ボンタイ

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格差社会をなくすために年収1000万以上は専業主婦を禁止すべきだ

 今の日本の格差社会の大きな問題は、富裕層に富裕層の自覚がないことにある。

 

 戦後長らく「国民総中流」の時代があったために、その中で庶民的に生まれ育ち、あとで成り上がった人や、公務員のように生活水準が下がった訳ではないが回りの民間人がどんどん落ちぶれて行ってしまい相対的に豊かになってしまった人たちには、富裕層の自覚はない。

 

 実質的にお金持ちなのに「うちはそんなことはない」と庶民を装う人間は多い。これはとても罪深いことだと私は思っている。

 なぜならそれは第一に、ノブレスオブリージュの履行放棄を意味しているからだ。

 たとえば昭和の時代の日本では、公務員や学校教師は率先して地域活動をしたり、教え子を卒業後も生活面の面倒を見たりした。寄附などの金銭的なチャリティーも熱心にやっていた。公務員が好待遇なのは、その奉仕活動をするための「ゆとり」をもたせるためでもあるからだ。しかし平成時代の公務員はどうだろう。酷い体たらくである。自治会町内会すら何もしないし、休日はパチンコに行ったり、コミケで同人誌を買いあさるオタク公務員もいる。

 公務員には公務員なりのノブレスオブリージュがなければいけない。それを若手のがしないのであれば、彼らのリストラ策を進める必要がある。どんどん使えない人間を切り、出来る限りみんな民営化や委託事業にしてしまえばいいのだ。

 そして、そんな公務員ですら羨むような「お金持ち」はなおさら庶民を偽る必要などない。金と暇がたんまりあるのならノブリスオブリージュに投資して然るべきである。だが、それを放棄する免罪符が「庶民」を装うことに繋がっている現実がある。

 たとえばマスコミ関係者ほど世間からの既得権批判に対しては「私らだって家のローンや子どもの学費があって苦労している」などと言い訳をしているが、その住んでいる家が一等地の大御殿で、カーポートには高級欧州車のSUVがあり、子どもは慶応大学に通っていたりするのだから、言い訳は恥の上塗りである。

 

 とはいえ、重要なことは、富裕層であること自体は悪いことではないという事実だ。

 反富裕層運動というのがあったらしいが、こんなトンデモな主張は共産主義者の間でしか通用しないだろう。そうした連中の発想は、貧困層当事者の語る実態とはかけ離れている。

 

 さて今の日本の実情を考えてみよう。

 真摯に努力した人間が金持ちになることは全うなことである。

 しかしそうするとどうしても格差は生じてしまうし、現に広がっている。

 行政は再分配をするほど税収がなく、少子高齢化である以上は一時的な好景気があろうが抜本的に財政事情が好転する見込みはない。

 

 その中であるべき社会の向上策というのは何か。

 第一に、努力せずに肥えている「既得権」やその取り巻きの団体なくし、再配分を装ったゆがんだ利権政治行政を消滅させて努力評価の適正化を図ること。

 第二に、豊かさを享受する人間が社会貢献を行える環境を整備することだ。

 

 そこで一つの案があるのだが、年収1000万以上は専業主婦を禁止すべきではないだろうか。

 そもそも現代の専業主婦自体は勝ち組だ。平成以降の不況下で子育てを行った世代(50代以下)では共働きが普通である。「庶民の専業主婦」は、豊かな時代を生きた60代の団塊世代以上に限られている。つまり、現役世代で専業主婦というと、それだけで生活実態が庶民外れているこおとは確実だろう。ところが、その家の女性配偶者は庶民のふりをしているために、専業主婦をやっているのだ。

 

 これは世界的に見て異常なことではないか。富裕層が配偶者を家政婦扱いしている国なんて日本以外にどこにもないのである。後進国から見ても滑稽なことだし、欧米から見れば本来対等なパートナーであるべき女性を下僕扱いする人権侵害以外の何物でもない。

 

 年収1000万以上の富裕層の女性は、家事を禁止してはどうだろう。

 家政婦を雇うのである。そうすれば家事代行業者の雇用につながるのである。食事は外食をすればいい。すると外食産業が伸びる。

 すると平日、膨大な暇が出来あがるのだが、それは同じような富裕層のママ友と旅行に行けばいい。結果、普段はひっそりとして高齢者グループしかいなかった平日の観光地におカネを持った女性が群がることになる。女性向けの雑貨店が平日も店を開けるようになり、儲かるほど地域経済が豊かになり、観光促進につながるのである。

 

 年収1000万以上の富裕層なのに家事をやっている女性は罪深いし、一番ひどいのはそれをやらせている旦那である。

 家事を街に置き換えればわかる。子育ては「保育園」で、ゴミ捨ては「処分場」だろうか。みんな建設反対運動の起きる迷惑施設である。つまり、やりたくない仕事を背負わされ、固定給を貰うことなく奉仕しているのが専業主婦の実態だ。それに拍車をかけているのが、あろうことか女性向けの雑誌やドラマや漫画の煽る「愛する人への手作り料理」信仰である。こんなものがあるから、料理が下手な女性も無理して旦那に食事を提供せざるを得なくなるのだ。

 

 近代以降、日本では多くのサービスは、はじめはお金持ちの間で広まり、やがて中産階級に伝わって下流層が当たり前に利用するようになった。マクドナルドだって1号店は銀座三越の軒先と言う一等地にあったし、デパートも戦前は都会の富裕階級しか足を踏み入れられる場所ではなかった。

 もし年収1000万以上の富裕層の女性が「主婦業の民間委託」を行えば、お掃除本舗のような清掃サービスが儲かり、育児ビジネスも活性化し、外食や旅行業も盛んになる。奥さんが暇を利用してボランティア活動をすれば、旦那の代わりにノブレスオブリージュの履行ができる。そしてそういうそれぞれの事業の市場規模が厚みを増せば、やがては庶民やマイルドヤンキーも気軽に利用できるようになるのである。

 そうすれば、ごく普通の女性が波の生活水準を得るためにデリヘル嬢になるような必要もなくなる。全階層の雇用事情もQOLも改善できるようになる。

 

 もっと言うと、家事から解放されれば、キャリアを重ねたエリート層女性がそもそも仕事を辞めずに済むわけでもある。そのお蔭で、研究開発やビジネスの世界でもっと逸材が増えたりするんじゃないかと思う。年収1000万以上は家事を禁止すべきだろう。

 

 先進国の富裕層が労働よりも私事に重きを置くなんていうバカな国が、平成日本以外にどこにあろうか。