もさもさしてても仕方がないので書く。これは趣味のブログです。
何回目のループだよっていう「文章力」の話なのですが、この「文章力」の正体がチラっと見えた気がしました。早い話、文章力っていうノウハウやスキルがあると勘違いしている人が盲信している見えない幻想だってことです。
そもそも文章って言葉がないと書けません。当たり前ですがいろんな言葉を知らないといろんなことは表現できないのです。これめちゃくちゃ大事。当たり前体操。当たり前田のクラッカー。言うまでもない。そういうたくさん言葉を知っていて使用する力を日本語では「語彙力」って言います。あくまでも目安ですが語彙力を図れるものもあります。
じゃあ語彙力を高めるために何をすればいいかって言うと、本を読んだり人と話をしたりなど直接言葉に触れる以外方法はないと思うのです。知らない単語があればすぐ国語辞書をひくのも非常に大事です。もちろんただ知っていればいいかと言うとそうでもなくて、適切に言葉が扱えるようになって初めて語彙が豊富というのだと思います。やたらめったら四字熟語を覚えていたところで、使いたいときに出てこなければ「身についている」とは言えないです。
つまり文章を書くにはたくさんの言葉の中から適切な言葉を選ぶ、という作業がまず行われるわけなのです。日本語にはたくさんの表現があります。似たような動作でも転ぶ、転倒する、つまづく、倒れる、崩れ落ちるなどたくさんの言い回しがあり、その取捨選択を常に行って文章が書かれます。これは随想的な文章もアカデミックライティングでも同じです。まずは「言葉を選択して適切につなげる」ことが大事なのです。
個人的に随想でも論文でも「論」と「根拠」さえあればそれなりに見栄えのする文章になると思っています。「たかしくんがりんごを買ったのはお腹がすいていたからだ」は「りんごを買った」と「お腹がすいていた」がくっきり理由説明になるから違和感がないのです。「たかしくんは卵焼きが食べたい気もしていたがサッカーがしたい気分だったので体育館に行ってゲートボールをした」とか文の中で何がメインで、たかしくんが何をしたいのかさっぱりわからない。たとえたかしくんが本当にそういうことを考えていたとしても、非常に読みにくい文章になっている。難しい言葉を使っていたとしても、適切につなげなくては意味がないのだ。
つまり、語彙を身に着けて適切に使えるようにするのが第一番なのに「結論から先に書こう」*1とか「インプットアウトプット大事」とか小手先のテクニックばかり見ているからいつまでたっても上達しないわけなんですよ。マラソンで速く走るためのペース配分とか筋肉の動かし方とかいくら覚えたところで、基礎体力がないと話にならないじゃないか。
「学校の作文と論文は違う!」と言いますが基本は同じところから始まります。適切に主語と述語を用いてすっきりとした文章が書けるか、独りよがりな文になっていないか、正しく語句をつかえているか、とかそういう基本のキすら現段階の作文教育では不十分な状態です。なぜかって学校の先生はやっぱりえんうわなにするやめ
*1:先に書いたら結論じゃなくない? 序論と結論を一致させるんじゃないの?