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あざなえるなわのごとし

ネット事件から妄想まで雑食


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松本大洋「ピンポン」が描く天才と努力

ピンポン フルゲームの 1 (ビッグコミックススペシャル)

松本大洋「ピンポン」でのと天才について。

結論から書くとこの作品での「天才」とは、
努力に対する費用対効果の差
として描かれている。




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ピンポン

ピンポンにはさまざまな種類の天才が登場する。
卓球という評価軸の中での天才たち。


まずペコ。
ペコは天才だが努力が嫌い。

そして親友のスマイル。
スマイルも天才だが、努力が嫌いでモチベーションが低い。
しかし物語途中、スマイルは努力を始め急速に才能が開花する。

ライバルのドラゴンもまた天才。
しかしその才はスマイルやペコには及ばない。
だから努力で追い付けない。

アクマは、凡才。
才能はないが努力を嫌わない。
だが努力だけでは、天賦の才は凌駕できない。

バタフライジョーと呼ばれた小泉も天才だった。
しかし、その才能では目指すところにまでは手が届かなかった。

天才と努力と

ピンポン フルゲームの 2 (ビッグコミックススペシャル)


天才とは才能だが、それは「ある」か「ない」かで語れるものではない。
先に書いたが、正しくは費用対効果。
時間や体力、修練と言うリソースをつぎ込み、その努力を現実的結果としてどれだけ発揮できるかという効率性の差。

努力 X 天賦の才=結果

天賦の才があろうが、努力という数値が0なら0のまま。
それは開花しない。
ペコは天才にも関わらず努力を行わないから才能が開花しなかった。
スマイルも天才だがペコほどの費用対効果はない。

費用対効果の順で言えば

ペコ>スマイル>>ドラゴン>チャイナ>>(越えられない壁)>>アクマ

しかしペコが卓球に絶望し努力をやめたとき、アクマ(凡才)はペコ(天才)に勝つ。
努力をする天才に凡才は勝てないが、努力をしない天才に凡才は勝つことができた。

そして敗北をきっかけに、ペコは努力を始め周囲をごぼう抜きにする。
努力が才能により効率よく倍加されることで開花する。
それはアクマがどれだけ努力しようが及ばない、越えられない壁の先の領域。

人生とモラトリアム

花男(1) (ビッグコミックス)

スポーツがなくても生きていける。
辞めたって人生は続く。

アクマは卓球の才能はないが現実で恋人を作り幸せに暮らせるかもしれない。
現実を支配するのは、卓球とはまた違う競争原理。
どこかで結果を出しランキングされるスポーツの世界とは異なる。

生きる場所は卓球の世界だけではない。
スポーツという、結果が全ての競争論理が支配する世界で生き延びられるのは一握りの天才だけ。


現実社会に寄与しないプロスポーツ。
スポーツで生きるのは、モラトリアムで生き続けると言うことと同じ。
「花男」では、現実から離れそんなモラトリアムに生きる花男をカリカチュアライズして描いた。


だが才能の有無はどこでわかるか。
ドラゴンのように努力をして才能があっても、さらに上に天才がいて己の限界を知ることもある。
「花男」のように諦めずに努力をしていればいずれプロになり開花することもある。


努力をすれば報われるとは限らない。
しかし努力をしなければ才能は目覚めない。
そして努力をするのもまた才能と言える。

努力をすると報われるのか?

そもそも「報われる」とは何か?
努力をすれば成功する、ではない。
努力をすれば夢がかなう、でもない。

努力をすればそれなりの結果が返ってくる、これが「努力をすれば報われる」
その結果は努力に比している。


努力とは最低限必要な当たり前の行為。
ごろ寝しながらスマフォをいじり、気づけばボクシングの世界チャンピオンになっていることはない。

ロッククライミングで岩を掴まないなら永遠に壁は昇れない。
手を伸ばし岩をつかみ身体を引きづり上げていく。
一歩一歩着実に。
岩壁は尽きることなくどこまでも高い。


努力をすれば報われるか?否か?
それはわからない。
ただひとつ言えるのは、努力をしないなら才能があっても仕方がない。
才能があるかどうかすらわからない。

ゼロに何をかけてもゼロにしかならない。

ZERO―The flower blooms on the ring………alone. (上) (Big spirits comics special)


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