韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だったと言っても韓国政府に通じない理由
この手の議論には参戦したくはないし、する気もないが(原理的に不毛だからということをこれから説明する)、このところなんどかツイッターとかで見かけたブログの話題に、韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だった、というのがあった。
そういうネタを書く人々のことがまったく理解できないわけでもないし、いやそれは違うと反論したいわけでもない。だがそれ以前に、そのネタ話は、原理的に韓国政府に通じない理由は、はっきりしておいたほうがいいんじゃないかとは思った。ネタを真面目に受け止めている人が多そうなである。
ところが、ネタを正す話になるとあまり見かけないように思う。ネットだとどうしても反韓か反日みたいな紅白歌合戦風になってしまうので、しかたがないのかもしれない。簡単に概要だけはメモしておきたい。
このネタ話だが、前提を簡単にまとめておく必要があるだろう。曰く……戦前の朝鮮半島は日本の領土であり、その地の市民は日本国籍であり、志願兵は日本兵である。だから、朝鮮人も朝鮮民族国家も日本の侵略戦争の被害者ではなく共犯者だ……という枠組みである。
私としはその話にはさほど関心ない。現在の日本から見るとそういう見方もありうるだろうなというくらいである。それが歴史観であれば、よほど史実に反する歴史修正主義というのでなければ人それぞれなんで、いろいろあるでしょうということだが、現存の国家間の関係にその歴史観を持ち出しても、まったく意味はない。
なぜ意味がないかというと、日本を知るには日本を構成(constitute)している憲法(constitution)を知らないといけないが、同じことは韓国にも言える。そこで、韓国という国がどういう国なのかというのと、外交とかの次元でいうなら、その国の憲法による自国規定を見ないといけない。それを見たら、簡単にわかることである。
韓国、つまり大韓民国の憲法で韓国はどういう国となっているかだが、日本国憲法の前文同様、韓国憲法の前文を見るとはっきり書いてある。なお原文は朝鮮語でおそらくオンモンで書かれているし、以下の訳文はちょっと手間を省いてウィキペディアから拾ってきたものなので、間違いがあるかもしれない、ということを念頭に置きつつ、引用する(参照)。
悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して正義、人道と同胞愛を基礎に民族の団結を強固にし、全ての社会的弊習と不義を打破し、自律と調和を土台とした自由民主的基本秩序をより確固にし、政治・経済・社会・文化のすべての領域に於いて各人の機会を均等にし、能力を最高に発揮なされ、自由と権利による責任と義務を果すようにし、国内では国民生活の均等な向上を期し、外交では恒久的な世界平和と人類共栄に貢献することで我々と我々の子孫の安全と自由と幸福を永遠に確保することを確認しつつ、1948年7月12日に制定され8次に亘り改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票によって改正する。
ポイントは「3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」である。つまり、韓国(大韓民国)は、大韓民国臨時政府によって作られた国家であるということになっている。
この大韓民国臨時政府というのがいつできたかというと、「3・1運動」として明記されているように、1919年、日本でいうと大正9年である。朝鮮の暦法でいうと檀君紀元4252年あるいは主体8年、あるいは「大韓民国」という年号があって、当然大韓民国元年になる。
いわゆる韓国併合が1910年なのでその9年後にこれを認めない大韓民国という国家が臨時政府という形でできた、ということになっている。
1910年に臨時政府ではあるが建国した大韓民国がどこに出来たかというと、上海である。
それから中国各地を転々として、1940年(日本では昭和15年)に重慶に移り、大韓民国の軍部として光復軍総司令部を設立し、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)を宣戦布告した翌日、大韓民国は日本政府に向けて、対日宣戦布告した。大韓民国は日本と戦争していたのである。
