ライフハッカー編集部 - こころ,コミュニケーション,メンタル,仕事術 09:00 AM
恥ずかしがり屋を克服し、知らない人と話せるようになる方法
かつて、パーティ会場に入ったら、まだ友人が1人も来ていなかったことがあります。私はそのとき、周囲の人にとけ込もうとする代わりに、知らない人たちと話さずにすむよう、トイレに隠れて時間を潰しました。恥ずかしいことですが、本当にあったことです。
恥ずかしがり屋の人にとって、見知らぬ人との交流は、胃が痛くなり、不安で一杯になる経験になりかねないのです。私にとってはそうでした。しかし、いくらか訓練をすることで自分で気持ちをコントロールすることができるようになり、人と話すことが心地よいほどになることができました。
私は臆病で、母親の陰に隠れているような子供でしたが、大人になるにつれてたくさん話すようになりました。しかし、根本的な部分では、私はまだ恥ずかしがり屋の子どものままでした。そして、新しく会う人と話をすることに対する恐怖は、大人になっても続きました。
友人や家族が、私を恥ずかしがり屋と形容することはないでしょう。けれども、私自身はこの性格のために、知らない人と交流するときには常に苦労してきました。知らない人の親しみのなさ、彼らが私をどのように判断するのか、あるいは拒まれるのではないか、と思うと恐くなります。臆病だからといって必ずしも問題があるわけではないでしょう。しかし、毎日の生活への影響を感じ始めた時、私は恥ずかしがり屋気質をコントロールできたらいいのにと思いました。
恥ずかしがり屋であることが、気まずさを超えた問題になるとき
何か、私を目覚めさせ、今後恥ずかしがり屋を卒業しようと決心させるに至るような啓発的な経験があったわけではありません。徐々に変わっていったのです。問題が起こるごとに、問題を克服する方法を学んでいったのです。
例えば、働き始めた頃に手がけた仕事のひとつで、会社のちょっとした会計上の問題に遭遇しました。クライアントの書類の数字のつじつまが合わなかったのです。上司に知らせてどうすべきかを聞かずに、私は自分でその問題を処理し、解決しようとしました。その仕事に不安があったわけでも、失敗を恐れていたわけでもありません。私は上司を怖がっていたのです(非常に優秀で大らかな人だったので、実におかしな話です)。
私は恥ずかしがり屋だったので、何も言わなかったのです。そして、その小さな会計上の問題が、数日がかりで解決する必要のある大きな問題に発展してしまったのです。始めに報告していれば、少し気まずい思いをするだけで済んだかもしれません。しかし、事態は収集がつかなくなり、私は面目を失うことになりました。
別の職場では、私は誰とも話しませんでした。デスクに向かい、自分の仕事をし、周りの人が放っておいてくれればいいのに、と思っていました。大抵の場合、彼らは放っておいてくれましたが、ある社交的な同僚には「お高くとまっている」と言われました。もちろん、これはショックでした。他の人を見下していたわけではありません。彼らにおびえていただけなのです。なぜそう思ったのかを尋ねると、彼女は「誰にも話しかけないじゃない」と答えました。私の恥ずかしがり屋気質が、同僚に私に関する誤解を生んでしまっていたのです。これではいけないと思いました。
私が徐々に恥ずかしがり屋を克服した方法
今でも、時には私の恥ずかしがり屋気質が頭をもたげて大きな問題になることがあります。時々、質問されると硬直してしまいます。話そうとはするのですが、おびえているためにおかしな答えを思わず口走ってしまうことがあります。パーティには行きますが、新しい人と話をするのは非常に怖いことです。どうやって会話を続ければいいのかわからないからです。
ただ、同じような気質の人に良い知らせがあります。いくつかの技術を身につければ、このように硬直してしまうことを少なくすることができます。以下に、効果的だったヒントを記します。
・恥ずかしがり屋でも、自分らしさを抑える必要はありません
根本的に私は内向的ですが、だからといって恥ずかしがり屋ということにはなりません。この2つは、まったく違うものなのです。恥ずかしがり屋気質は克服できる習慣であると理解することが、自分にも社交術は磨けるのだと納得する上での大きな第一歩でした。
