遊ぶように働く社長のほぼ日刊ブログ

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駅前でちょい飲み!ヱビスバーは昼も夜も楽しめる酒場

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仕事で京都に行った日は必ずと言っていいほど「YEBISU BAR 京都ヨドバシ店」へ寄ります。このお店にはスパイスが絶妙な大人のポテトサラダ、北海道産知床鶏のチキンバスケット、そしてヱビスとの相性を考えて厳選されたソーセージなど、ヱビスビールに相性の良い料理が揃っています。


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夜一人で行くことが多いのですが、休日、お昼からヱビスが飲みたくなったら、嫁と2歳の息子を連れていきます。


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琥珀ヱビス

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私のお気に入りは、写真の「琥珀ヱビス」(税込567円)です。キレ、コク、苦味、すべて一級品です。私の中ではプレモルを超える最高のビールです。とにかく味が濃い。麦芽の量が多いんだと思います。また、「琥珀ヱビス」は味だけでなく、グラスに入れて目でも楽しめるビールです。


サッポロ 琥珀エビス 350ML × 24缶

サッポロ 琥珀エビス 350ML × 24缶


料理

牛タンシチュー

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私は「牛タンシチュー」が好きです。とろけそうな柔らかいお肉が絶品です。


中落ちカルビのサイコロステーキ丼

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お肉の歯ごたえを感じつつガッツリいくなら「中落ちカルビのサイコロステーキ丼」です。追加料金なしでご飯を大盛りにできます。また、中央には半熟卵が添えられています。



YEBISU BAR 京都ヨドバシ店

●住所:京都府京都市下京区烏丸通七条下ル東塩小路町590-2 京都ヨドバシビル1F
●アクセス:JR 京都駅 徒歩3分/地下鉄烏丸線 京都駅 徒歩3分
●TEL:075-353-2201


おわりに

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うちの息子、まだ2歳なのでお酒は飲みませんが、エビスバーの「牛タンシチュー」が大好きです。「今日は何が食べたい?」と聞くと、いつも「ぎゅうたん、ぎゅうたん」といいます。かわいい息子です。


おまけ

ヱビスビールの歴史(サッポロビールWEB SITEより)

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1887 (明治20) 年前後になると、ビール事業の将来性に期待する資本家などが大小様々なビール会社を設立するようになりました。サッポロビールの前身である「日本麦酒醸造会社」もまた、中小の資本家によって現在の東京・銀座に設立されました。しかし、大掛かりな設備を要するビール事業には十分な資本が不可欠で、日本麦酒醸造も、翌年、三井物産会社の資本参加による増資によってようやく醸造所の建設と製造にこぎつけることができ、1890 (明治23) 年に第1号となる「恵比寿ビール」を発売しました。


国産とは言うものの、原料も、設備も、技術者も、本場ドイツからそのまま移転させて製品化したような「恵比寿ビール」は、まさに本格的なドイツビールで販売直後から評判を呼びました。1893 (明治26) 年に、日本麦酒醸造は「日本麦酒株式会社」に社名を変更します。翌1894 (明治27) 年に勃発した日清戦争を契機にビールの消費量が急激に増大すると、日本麦酒は積極経営に転じて増資を行い、設備の更新と拡張で増産体制を確立。この積極策が実を結び、当時、偽ビールが出回るほどになっていた「恵比寿ビール」の人気と相まって日本麦酒は日本一の製造量を誇るビール会社に成長しました。急増した製品輸送の便を図るため、1901 (明治34) 年に貨物専用の「恵比寿停車場」が設置されると付近の都市化と人口の増加が急速に進み、やがて旅客も扱う駅となり、1928 (昭和3) 年には付近の地名は「恵比寿」となりました。


こうした成長の陰で手腕をふるったのが当時の経営トップだった馬越恭平でした。のちに「東洋のビール王」と呼ばれる馬越はイベントや広告、口コミによる宣伝などプロモーションを含めた販売戦略の才能にも長け、1899 (明治32) 年には、「恵比寿ビールBeer Hall」を開業させます。この日本初のビヤホールは新しい物好きの東京人に受けてたちまち大繁盛店となりました。この間にも日本麦酒は設備の新鋭化と先端技術の吸収、幹部技術者の育成などに注力して「恵比寿ビール」の品質向上に努め、1900 (明治33) 年にはパリ万博で金賞を、4年後のセントルイス万博ではグランプリを受賞するなど様々な金字塔を立て、日本を代表するビール会社となりました。