第46回星雲賞(SF賞) メディア部門候補作に「楽園追放」「スペースダンディ」「ヤマト2199」「キルラキル」「ベイマックス」「謎の転校生」 http://t.co/oh9bPjN2RF コメの中に、大人の事情でベイマックスとか書かれてて草。星雲賞は企業がだしてる賞じゃねぇよ
— 高嶋ぽんず(ソウルネームはエイブラムス) (@ponzz) 2015, 4月 19
星雲賞のエントリーを見るたびに「自分はSFから遠くなったなぁ」とメランコリックな気持ちにさせられる。『ブレードランナー』の影響でディックがSFとして真顔で語られるようになった時点で覚悟はしていたから、「あんなのはSFじゃない」みたいな事を言うつもりは全くないんだけどね。
— 鳥山仁@『純粋娯楽創作理論 第二章』発売 (@toriyamazine) 2015, 4月 19
ここから先は思いっきり愚痴になるが、「児童文学の中にあるSF」と「文学のサブカテゴリとしてのSF」という福島正実が採った方向性は、時代性に沿ったものだったとしても致命的だったなあと思う。児童は高等数学を理解できないし、文学も自然科学と相性が良いと言いかねるジャンルなんだよな。
— 鳥山仁@『純粋娯楽創作理論 第二章』発売 (@toriyamazine) 2015, 4月 19
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〔『ブレードランナー』の影響でディックがSFとして真顔で語られるようになった〕って……。デビューしたときから、多くのSFファンはディックをSFとして真顔で語っていたんじゃないかね。バウチャーが見いだした才能だよ。 https://t.co/CZOYsszMGB
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 19
※バウチャー:トニー・バウチャー
ディックのパルプっぽい(正確には安手のパイパーバックっぽい)作品が知られるようになったのは、むしろ最近で(それにはぼくにも荷担しているわけだけど)、元々はシェクリイやハリスンとかと同様「普通の」SFとして読まれていたので。一般的に。 https://t.co/nmswl1LQPY
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
※シェクリイ:ロバート・シェクリイ
※ハリスン:ハリイ ハリスン
本当は牧さん「ブレードランナーからの新参がPKDを語るな」と言いたかったんだろうなあ(;´Д`)気持ちはわかる
https://t.co/SvclB8UdxE
— 廃墟/怖音 (@haioku) 2015, 4月 20
PKD:Philip Kindred Dick
ちがうちがう! そんなことが言いたいわけじゃないです。だれでも好きなように感想を語ればよいですし、そのなかで面白い意見が出てくるから、嬉しい。
ただ、事実からかけはなれた言説があれば、それは違うんじゃないかと指摘するだけです。
https://t.co/cBQkpqOI1m
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
ぼくはガキのころからSFファンのつきあいをしはじめたので、自分がずっと新参だという意識があって、古いだけで偉そうなひとたちがイヤだった。自分はキャリアとか関係なく「面白いヤツ」かどうかだけでひとを見ている。
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
ルサンチマンを抱えていると、「『ソラリス』はたんなるSFではない」みたいな言いかたに過剰反応してしまう。「たんなるSFではない」はちょっと粗雑な表現ではあるけど、べつにSFをdisっているわけじゃない。
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
※ソラリス:著スタニスワフ・レム A・タルコフスキーにより1972年映画化
「たんなるSFではない」というひとは、べつにあなたの大切なSFをバカにしているのではなく、そのひとがイメージしている「たんなるSF」の領域を超えた作品を褒めているにすぎない。
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
評論家のひと「『ソラリス』はただのSFではない」
早川書房「はいっ。税込1080円でーす」
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
はい。「批判されても仕方ない」のですが、それ以上に「批判しても仕方ない」と思います。だれかが「□□はただの○○ではない」と言うとき、ジャンル(○○)を語りたいのではなく作品(□□)が眼目なので。些末なケチをつけている格好になる。 https://t.co/19w9zEj55A
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
それはずいぶんはしょった理解かなあと。あまり単純化して考えないほうがよいのでは。 RT @awaroba 日本におけるディック・ブーム(?)の初期には、ちょっと高尚ぶって精神医学面から評論する側面もあったりしましたね。それに反発したのか、当時期待の//
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
便乗してしまうと、ディック『ヴァルカンの鉄鎚』では、機械支配によるいっけん平和な、しかし人間性を疎外するディストピアが描かれています。それに叛旗を翻すのが、良識ある市民ではなくカルト集団というあたりが、ディックっぽいひねりなんですが。
— 牧眞司(shinji maki) (@ShindyMonkey) 2015, 4月 20
※ヴァルカンの鉄槌:2015/5/29文庫で発売
映画「ブレードランナー」は1982年。原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は1968年。そしてその前の1963年に「高い城の男」でヒューゴー賞を受賞してる。PKDはブレラン以前からSF作家として認識されてたぞい http://t.co/ltLjkQViJm
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2015, 4月 20
ディックをSFとして評価しないなどという話は聞いたことがないが、同じような文脈でギブスンが批判されることはよくあるし、共感しないが理解はできる。ブレードランナーはサイバーパンクぽいとこあるし、彼はどういうわけかディックとギブスンを勘違いしてるのではないか説をここに提唱してみたい。
— ルイス(回д๏´)(ルイス@連合) (@AlicaSteampunk) 2015, 4月 20
ディックとギブスンを混同するのは「ブレードランナーからの新参」よりもアレなのでは(;´Д`)
— 廃墟/怖音 (@haioku) 2015, 4月 20
※ブレードランナー:PKD「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を原作にした映画 R・スコット/1982