チームプレイとなれ合いの違い
個人プレイよりも、チームプレイが大事だよ!という話をすると、結構な確率で同意してもらえたりします。
個人のパワーだと限界があってもチームのパワーだと、かけあわせてすごいことになるんだぜ!という考えからなんですが、「わかりました!チームプレイをします!」といったときに、結構なれ合いにいっちゃうことがあるんですね。
当たり前ですが、チームプレイとなれ合いは違います。仲良よいだけでも意味がないわけです。
ビジネスマンとして、クリエーターとして当たり前なんですが、何かをするときには、アウトプットが求められるわけですね。チームの仲がいいとかは非常に重要ですが、アウトプットへの責任もある。責任を果たしていないチームは、チームとは呼べない、単なる仲良しグループになってしまいます。
ここが難しい。摩擦を恐れてしまう。というか、恐れているなら「摩擦を恐れるな!」というだけでいいんですが、無意識にアジャストしちゃうことも多い。そして、そのことに気づくのが難しいんですね。
うちの会社の場合
僕らは、中高とかの同級生が取締役という形だったんですが、一度、人材コンサルの人に入ってもらったときに言われたのが「君たちは、意見をアジャストしている」ということです。
そんなつもりはなかったのですが、たぶんそのとおりでした。なぜ気づきづらいかというと、全員が正しいことを言っているからです。
たとえば
- 「スピードは大事だ!」「その通りだ!」
という会話をしたあとに
- 「品質は高くなければいけない!」「その通りだ!」
という会話もしちゃったりするのです。当然、スピードも品質も大事なんですが、コンフリクトを起こしてたりするんですね。ただ、どちらも意見としては正しいので、わざわざ否定しないんです。
「品質を落とそう」というのは、割と勇気がいることなんです。普通、悪いことなので。
当然ですが、ここはアジャストしちゃいけないところなんですね。摩擦をしてでもチーム内で議論をしないといけない。スピードも品質もどっちも重要だよね〜、そうだよね〜、がんばろうね〜、になってしまっては、どっちつかずになってしまいます。
しかし、それを認識したあとに「きちんと優先順位を決めよう」となった場合、今度は「スピードのために品質はどうなってもいい」という極端な意見に流れたりもします。スピードのほうが優先だ!と決めるところまではいいんですが、そのあとに極論に流れる。まあ、極論に流れたほうが意思決定で楽できるんですね。
何かをするには、何かを捨てないといけない。しかし何かを捨てると判断したときに、0か100かの極論になってしまう…そういうことがよく起こったりします。
良いチームプレイというのは、こういう時に、常に摩擦が起こりつつも、悩みながらもなんとか一番いい形にしていく、という行為を、常にしているものではないか、と最近思います。どうしても、摩擦を恐れて正しい意見がすべて採用されて結果としてコンフリクトを起こしてたり、優先順位を決めたあとは、意思決定をシンプルにしようとして極論に走ったりしちゃうという。
このあたりを気をつけながらチームで仕事をしなければなーと思うこの頃です。