敗戦直後の日本経済は、救済不能な状態だった。45年から49年までの間に物価は79倍になり、軍人の復員や海外の植民地に住んでいた日本人の大量帰国で食糧難や物資不足は深刻だった。こうした状況の中、韓国で戦争が起こると、日本の経済人の間からは「また神風が吹いた」という声が上がった。
6・25戦争開戦直後の8月25日、米軍は横浜に在日兵站司令部を設置し、軍需物資を大量に買い入れ始めた。米軍の軍需物資購入額は、50年から52年までの3年間で10億ドル(約1190億円)に達し、間接特需まで考慮すると、5年間で36億ドル(約4290億円)に達した。
トヨタだけでなく、現在グローバル大企業の座にある日本の大企業各社は、韓国特需で高速成長の機会を得た。6・25戦争当時、録音機用のテープを作っていたソニーは、戦争特需で電波探知機の需要が激増したことにより、売上と利益が爆発的に増えた。ソニーは、こうした成長の勢いに乗って54年にトランジスター・ラジオを開発、世界的な企業へと伸び上がった。韓国特需は、自転車メーカーのホンダをオートバイと4輪車のメーカーに押し上げ、松下電器、シャープ、日立、東芝、三菱、三洋なども爆発的な成長軌道に乗った。
「金日成(キム・イルソン)南侵のニュースは、日本人にとっては福音にほかならなかった。(中略)建築用鉄材をはじめ各種トラック、針金類、砂袋、歯ブラシ、せっけんに至るまで、値段を問わずマッカーサー司令部で買っていった」(元『文藝春秋』編集長、半藤一利『昭和史』より)