その後は、大韓民国軍と日本軍との戦闘があったのではないかと思われるが、そのあたりの史実の評価は難しい。いずれにせよ、韓国ではそういうことになっているということだけ確認しておく。
日本と戦った大韓民国は日本に勝利したということになり、今日の大韓民国を朝鮮南部に樹立し、現在に至る、ということになっている。
つまり、大韓民国はその憲法によれば、日本に対して戦勝国だし、被害者である。まして共犯者であるわけはない。
そういうふうに自国を規定した韓国に、日本から、韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だったと言っても、通じるわけがない。
ちなみに、大韓民国臨時政府が朝鮮半島南に移るまでの経緯だが、概略は以前も記したが、こうなっている。
1945年8月15日に、日本はポツダム宣言を受け入れたが、朝鮮半島でのその統治機構である朝鮮総督府の統治は継続していた。日本の敗戦は本土では9月2日、沖縄は9月7日、そして、これに続いて朝鮮総督府が米軍との間で降伏調印したのが9月9日である。
この間にはややこしい経緯がある。日本は8月15日以降、朝鮮総督府の統治機構を朝鮮市民に移譲しようとした。具体的には、17日には朝鮮市民側の建国準備委員会に権限を委譲し、その結果、ソウル市中では太極旗の掲揚が推進された。
ところがこれと並行して米軍は、16日の時点で暫定的な朝鮮統治を、日本の朝鮮総督府に命じていた。日本としては米軍の命令に従うしかなく、統治権限は18日には再び総督府に戻され、一日限りの太極旗も日章旗に戻った。
なぜ米軍がクチをはさんだかというと、米国としては朝鮮が日本から独立したという形態を避けたかったらしい。なぜそれを避けたかったについては諸論ある。連合国による分割の問題も関連はしていだろう。
その後、連合国としては、南北朝鮮で総選挙を実施し朝鮮統一政府を樹立させようともしたが、ソ連の反対により頓挫した。しかたなく米軍は、韓国だけで1948年5月10日に憲法制定国会の総選挙を実施させ、この結果、「大韓民国臨時政府」の李承晩が初代大統領なり、1948年8月13日に大韓民国が建国した。なお、現代韓国では、この日は、日本の終戦の日に合わせて2日ずらして15日なっている。
この韓国側から見た韓国の歴史を世界がどう見ているかというと、支持している国は存在しないようだ。経緯から見ても、米国も認めていない。では間違いかというと、歴史学的には間違いと言ってもよいのだろうと私は思う。そもそも大韓民国臨時政府による対日宣戦布告も他国に認められていないはずだ。
とはいえ、ではそれは「嘘歴史」というと、主権国家である韓国が憲法がそのように規定しているのだから、その歴史観に他国が外交上はとやかく言うことはできない。
韓国としてはそれを自国歴史として整備するのも自然だし、それを韓国国外に理解を広めたいと願うのも自然である。
中国も理解を示している。中国国務院は今年、浙江省杭州時代の大韓民国臨時政府庁舎遺跡を含む国家級抗日戦争記念施設および遺跡とした。これには、1932年日本による天皇誕生日(天長節)式典で日本人要人を爆弾で暗殺した尹奉吉を称える記念館も含まれている。
こうした動向を大韓民国が日本にも広めたいとするのも、それはそれで自然ななりゆきと言えるだろう。日本がその歴史を認めれば、日本国内でも「韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だった」とは言えなくなるだろうし、案外それが最終的な目的なのかもしれない。
とはいえ、歴史的に見れば、現行の大韓民国憲法の自国規定にはちょっと無理があるのではないかという意見もあるだろう。仮にそうだとするなら、どうすればよいかというと、韓国の憲法を改定してもらうという方向性もある。現行憲法前文にもあったように、「1948年7月12日に制定され8次に亘り改正された憲法を再度国会の議決を経って国民投票によって改正する」ということで、こうした韓国の建国の考え方は、1948年に国家が成立してからしだいにその国民史観にそって組み上げられてきたものだ。最初からあったとも言いがたい。
今後、こうした面をことさらに強調することもないと韓国市民が考えるなら、日本国憲法ほど硬性憲法でもないなので、また韓国憲法は改定できる。しかし、当然だが、そうしてくださいと他国が言えるものでもない。
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