洪思翊中将の処刑〈上〉 (ちくま文庫)
今回の騒ぎの中で本書を読み返した感想をメモしておく。この本の半分以上は裁判記録で、うんざりして投げ出したのだが、そこで山本がこだわっているのは「忠誠とは何か」という問題だった。

洪は陸大を出て、李王家以外では朝鮮人として最高の中将にまでなった人物である。その忠誠心は「食いつめた」とか「面従腹背」といった言葉では説明できない。当時、最高の知識人だった洪が、なぜ「天皇陛下の軍隊」の指揮官になったのか――山本はこの謎を解こうと3000ページ以上の裁判記録を追うのだが、その答は出ない。洪は冤罪に対して何も抗弁せず、処刑されたのだ。
それは合理的に説明すると、天皇制の背景にある儒教の思考体系が、日本より儒教の影響の強い朝鮮の文化になじんだのかもしれない。洪は(朝鮮の知識人では普通だが)四書五経をすべて暗記していたという。中国に皇帝のいなくなった20世紀初頭には、天皇を頂点とする儒教的秩序に親和性があった。

朝鮮には、伝統的に独立国という意識はなく、中国を中心とする華夷秩序の中で、皇帝の権威に従う事大主義で国家を維持してきた。その皇帝を天皇で置き換えたと考えれば、そう不思議ではない。陸軍の志願兵募集に80万人も応募した熱狂も、朝日新聞にあおられた内地の民衆と同じである。

私の心に引っかかったのは、戦前に「街頭などで、日本人が朝鮮人にあらゆる嘲罵を加えているとき、たまりかねて[朝鮮人が]口にする最後の言葉」として山本が書いている言葉だ(原著p.35)。
チョーセン、チョーセン、パカスルナ、天皇陛下オナジ
これは「朝鮮人、朝鮮人と馬鹿にするな。天皇陛下は同じだ」という意味だ。ここでは二等国民として差別されている朝鮮人が「天皇陛下は同じだ」というアイデンティティで日本人と同格になる。そこに彼らが内地の国民以上に戦争に熱狂した原因があったのかもしれない。「これはおそらく人間の発する最も悲痛な言葉であり、人は人に、こういう言葉を叫ばせる権利はない」と山本は付け加えている。

差別される朝鮮人が、天皇の前では身分も国籍も超えて平等になる――そこには神の前に平等になるキリスト教と似た救済の心理があった。洪は絞首台に行く前に、牧師に聖書を読んでほしいと頼んだ。彼は最期に、儒教のまがいものである天皇制に訣別したのかもしれない。