格差社会には、上と下がある。ふたつの世界で育った子どもは、何がどう違うのだろう。お金、教育、考え方……。同じ東京に住みながら、互いの存在をほとんど知らない。専門家がふたつの世界の「分断が進んでいる」と警鐘を鳴らすなか、もうひとつの世界に足を踏み入れた、2人の大学生に会った。

■「日本の貧困、知らなかった」ユミさんの場合

 「貧困は、海外の話だと思ってました。日本にもあるって知らなかった」。慶応大4年のユミさん(23)は言う。父は大学の教員で、母は小中学校の教師。東京都世田谷区の一軒家で育った。小学校は区立に通い、中高は都内で名の知れた私立の一貫校に進んだ。

 小学生の頃、近所の団地に住む子の家に遊びに行った。「うちより狭いな」と思った。団地より一軒家の方が「ランクが上」らしい。そもそも世田谷は、お金持ちが多いみたい。大きくなるにつれて、なんとなく理解していった。ただ、それ以上、何かを考えることはなかった。

 大学1年と2年の冬、フィリピンの貧困地域を訪ねるツアーに参加した。小学生の時に母から教わったユニセフの活動に興味があった。「貧困の子どもたちを助けたい」と、あの時は純粋に思っていた。でも「かわいそうな子を助ける」という「上から目線」だったなと、今は思う。

 人を助けるだけでは、彼らの生活は変わらない。変えるべきなのは、社会の仕組み。現地で暮らす子に会い、話し、初めて気付いた。そして、「日本にもこういう子がいるんじゃない?」と、疑問が湧いた。帰国後、検索サイトに「低所得 ボランティア」と打ち込み、調べ始めた。

 ちょうど同じ頃、母の勤務先が、貧困家庭が多い地域の小学校に変わった。低所得家庭には、学力が低い子が多いこと。風呂に毎日入れない子がいること。「やっぱり日本にも貧困はあるんだ」。同じ東京でも、地域が違えば世界が違うと、母の話で実感した。

 自分とまるで違う環境で育った子がいる。そう理解した時、ユミさんは、「見たい」ではなく「解決したい」と思った。

 すぐに、貧困家庭の子どもに勉強を教えるボランティアを始めた。都内で低所得家庭の中学生向けに開かれている無料学習教室だ。

 なぜ、近くにある貧困に気付かなかったのか。ユミさんは答える。「自分の周りは似た環境の子が多くて、貧困の子はいなかった」。友人の多くは今も、身近な貧困を知らない。

■母からの虐待、施設を経て…孝典さんの場合

 「僕たちは、すごく狭い世界にいた。今になって、よくわかります」。東洋大2年の久波(くば)孝典さん(21)は言う。

 幼い頃、両親は互いに暴力をふるっていた。小2の時、父はマンションから飛び降りた。母は働かず、久波さんへの態度は、激しさを増す。何時までにドリルを終わらせないと食事抜き。できるわけのない課題を出され、できないと殴られ、首を絞められ、下着姿で家から出される。家出を繰り返すようになった。