私は、ムードメーカーではありませんが、少し努力をすることで会話を始めて続け、自分のことを話すことができるようになるのです。私には、指の関節をポキッと鳴らす悪い癖がありました。それは、私らしさではなく、ただの行動でした。そのような癖を直すことができるのであれば、恥ずかしがり屋気質も必ず克服できると思いました。
・自分のことだけではない
恥ずかしがり屋の人はしばしば、自分の行動や返答を考えすぎてしまいます。私の場合は、他の人にどう思われただろうかと、何かにとり憑かれたように自分の言動のすべてについて反省してばかりいました。何かおかしなことを言ってしまっただろうか、攻撃的な言葉を口にしていないだろうか、と今でも考えています。新しい友だちと遊んだ後には、しばしば遊んでいるときに言った小さなことさえもすべて思い返すことがあります。そして、少しでも相手を困らせるようなこと、あるいは誤解されそうなことを言ってしまっていたら、自分を責めるのです。
昔はしょっちゅうそうしていました。そして、それにより、さらに社交的な付き合いが怖くなったのです。しかし、仲のいい友人から衝撃的な言葉を言われました。「失礼かもしれないけど、たぶん人はあなたのことをそれほど気にしてないよ」というのです。そう言われると、自分がナルシストみたいに思えてきました。しかし、実際の話、他人が自分の言葉や行動のひとつ一つを気にすると考えるのは、いささか自己中心的なことです。そんなに人は気にしないというのが真実なのです。これは、非常に安心できることでした。
困惑させるようなことを言われても、私がそのことで相手を悪く思うことはありません。自分がその人の言葉を誤解した、または彼らは言葉通りの意味で言っているわけではないと考えます。もしくは笑い飛ばします。人は皆、時に馬鹿なことを言ってしまいますし、ほとんどの人はそれを理解しています。口を開く前によく考えるべきですが、終わってから考えすぎてもいらいらするだけです。
概して、私は不器用かもしれないけれども自分が思うほど誰も自分の不器用さについて考えていないということを学びました。何かにとり憑かれたようにそのことばかり考えても気分が悪くなるだけなのです。
・試練に向き合い、小さなことからステップアップする
私は、自分の恥ずかしがり屋気質をトリガー(引き金)として認め始ました。恥ずかしさを感じたら、社交的になるという試練に立ち向かう合図だと考えるのです。こうすることでその試練に集中する効果がありました。
私は恥ずかしがり屋気質を克服するために小さなことを積み重ねました。大学を出て最初の職場は、オフィスいっぱいに人がいました。毎朝、職場に入っていくことに臆していたことを思い出します。そこで、自分に課題を課しました。毎日、淡々と職場に入り、「おはようございます」と挨拶するとを誓いました。しばらくそれを続けると、自然にできるようになりました。もう怯えることもなく、おかげで周囲の同僚とも気持ちよく付き合えるようになりました。以下に、それ以外に私が実行したいくつかの小さなステップを記します。
- 仕事で疑問がわいた時には、消極的なEメールを送ったり、次にあの人に会ったら聞こうと自分に言い聞かせるのではなく、即座に立ち上がって尋ねに行きました(ただし、相手が忙しくない限り)。
- 休憩室で誰かに会った時には、臆病に相手を避けて歩いたり、ひどい時には自分のデスクに戻って相手がいなくなるのを待っていましたが、代わりに「調子はどうですか?」と言うようにしました。確かに、相手が予期せず返事をしてくれて、硬直しまうこともありますが、そのようなことは考えないようにしました。「調子はどうですか?」と声を掛けることだけに集中したのです。
これらは一例にすぎませんが、他にもいろいろとできることがあるでしょう。指示を仰ぐようにしてください。人を褒めてあげてください。しばらくすると、これらの習慣は自然と見についているでしょう。
社交的な人には、おそらくこのような課題はおかしく感じられるでしょう。「調子はどうですか?」と言うのが本当にそんなに難しいことなのでしょうか? 時にはそうなのです。そういうところが、恥ずかしがり屋の面白いところです。
・クラスを受講する
特に相手が社交的な人の場合、私の恥ずかしがり屋気質はよりひどいものになります。時には、急いでしまい、言おうとしていることを何でもいいから口から出してしまわなければならないように感じることもあります。これは、周りの人がよく話すからです。恥ずかしがり屋の人は、このようなことで社会的な交流にストレスを感じるようになることがあります。
