社運を賭けたプロジェクトで大コケ。敗戦処理係が生み出したクラウド型チャットツール|ChatWork
2015年4月現在、6万7000社もの会社が利用しているクラウド型チャットツール『ChatWork』は、今やビジネス用途のコミュニケーションツールとして多くの会社が利用しています。
しかし、同サービスはChatWork株式会社の前身となる株式会社EC studioで、社運を賭けたプロジェクトが失敗に終わり、そこから大きな事業転換をした結果に生まれたサービスであるそうです。そこで今回は専務取締役CTOの山本正喜氏に、躍進のきっかけとなるコミュニケーションサービスが生まれるストーリーや、会社の思想、価値観についてお話をお伺いしました。
ウチの代表って『Microsoft Office』が使えないんです。だから徹底的に自動化・効率化をする文化がある
ChatWork株式会社の代表取締役であり、山本氏の兄でもある山本敏行氏は、大学生時代にロサンゼルスに留学をしていたそうです。そこで「代表(兄)は世の中が変わるぞっていうのを目の当たりにした」と話す山本氏。
当時2000年ぐらいなので、ドットコムバブルの真っ只中だったんですよ。だから代表としては、何かしたいみたいな想いがあって日本向けにホームページを作ってビジネスをしようと。
で、僕は日本で情報系の大学に通っていたので、代表から「お前、プログラム勉強しているんだったら、何か作れないのか」って。そこから始まったのが、僕らのビジネスの一番最初ですね。
※ドットコムバブル:1999~2000年頃にアメリカを中心に起こった、IT・インターネット関連の新興企業をめぐる経済的熱狂。
引用元:ドットコムバブル
学生の副業から始まったビジネスは数々の成功を収め、数年後の2004年に法人化し、ChatWorkの前身である株式会社EC studioが設立されます。しかし、その直後に「EC studioの創業1年目にして、代表がほとんど会社にいない」状況に陥ったと語る山本氏。
ウチの代表って副業ビジネスから会社を立ち上げたので、社会人経験がほぼないんです。だから「そんな自分が会社を経営するのは不安だ」「勉強させてくれ」って言うので、社員を残して1年間にわたる起業家の育成講座に通って、経営について勉強してもらいました。
代表が通ってた育成講座って、本当に目茶苦茶ハードで。毎日朝から晩まで研修を受けて、帰ってきた後も課題図書やレポートが出て、それを毎日やる。本当に寝る暇もないんです(笑)
代表が1年の月日を経て会社に帰ってきたとき「やっと帰ってきてくれた! とウチの社員は泣いてましたね」と振り返りながらも「Microsoft Officeって仕事で使った経験がないと難しいじゃないですか。実はウチの代表は、未だに使えないんです(笑)」と続ける山本氏。
そんな代表の思想が影響しているせいか、弊社はITツールの使い方がかなり変わってるんです。例えばウチの社員はPCにMicrosoft Officeのソフトが入っていないんですよ。その代わりに、いろんなクラウドのITツールを組み合わせたり、社内のシステムを作りこんだりして、徹底的に自動化・効率化をする文化がある。ITに詳しくないウチの代表でも使えるようなワークスタイルにしていて(笑)その思想は提供するサービスにも活かされています。
「餅は餅屋」という代表が大好きな言葉があって、何事においても「得意な人にやってもらうのが一番いい」という意味です。だからウチでは、ITでやれることはITで徹底的に自動化する。そして人は、人にしかできないことをやろうと。それが弊社を定義する根底の考え方なんです。
Googleにも勝てるだろうという勘違いをしていて。エースメンバーを総集して、社運を賭けたプロジェクトが大コケ
学生時代から多数の事業を展開し、成功を収めた山本氏ですが、当時の経験から「SEOや検索エンジンの仕様とか、流行に振り回されるのは嫌だ」と考えたそうです。
Google Analyticsって便利なんですけど、使いこなすの難しいじゃないですか。それを初心者でも簡単に、アクセス解析のおいしいところを利用できるツールを作ればウケるんじゃないかと企画しました。社運を賭けるプロジェクトとして当時のエースメンバーを集めて『ウェブアナリスト』というツールを公開したんですけど、それが大コケしまして。
無料プランでは多数のユーザーさんが利用してくれて評判もよかったんですが、全然有料版に移行してくれなかったんです。アクセス解析にお金を払うような人っていうのは、詳しく見たいんですよ。ウェブアナリストで狙っていたようなカジュアルなユーザーはGoogle Analyticsでいいと。
