言葉は自分主張のためにある

日本の若者に対して講演する経験を多く持つ私には、かなり以前からある面白い傾向に気付きました。それは講演後の質問時間によく感じる傾向です。日本の若者は中国の若者のように我先にと質問しないことは容易に想像できますが、それよりも私の印象に残るのは質問の内容的傾向です。

中国の若者は成功のポイントや失敗の教訓などの個人へのアドバイスを求めるのに対して日本の若者の多くは組織のノウハウや会社の在り方をよく聞くのです。すべての外国の若者を調べた訳ではないのですが、たぶん、これが日本人と中国人との統計的相違ではなく、日本人と外国人との統計的相違だと思います。

「終身雇用は老害を産むだけ」、「無駄な残業をするな」、「嫌な会社を早く辞めろ」など、私なりの極論を語ると、だいたいこう聞かれます。「宋さんがおっしゃる問題はわが社にもある。そんな会社をどう変えればいいか」と。あるいは「わが社の手本になるような会社を紹介してほしい」と。

私は答えるのに躊躇します。答えないと失礼ですし、答えても彼らに関係のない話です。したがって少しだけ失礼をして「そんな質問は経営者に聞かれたい。あなたは会社を辞めたらいいのでは」と答えます。

しかし、このように答えながらも私には残尿感があります。すっきりしないのです。若者達は真摯な気持ちで聞いているかもしれません。私はとても彼らの役に立つような答えを持っていないのです。

個人よりも組織やグループを語るのは日本の教育に根差しているのだと思います。主語のない会話が飛び交う中、自分を語ることは空気が読めないと思われるため、空気や集団に従うことを優先し、自分の思いや都合を語る本能がどんどん低下していくはずです。

呼吸、歩行、思考と同様に、言葉は本来、他ではなく個人のためにあるものです。「私はお腹が空いた」「私は怖い」「私はあなたを愛している」・・・全部主語有りきです。主語の中の主語は「私」なのです。だから「第一人称」というのです。

若者には会社や国家のことを心配する余裕などはないはずです。自分がどうやって自分の給料を稼ぎ、僅かでも納税するかが何よりも重要だと思うのです。親のお金で教育を受け、入社してから会社に安住するための術を身につけるとは悲しすぎます。

大きな組織をどう改革すべきかを心配するよりもその大きな組織が崩壊しても自分が裏切られても自分が生きていける生存力を身につけることが先です。組織が倒れても強い個人が居ればすぐ新しい組織が生れます。「国破れて山河あり」と言うのですが、国は組織、山河は個人なのです。

下図はアジア圏のTOEFL平均点ランキングです(ETS発表による)。日本はアジア圏では31ヵ国中26位と低いのはいいですが、話す力は文字通り最下位の17点です。

<アジア圏TOEFL平均点ランキング>
http://www.soubunshu.com/upload/detail/image/E382A2E382B8E382A2E59C8FTOFELE5B9B3E59D87E782B9E383A9E383B3E382ADE383B3E382B0-thumbnail2.jpg.html

多くの人々がこれは英語教育の問題だと考えるかもしれませんが、私はこれが日本人の自己意識の欠如だと思うのです。話すことは英語など言語技術ではないのです。自分が如何に他人と違うかを表現する本能です。TOEFLという共通テストで日本人の自己意識の無さが露呈しただけです。自己主張に慣れていない人は他人の自己主張にも慣れないのです。

P.S.
また多くの方々からご批判をいただく記事を書いてしまいました。釈明するまでもなくこれが宋メールの特徴です。遠慮もなく、フォローもなく、取り纏めもしません。反論を期待しての一面的議論です。書きながら「そうでもないな」「こう反論できるな」と思いながら、優等生ぶりせず、批判されるための穴場を残すのです。日本人も中国人も千人千通りです。総称で語るのは乱暴ですが、それも一々解釈したりするまでもないと思います。
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