仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

親は無力です

連休最終日、長男の友達と先輩が遊びに来ております。3歳ぐらいの頃から知ってる子ばかりなんですが、気がつけば夫よりでかい。力でかなわないなんてレベルじゃなく、おっさんにしか見えんとですよ。いやー昔は抱っこしてよちよちしたこともあったのにと遠い目になるさっこさんですこんにちは。長男が小柄で170cmも身長ない上に細身の子だから、余計に他所のお子さんがごつくておっさんくさく見えるわ。女の子だったらどんな感じなんだろ。想像できないけど。

さて、成人式ということで昨日はTwitterに着物姿を自撮りしてアップする方がちらほらいらっしゃいまして「おーちょっと前まで中学生だと思ったらもう成人ですかー」と感慨に耽っていたわけですが、長男も2年後には成人式なわけです。Twitter始めた当時はまだ小6だったんだけど、子供の成長は本当にあっという間ですな。

子供というのは体の成長だけじゃなく知識も経験も積み重ねて目に見えてしっかりしてくるわけですが、その子供の成長に自分がどれだけ手助けしただろう?と考えたときにほとんど大したことをしてないんですよね。せいぜい学校の行事に出たり塾の送迎をしたぐらいの話なわけでして。

そう考えると「親として我が子にこんなことをしてきた」と自信を持って言えることが何ひとつないわけで「本当にこんな私が親になってよかったんだろうか?」となっちゃいましてね…。産んでやっただけありがたいと思え、なんて到底思えないし。

思い返せば我が子に与えてもらってばかりのような気がします。子供を産もうと思ったきっかけは夫が子供を望んだからですが、義姉と甥姪達の良好な関係を目の当たりにして「こういう親子っていいな」という憧れを我が子に反映しようと思ってたんじゃないかなと。そしてその望みどおり大人になった我が子と穏やかに、楽しく語り合える関係に手が届きそうになっている今、自分の憧れという望みに我が子を付きあわせてよかったんだろうか?なんて思うわけですよ。

そりゃあいがみ合う親子関係よりはずっといいに決まってるんですが、ただそれだけのために産んだの?みたいな。成人するのはもうちょっと先ですが、この春から社会人となる長男を眺めてるとなんだか申し訳ない気持ちになるのです。いっぱいいっぱい幸せを与えてもらえたのに、母ちゃんからは何にも与えてあげられなくてごめんな、という。我が子が独り立ちすることで自分の至らなさにあらためて気づくのだとしたら、親はその無力感とどう向き合っていけばいいんでしょうか。などとまだ我が子が独り立ちする前から考えてしまうさっこさんでした。