誰もがそうというわけではありませんが、私にはスピーチの授業が非常に役立ちました。高校では、ディベートのクラスを取り、大学ではスピーチのクラスを取りました。両方のクラスで、自分の声に慣れることを学びました。授業では、他の人が聞かざるを得ない状況で話をする機会が得られました。一息つく空間を残したまま、雄弁になるべき時間が与えられます。実世界では、まだ言葉につまってしまうこともありますが、少なくとも、自分の会話能力に少しは自信が持てるようになりました。
・恥ずかしがり屋である理由を知る
Indiana University Southeastの研究者も、恥ずかしがり屋である理由を知ることを勧めています。人が恥ずかしがり屋になるには、さまざまな理由があるのです。彼らは次のように述べています。
たとえば、新しい人に会う時、パーティで人と交流する時、または魅力的な人と話をする時に恥ずかしさを感じますか? 恥ずかしがり屋気質が認知できる形で表に出てくるのか(自意識過剰、あるいは自虐的な発言など)、感情的なものなのか(不安な気持ちが抑えられないなど)、あるいは行動的なものか(社交の場で他の人に話しかけることに失敗するなど)を理解するように努めましょう。
自分の恥ずかしがり屋気質をより理解すれば、それを克服するための最適の方法を見つけられるでしょう。
・世間話の技術を学ぶ
世間話を嫌う人が多いかもしれませんが、社会的な交流の一部として必要なものです。恥ずかしがり屋の人にとっては、世間話は実際の人との交流をする練習の場として、人との交流に慣れるのに非常に役立つものです。『The Fine Art of Small Talk』の著者であるDebra Fine氏はいくつかの役立つ提案をしています。私はパーティでは、彼女の「状況と場所のルール」を好んで利用しています。イベントに出席したものの、知らない人との会話をどう始めれば良いか、あるいはどう続ければ良いかがわからない場合は、状況と場所がきっかけを思いつくのに役立つ可能性があります。Fine氏は以下のように記しています。
イベントの場所と状況は、いろいろな情報を与えてくれます。結婚式で、自分は新婦と大学のルームメイトだという場合なら、「新郎新婦とどのようにして知り合ったのですか?」などと聞くのです。セミナーや会議では、「なぜこのイベントに参加されたのですか?」と聞いて会話を始めるのが簡単で当たり障りのない方法でしょう。
もうおわかりかもしもしれませんが、パーティーで怖じ気づいてしまいそうな時は、この法則が基礎的な知識となることを覚えておいてください。また、彼女は会話を続けるために話が続く質問をすることを提案しています。例えば、休憩室で同僚と本当に話がしたいと思った場合は、社交辞令的な「調子はどうですか」ではなく、「今週末はどうされるご予定ですか」などが良いでしょう。
また、世間話をするにあたって「FORDテクニック」というものも調べました。非常にシンプルな技術です。家族(Family)、職業(Occupation)、娯楽(Recreation)、夢(Dream)という4つのカテゴリーについていくつかの質問を考えるのです。これらの質問を手元に用意しておけば、会う人と会話を続けられます。
少し練習をすることで、私は自分の臆病さを克服しましたが、まだ完璧ではありません。交流する予定があると尻込みしてしまうこともまだまだあります。私はおそらく、これからもずっと物事に少し臆するだろうことを受け入れています。とは言え、それは誰しも似たようなものでしょう。そして、それでいいのです。徐々にでいいのです。ほとんどの習慣がそうであるように、一晩にして克服できることなどないのです。
この問題をどう扱えば良いかまだ学んでいる最中なのですが、自分の殻にこもっているのがどんなに心地よいものであったとしても、スキルや認識によって自分の殻を抜け出しやすくなるでしょう。
Images by Shutterstock, Werwin15, Alex Mawashigerine, and Scottish Resilience Development Service.
- 言いたいことが言えない人―「恥ずかしがり屋」の深層心理 (PHP新書)
- 加藤 諦三PHP研究所