コウモリの世界の図解

ナンパしたフランス人と同棲する高卒ニートの整理と極論

リアル偏重型の自分が理解した、ネットとリアルの違い

概要

・ネットではディスコミュニケーションが多い。
・割り切り型の対応策は二つ。投資と期待値を下げる。
・ネットでは出会える人の幅が広い。
・ディフェンス型の対応策は、安全マージンを設定したゾーニング。


あけましておめでとうございます。

インターネットで何かを発信すること。
インターネットで知り合った人と繋がること。

僕にとっての2014年は、そういう経験を積ませて頂いた年でした。
これまであまりネット活動をしていなかった僕にとって、昨年はインターネット元年とも呼べる年だったように思います。

そして正直なことを言えば、このネット活動によって、僕の自負が良くも悪くも「打ち砕かれた」年でした。

打ち砕かれた自負

僕の自負。
これまで僕は、ヒッチハイクや塾講師やナンパなどを通して、「多数の人と話す機会を持つ」ことを心掛けて生きてきました。そのため、自分はけっこう色んな人に出会ってきたぞという自負があったのです。
ヒッチハイクで日本一周し、幾つかの塾を渡り歩きながら講師として授業評価や成績向上率などで全国1位を獲得していき、ナンパした女性と同棲するに至る。それぞれの活動で、自分なりの「結果」と呼べるものを掴んできたつもりでした。

僕の人生の進め方は、そのときどきで自分が欲しいと望む「能力や関係」を掴むために特化しています。
ヒッチハイクでは、見知らぬ人と話せるようになること。
塾講師としては、見知った人と話し成長を促すこと。
ナンパでは、生涯をかける相手を見つけること。
そうやって自分の中では、「短期ー中期ー長期」の関係を目標として、一歩ずつ「人と関わること」が上手くなるための階段を上ってきたつもりでした。

けれども昨年、初めて本格的にネット活動をするようになって、たくさんの失敗がありました。その中で、まだまだ自分には不足しているものが多いと思い知らされました。簡単に言えば、ネットとリアルの違いを意識して、その都度でコミュニケーションスタイルを変更することが必要だと感じたのです。そこで2015年を迎えるにあたり、昨年の失敗を通して学んだことをまとめてみようと思います。

ネットではディスコミュニケーションが多い

インターネット上では、「誤解」のようなディスコミュニケーション率が高いという特徴があるように思いました。
具体的には、ディスコミュニケーションの発生と増幅と可視化の各段階においてリアルよりも高い比率となってしまうことを、次のように考えています。

ディスコミュニケーションの発生と増幅:見えない相手

ネットコミュニケーションの中心は、言語情報です。そこでは、声色や表情や姿勢などの非言語情報が極めて少ない中で相手とやりとりをする必要があります。つまりリアルコミュニケーションに比べて「情報量が圧倒的に少ない」ため、そもそもの誤解が発生しやすいようでした。

またリアルコミュニケーションに比べて、ネットコミュニケーションでは相手とのラポール(会話の前提となる最低限の信頼関係)を築くことが難しくなっているように思いました。
身体を広げ。ゆっくりと。落ち着いた声で。
聴く・話すために、たったそれだけの非言語情報で形成できるハズのラポール。それが形成されていないために、ちょっとした誤解や行き違いが増幅されてしまう場面が多かったように思います。

逆に言えば、リアルコミュニケーションに重点を置いていた自分のスタイルは、非言語情報によるラポール形成に大きく依拠しているのだと気付かされました。昨年、ネットでの僕を知った後にリアルでの僕に会った人の多くは、「ぜんぜん思っていたのと違う」という感想を伝えてくれました。彼らはみな、良い意味で裏切られたと言ってくれました。もちろんそう言ってもらえること自体は嬉しかったのですが、それだけに、リアルで自分が表現していることと同じレベルでの表現をネット上でも行うための能力が不足していることを痛感した年でした。

ディスコミュニケーションの可視化:知らない相手

加えて、インターネット上では、見ず知らずの人とやりとりすることが容易です。そのため、自分の正体を知られない事やその場限りのやりとりである事を良いことに、他人に対して唾を吐きかけるような言葉を投げる人もいるようでした。最近のtwitter上では、このような唾吐き言葉を「クソリプ」と呼ぶようです。

