人生いつも三日BOSE

RHYMESTERと千田琢哉さんの著書をこよなく愛する三日坊主のブログ

幸せな退職

f:id:ysk_wtnb:20150328103405j:plain

 

金曜日に、3月いっぱいで退職をする人たちへの、送別会が行われました。

 

送別会とは言ってもお酒を飲んだりするのではなく、オフィス内にて退職する人へ社長からエールを送ったり、花束やお手製のアルバムなどを渡して号泣させるそんな送別会でした。

 

ぼくが所属している部署の方々も3人ほど辞めることになりました。派遣契約の満了だったり、転職だったり人によって事情は様々でしたが、みんな暖かく送りだされていました。もちろんみんな号泣。

 

それを後ろの方から眺めていたぼくは、ふと

「正社員の時にも、あんな風に暖かく送り出されなかったなあ…」

と思っていました。

スポンサーリンク

 

歓迎されなかった退職

何度か記事に書いていますが、2013年の5月に正社員を辞めました。うつ病一歩手前になり、仕事どころか私生活も満足にできなくなっていたぼくは、とてつもなく自暴自棄になっていました。

 

平社員のくせに、気に食わないことは店長だろうと副店長だろうと全力で噛み付く。その店長こそが、ぼくをうつ病一歩手前にした張本人でした。なので、なおさら全力で噛み付いていました。

うつ病一歩手前になった時の話はこちらをどうぞ。

 

ぼくが「辞めたい」と言っても「人手不足だから」とか「お前には期待しているから」などと言ってくる店長でしたが、前述したように、ぼくをこの状態にさせるきっかけを作った人間が目の前にいる。しかもぼくはもう辞める前提で働いているから、評価を下げられようと痛くも痒くもない。という気持ちから、上司に対してあるまじき言葉(さっさと辞めさせろって言ってんだろ!とか^^;)を平気で使っていました。

 

上下関係を無視する人間が職場にいる。しかも6年勤めているので、後輩社員も多い。後輩に悪影響を及ぼすことを恐れたのか、ぼくは所属店舗Aと近隣店舗Bを行ったり来たりする「ヘルプ要員」として退職月である5月を働くことになりました。

 

そして5月の勤務最終日、すなわち退職日。ぼくはB店へヘルプに行った状態で最終日を迎えました。

B店の店長は社交辞令のような「お疲れ」を言っておしまい。1ヶ月もいなかったB店では、そこまで仲良くなったスタッフもおらず、そこのスタッフから「今までお疲れ様!」というような言葉はもらえませんでした。くださいとも言ってないんですけどね。

さらにA店に関しては、もうぼくなんているんだかいないんだかよく分からない状態。完全に厄介者としてB店へ応援に出されていたんだろうなあ…と思いながらヘルプに行っていましたが、完全にビンゴだったんですよね。

 

そして6月。ぼくは、退職後に実家に戻りました。まあ1ヶ月ぐらいで東京に来るんですけどね。その時に、入社2年目の時に一緒に働いた上司から電話がありました。

「おーYoshiki、久しぶり!お前辞めたんだって?ゲラゲラ」

他愛もない会話をしただけでしたが、気を使われてないのが逆にとても嬉しかった。A店のメンバーからは1つも貰えなかった労いの言葉でした。

 

だから、ぼくは退職する際に「感動の涙」や「名残惜しさゆえの涙」などを流したことが無いんですよね。正社員の退職に関しては、ぼくもだいぶ破天荒な言動をした状態で辞めたのでしょうがないことだとは思います。反省しております。

 

だから、感動と名残惜しさゆえに号泣している人たちや、同じく号泣しながら送り出す側の人たちの姿を見て、ちょっと羨ましくなった金曜日の夜でした。

スポンサーリンク