3年間ウェブアナリストの運営に尽力しますが、最後は閉鎖という形で幕を閉じることとなりました。そして当時2、30人の社員を抱えている会社で数億円にも及ぶ赤字を出してしまったこの失敗は、山本氏にとっても、会社にとっても“はじめての大きな挫折”となります。
学生でプログラムもたいしてできないころの自分が作ったサービスが、めちゃくちゃうまくいってビジネスとして稼げるようになったと。それが5、6年経ってプログラムも書ける、システムも組める、経験も積んだ。今の、このメンバーで本気を出せば、Googleにも勝てるだろうという勘違いをしていて。
この失敗は社内全体で大きな問題となり「ウチっていい会社だと思っていたけど、こんなにボロボロだったんだ」と山本氏が痛感するほど、組織は大きく揺れます。
会社の成長が止まると、魔法が解けるんです。ダイエー創業者の中内功さんという人が「売上は全てを癒す」と言っています。会社が成長をしていると、小さな社内の問題って気にならなくなる。というか、隠されちゃうんですね。でも成長が止まるとその魔法が解けて、今まで気にならなかった不満とかがバーッと出てくるんです。それがすごくショックでしたね。
それまでトップダウンの体制でやってきたので、社員の自主性をすごく潰していた部分があって。だから「どうせ幹部が決めるんでしょ」みたい不満が多かったことに気づきました。それを変えようと思って、大規模な組織転換をすることにしました。
「お前はまだWebサービスをやるのか」敗戦処理係のエンジニアが組織を立て直し、ChatWorkを生み出した
その当時、山本氏は敗戦処理係のエンジニアとして日々の業務をこなしていたそうです。一方で会社としては、Webサービスだけでビジネス展開することを避け、IT活用のコンサルティング業務とWebを絡めた事業を展開していくことになりました。
それでIT活用の業務効率化の領域で、当時ヘビーに利用していたSkypeチャットをWebサービス化した、現在のChatWorkの企画を提案したら「あれだけ失敗しておいて、お前はまだWebサービスをやるのか」と見事に却下されました(笑)絶対イケると思っていたので諦めきれず、役員を1人ずつ呼び出して「これ絶対イケる、やらせてほしい」って説得を続けたら「そんなに言うんだったら、最悪の場合、社内ツールにすればいいか」と許可が出ました。
その代わり「好きなことをやるんだから、一人でやってね」って。社内では「山本は一体何やってるんだ?」状態でしたけど、フロントエンドやサーバーサイドなどの全ての領域を一人で開発したんです。
そしてこの大胆な行動が、上層部が主導となり”どうせ幹部が決める”トップダウン制の組織体制からの脱却に繋がります。
完成したChatWorkをみんなに見せるんですけど、なかなか移行してくれないんです。既存で使ってるツールがあるので。そこはちょっと強引にいかないとダメだなと思って、当時はSkypeのグループチャットが300個ぐらいあったんですけど、僕が全部ガーッとひたすら同じ名前とメンバーのグループチャットをChatWorkでも作って強制的に移行を進めました(笑)
最初はすごく不安の声が挙がったんですけど、社内の要望とかいろいろ聞いてどんどん改善すると、社員もどんどんアイデアをくれるようになったりして。ChatWorkのことを少しずつ好きになってくれました。
今までのスタイルとは異なり、社員が協力し合って生まれた、そして全員が好きになってくれたChatWorkを「僕らの思想がめちゃくちゃ入ってるツール」と山本氏は表現します。
長年チャットをビジネスで利用していた経験から、掲示板のように、いつ返事してもいいし、いつログアウトしてもいい、という運用方法で使うと、チャットによるコミュニケーションがうまく機能することが分かっていました。LINEのように「既読」かどうか分かると、すぐに返事をしなきゃいけない強迫観念が生まれてストレスに繋がります。だからChatWorkでは、思想的にそういう機能は一切付けないようにしたんです。
また、Facebookと同じような「いいね」ボタンも絶対付けないんです。何でかって言うと、まず間違いなく、チャットを見たら「いいね」を押してねっていう運用が社内で走るんです。それって本当の意味での「いいね」じゃないよね。上司のコメントにはみんな「いいね」しなきゃいけないとか、そういう過度な気遣いが出てくるのも良くない。