この、自分の正体も知られずその場限りであれば何をしても構わないという「旅の恥はかき捨て」精神は、日本的文化なのか人類固有の性質なのか分かりませんが、けっこうな頻度で現れるもののように思いました。

見ず知らずで縁のない相手に対しては、クソリプのような形で、その誤解や行き違いを表現しやすい。そのため、リアルでは表現されないまま・お互いに気づかないままで終わるようなディスコミュニケーションが可視化される場面も多い。このことはネットの面白さでもある反面、気を付けなければいけないものであるようでした。

対応策:工夫することと割り切ること

そのため、ディスコミュニケーション率を下げるために工夫を凝らす一方で、あるていど割り切ってしまうことも必要だと感じるようになりました。
具体的には、次の2点です。

1、コミュニケーションへの投資:支払平均コストを引き下げる

ネットではリアルと違って、相手が自分とのコミュニケーションにどれだけのコストを支払うつもりがあるのか見えません。こちらに顔を向けているのか、ゲームをしながらなのか。略読か精読か。
それが見えない以上、リアルに比べて基本的な支払平均コストを圧倒的に下げることが必要なようでした。
簡単に言うと、こういう感じ。
ぜんぶに誠実な対応してると死ぬから適度に無視ろう!

2、コミュニケーションへの期待値:許容成功率を引き下げる

ネットではリアルと違って、ディスコミュニケーション(失敗)の比率が高いのだから、そもそもの期待値を低く設定しておく必要があると思いました。例えば今は、下記のようなモデルで考えています。
家族や恋人とのリアルコミュニケーションにおける許容成功率は90%
見知った友人とのリアルコミュニケーションにおける許容成功率は80%
見知らぬ相手とのリアルコミュニケーションにおける許容成功率は60%
見知らぬ相手とのネットコミュニケーションにおける許容成功率は30%
自分の許容成功率に満たないときは何か改善点を探すべく追加コストを支払うべきですが、許容成功率を満たしている限りにおいては特に気にする必要はないと考えています。
簡単に言うと、こういう感じ。
まあ細かな行き違いを気にしてもしゃあないっしょ!

ネットでは出会える人の幅が広い

また、ネットではリアルに比べて出会える人の幅が広いということも、(今更ながらですが)注意しなければいけないことのようでした。

僕はこれまで、「変わった人」「おかしな人」との出会いを重視していました。変わった人との出会いには多少のリスクがあるものの、そこでの経験が自分の視野を広げて人間というものに対する見識を深めると考えていたからです。それに、僕自身が「変わってるね」と言われることの多い人間であるため、変わった人に対してある種の共感というかマイノリティ同士の連帯感のようなものを感じることが多かったからです。

安全マージンを取って自分をゾーニングする

ただ、そうやって「変わった人」に向けてアンテナを立てていると、ネットでは「とんでもなく変わった人」に当たってしまい、自分が対応できる範囲を超えたリスクを抱えることがあると気づきました。特に昨年は、「地位もお金も気にしないからガンガン面白そうなことにつっこむぜ!」と思っていた自分にとって、守るべきものがあるのだと気付いた年でした。様々な事件を通して、無暗にリスクがあるところに飛び込むだけではなく、それなりに安全マージンを取ることも必要なのだと思い知らされました。

また、ネットで知り合った人たちと関わりを持つことで気付かされたのは、僕が愛しているのは「まっとうに暮らしている普通の人のちょっと変わったところ」なのだということでした。ありふれた日常にある、ちょっとしたおかしみ。そういう、小さな起伏を大きく楽しめる人に、すごく共感していることに気付きました。20代のうちは焦りすぎていて気付かなかったのか、それとも同棲させてもらっている人の影響なのでしょうか、自分が「落ち着いたモノや落ち着いたヒト」を好んでいると分かったのは良い発見でした。

そういうわけで、ネットではあまりに幅広い種類の人とのエンカウントがありえるため、自分の受け取る情報や関わる相手を適度にゾーニングする必要があるなーと思いました。

まとめ

なんか、小学生が学校で習うような当たり前すぎることばかり言ってすみません。
ともかく。
今年は、できるだけ多くの人との新しい出会いを大切にしつつも、その前提として、自分が守るべき身近な人に迷惑をかけない範囲に安全マージンを設定したゾーニングだけは忘れないようにしようと思っています。
んで、ネットには投資と期待をしすぎず適度な距離を持つようにしようかなーと思っています。

よろしくお願いします。