる以上、ぼくは自分の表現をこのまま続けていきます。
Q.ぼくの文章に矛盾が多いこと
ぼくのブログを読んで矛盾が多いとのことですが、人の文章なんてそんなモノです。
人間は変化する生き物なので方向転換や意見が変わることなんてザラでしょう。
ぼくは毎日ブログを更新しているので、それが見えやすいのです。
ただ、ぼくは自分の軸に対してはブレてるとおもってません。
自分が物心ついてから、大きくブレてないとずっとおもってます。
その軸は「自分はただの人間で終わりたくない」、「ぼくはやりたいことに素直でいよう」という欲求です。
ぼくの文章という「枝葉」は、時間という「風」に常に揺られてますが、一番大事な「木の幹」はそこまでブレてないのです。
そして、この幹さえブレなければ、枝葉はどれだけ揺れてもいいのです。
枝葉の揺れ方は時代によって変わりますから。
それは時代の変化に対応していくということなんです。
Q.直接的な反応以外も読めず触れれないようでは、君の人格と知性を疑う。
ぼくは ブログの書き方は大きく二つあるとおもってます。
読者を想像し、ニーズを捉え、読者のほしい情報を提供するブログ。
もう一つは自分のかきたい記事を率直にかき、読者にあとの感想は委ねるブログ。
ぼくは、まさに後者です。
ですので、ぼくは見えない読者どころか、直接反応が返ってくる読者のことも考えてません。
勿論、反応が返ってくる読者からブログのヒントはもらってますし、反応が来ること自体が嬉しいんですけどもね。
ただ、ぼくはかきたい記事をかくだけに集中してます。
そんなぼくにもブログのルールがあります。
・ディスらない
・最後はポジティブに終わる。その為に締めはワッショイ!にしてます。
これだけです。
こんなぼくの人格を疑うのであれば、それでいいですよ。
これがぼくのやり方ですから。
Q.世の中の人々をコイン程度にしか思わないギャンブルごっこをする人に誰が協力するだろうか? について
「世の中の人々をコイン程度にしかおもわないギャンブルごっこをする人間」とは、なかなか刺激的な発言ですね。
これに対しては、ぼくとここ3ヶ月くらいにコミュニケーションとってる人に「ぼくがどんな人間か?」聞いたらいいんじゃないでしょうか。
それでぼくが世の中の人々をコイン程度にしかおもってないのかどうか分かるとおもいます。
ぼくはチームラボの猪子寿之さんが言っていたことで、すごく好きな言葉があるんです。
「きっと社会は健全だから、未来を感じれるヒントがあるモノをつくれば仕事が来るだろうと。なぜなら社会は未来に行きたいから。」
という言葉です。
この言葉に沿って、ぼくは自分なりに未来のあり方をブログで提唱していくのみだとおもってます。
それが誰からも受け入れられなければ、ぼくは生き残っていけないのです。
ぼくが人をコイン程度にしか本当におもってないのなら誰もぼくに力貸してくれないし、ぼくはただ、死ぬだけですよ。
Q.君の親しい周りの人達が9割呆れ、もう何も言う気を無くしながらも1割心配している今このうちにこそ、身のある行動をされることを心からお願いします。
ぼくは自分のやりたいことをやれてる感触があるのです。
これをやっていった結果、親しい9割の人に呆れられたなら、それは仕方ないことです。
それだけの関係でしかなかったということですからね。
元々ぼくは友達少ないですし。
ただ、ぼくを心配してくれてる人には、「ぼくの心配なんてしなくていいから、ぼくと一緒に面白いことしようぜ!」と伝えたいですね。
ぼくはブログで何度もかいてますが、人に嫌われることについては仕方ないことだとおもってるので、特に気にしてられないのです。
それより、自分のやりたいことをやっていってぼくに賛同したり、応援してくれる人と手を組んで面白いことやることにエネルギー使います。
終わりに
いちようぼくなりに答えさせて頂きました。
いろいろぼくのブログをチェックされてるのかなとおもったので、全力で答えてます。
そういえば、ぼくの顔知ってて、同じ町に住んでるってぼくの多分中学の先輩ですよね。
名前に覚えがあります。間違ってたらゴメンなさい。
ぼくはこれからも自分のかきたい記事をかいていくので、これ以上に堪忍袋が切れるならぼくのブログを読まないことをオススメしますよ。
ワッショイ!
※このブログ読んでるみなさんへ
今後このような長文でコメント来ても記事化は一切しませんので。
文章の量はできれば抑えめでお願いしたいです。
シンプルに率直に言ってもらえると助かります。