周囲を巻き込んだ組織体制の変革、そして新しいサービスの創造に繋げることができた原動力について尋ねると「ここで頑張らないと、会社が潰れると思った」と、シンプルに答える山本氏。
軌道に乗ってくるまで大体3年ぐらいかかりましたけど、社員の愚痴を聞いて失敗したサービスの敗戦処理をしながら、トップダウン型の組織体制を大きく変更して、新しいプロダクトを作るという時期だったので、結構つらかったですね。
でも、社員が小さな企業に就職するってリスクだと思うんですよ。それを選んでくれた人たちに対して、その選択は間違ってなかったと思ってもらいたいじゃないですか。
本気でグローバル市場を目指す証は、サービス開始2年目なのに代表がシリコンバレーに移住したこと
現在ではビジネスツールとして必須になっているChatWorkですが、今後事業を展開していくうえで、どのような人材が必要になるのでしょうか。
自分たちに合う人を採るっていうことを大事にしていて、面接後には2日間「体験入社」をしてもらっています。課題発表などでスキルはもちろん見るんですけど、そのときに同じ部のメンバーが全員採っていいって言ったら採用。1人でもNGって言ったら採らないんです。
ChatWork社の理念は“Make Happiness”。そして、幸せとは“心の豊かさ”であるとして、山本氏は“3本柱”という言葉を使い、定義します。
僕らが目指している心の豊かさの3本柱は「経済的な豊かさ」「時間的なゆとり」「円満な人間関係」から形成されています。“経済的な豊かさ”は、社内に向けて会社の売上もちゃんと出すし、給料も高くしますよっていう宣言なんです。“時間的ゆとり”は、ちゃんと社内でも効率化を徹底的にやって、時間的ゆとりがあるようにすること。“円満な人間関係”は、マインドの合う人しか採らないということが、まずは一番大事です。
この思想の3本柱をChatWorkに入れ込むことによって、僕らの目指す幸せが生まれる社会を実現したいんですよね。だから、ChatWorkで自分たちのワークスタイルや考え方を広めていき、世界の働き方を変えることが僕らのビジョンです。
“世界の働き方を変えること”にコミットするためには、日本に限らず海外展開も視野に入れなくてはなりません。ChatWorkでは、そのための行動が既に始まっていました。
今のビジョンは7年後に1億ユーザーを目指していて、3年後に海外比率を50%にするっていう感じです。外せないキーワードとして、海外市場ですね。まだChatWorkがビジネスとして成り立っていないサービス開始2年目に、代表は海外法人を作るために生まれたばかりの1歳の娘を連れて、家族とシリコンバレーに移住してるんです。
一番に人件費が高くて意思決定権が強い代表がアメリカに行ってます。それが力を入れている証拠。本気なんですね。
そこまでして海外展開に注力する理由を、山本氏は“東京オリンピック”をキーワードにして説明します。
日本には、危機感がまだないじゃないですか。これでも日本経済の調子がいいので。2020年の東京オリンピックまでは、日本経済がドーピングするように潤うんですよ。その一方で、2020年以降になると日本は内需だけでビジネスを維持できなくなると想定しています。
だから社内の文化からグローバルに変えていかなきゃいけないので、すごく時間がかかると思っていて。その準備を早めに始めておかなきゃいけない。
ChatWorkには、テクノロジーを徹底的に活用した“豊かさ”を求める思想が込められています。市場に求められるサービスを開発するときには、既存のやり方やルールから一歩距離をおき、そこから独自の世界観を打ち出すことが大切なのではないでしょうか。海外進出の準備を始めている、今後の同社の活動に目が離せません。
インタビュアー:そめひこ / カメラマン:大塚麻祐子 / 編集者:小松崎拓郎
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山本 正喜氏
1980年生まれ。電気通信大学情報工学科卒業。大学在学中より代表の山本敏行とともに、代表弟で株式会社EC studioを2000年に創業。以来、製品開発担当として多数のサービス開発に携わり、2011年3月にクラウド型ビジネスチャットツール「ChatWork」を開発。2012年には社名をChatWorkへと変更し、ChatWorkをビジネスコミュニケーションにおける世界のスタンダードにすべく、全社を挙げて取り組んでいる。