ジョブなき年功制の廃止とは?
昨日の政労使会議について、マスコミ各紙はもっぱら安倍首相が年功賃金の見直しを要請したという点に着目していますが、
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/26-1st/gijisidai.html
現時点ではまだ、議事要旨も記者会見要旨もアップされていないので、新聞報道であれこれ論ずることは控えておきますが、提出された資料からそれに関係しそうな所をいくつかピックアップしておきましょう。
まず、内閣府提出資料の「経済の好循環実現に向けた政労使会議の再開について」に、こういう一行が含まれています。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/26-1st/siryo1.pdf
2)労働の付加価値生産性に見合った賃金体系の在り方
これをパラフレーズするのが、高橋進さんの「政労使会議の方向性」という資料で、
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/seirousi/26-1st/siryo3-1.pdf
「2.労働の付加価値生産性に見合った賃金体系の在り方」というタイトルの下に、
賃金の絶対額のみならず、賃金構造(賃金体系)も合わせた議論が重要。
①少子化問題、 ②消費の拡大、 ③シニア層の雇用機会拡大、④非正規労働の正規化などの諸課題を解決するためにも、戦後形成された年功序列型賃金体系を見直し(賃金カーブの見直し)、労働の付加価値生産性に見合った賃金体系(職務内容・役割・成果等に応じた賃金)に移行することが必要ではないか。それにより、子育て世代の処遇が改善され、子育てしやすい環境の確保ができるのではないか。
また、賃金体系の見直しは、非正規労働者の正規労働者への転換及び非正規労働者の処遇改善につながるのではないか。
賃上げを考える場合も、子育て世代に厚くする機運を醸成することにもつながるのではないか。
これがまさに安倍発言の元シナリオですね。
年功賃金問題をそれだけでしか考えられない人は例によってそこだけ取り出してあれこれ言ってますが、言うまでもなく雇用システムはシステム論的に考えなければなりません。この問題を考える上では、5年前の拙著で書いたことですが、なぜ戦後日本で賃金制度が年功的でなければならなかったのか?をちゃんと理解する必要があります。
年功賃金制度
次に、年功賃金制度や年功序列制度について考えます。もし日本以外の社会のように、具体的な職務を特定して雇用契約を締結するのであれば、その職務ごとに賃金を定めることになります。そして同じ職務に従事している限り、その賃金額が自動的に上昇するということはあり得ません。もちろん実際にはある職務の中で熟練が高まってくれば、その熟練に応じて賃金額が上昇することは多く見られますし、それが勤続年数にある程度比例するという現象も観察されますが、賃金決定の原則が職務にあるという点では変わりありません。これが同一労働同一賃金原則と呼ばれるものの本質です。
これに対して、日本型雇用システムでは、雇用契約で職務が決まっていないのですから、職務に基づいて賃金を決めることは困難です。もちろん、たまたまその時に従事している職務に応じた賃金を支払うというやり方はあり得ます。しかし、そうすると、労働者は賃金の高い職務につきたがり、賃金の低い職務にはつきたがらなくなるでしょう。また、賃金の高い職務から賃金の低い職務に異動させようとしても、労働者は嫌がるでしょう。これでは、企業にとって必要な人事配置や人事異動ができなくなってしまいます。その結果、職務を異動させることで雇用を維持するという長期雇用制度も難しくなってしまいます。そのため、日本型雇用システムでは、賃金は職務とは切り離して決めることになります。その際もっとも多く用いられる指標が勤続年数や年齢です。これを年功賃金制度といいます。これと密接に関連しますが、企業組織における地位に着目して、それが主として勤続年数に基づいて決定される仕組みを年功序列制度ということもあります。
もっとも、現実の日本の賃金制度は、年功をベースとしながらも、人事査定によってある程度の差がつく仕組みです。そして、職務に基づく賃金制度に比べて、より広範な労働者にこの人事査定が適用されている点が大きな特徴でもあります。
企業側がどんな仕事でもやれと命令する強大な人事権を持っていることを大前提にすると、その下で職務給を採用するということは、企業にいくらでも好きなように賃金を左右する権限を与えることになります。
戦後、経営側があれだけ職務給にすべきだと論陣を張っていた時期もあったのに、それが結局尻すぼみになり、どこかへ消えていってしまったのは、無限定な配置転換の権限を失うことだけは絶対にできないという強い反発があったからでしょう。
逆に言えば、年功制というセーフティネットがあったからこそ、労働者側もどんな配置転換も素直に受け入れてきたわけです。
では今はどうなのか?企業側は本気で、年功賃金制の前提であった「空白の石版」型雇用契約の自由度を捨てる覚悟があるのでしょうか。欧米流に、一度契約で決めたら、合意がない限り中身を変えられないという「硬直的」な仕組みを受け入れる覚悟はあるのでしょうか。
今年初め以来の労働時間規制をめぐるドタバタ劇を見るにつけても、どうもその覚悟を決めたようには全然見えません。
しかし、雇用契約は「空白の石版」のままで、そのコロラリーに過ぎない年功賃金制だけ見直そうなんて都合の良いことがどこまで通用するのか、もう一遍じっくりと考えた方がよいように思います。
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