それは、まるで海に溶けていくプールだ。
沖縄本島の中でもひときわ美しい今帰仁(なきじん)村の海。その海が織りなすエメラルドブルーの文様の一つに、そのプールは見える。弓の形をした碧(あお)い水が、珊瑚(さんご)の海と溶け合い、はるか彼方(かなた)の水平線にまでつながっているような錯覚を起こさせる。
「今帰仁は宿の激戦区なので、他とは違う“ウチならではのもの”って何だろうと考えて、こういうプールにたどり着きました」と、2012年にオープンしたプチリゾート「chillma(チルマ)」のオーナー、永田敏章さんは話す。
海に“溶ける”プールは、意外とシンプルな仕掛けによってそう見えている。海寄りの縁(ふち)が、うっすらと水のベールに覆われて見えなくなっているために、すぐ向こうの海とあたかもつながっているように見えるのだ。
風景に溶け込ませるために縁を“消した”プールを「インフィニティ(無限)プール」と呼ぶ。旅行作家、山口由美さんの著書『アマン伝説』によれば、インフィニティプールは、スリランカの建築家、ジェフリー・バワによって1980年代に考案され、バリ島の高級リゾート「アマンダリ」などによって広く知られるようになった。
バリの渓谷やモルディブの海、珍しいところではシンガポールの摩天楼など、今や世界の絶景スポットの定番的アイテムとなったインフィニティプールだが、なぜか沖縄には数えるほどしかない。チルマを設計した建築設計事務所クロトンの下地鉄郎さんはその理由をこう語る。
「大型ホテルは別として、これまで沖縄ではプール自体があまり普及していませんでした。一年中泳げるわけではないので、費用対効果が低いんです。しかし最近は、風景としても楽しめるプールの価値が徐々に認められつつあります」
チルマのプールの建設は、下地さんがインフィニティプールの本場、バリに足を運ぶことから始まった。
「バリに住んでいたこともある永田さんが『ぜひ設計の参考に』と選んでくれたヴィラを十数軒見て回りました」
建設費を抑えるため、プールに貼る天然石のタイルや水の濾過(ろか)装置など、資材や設備はほとんどバリから調達した。長年の実績をもつバリのプール業者を訪ね、施工のノウハウも教わった。
「施工は『1ミリでも正確に』という気持ちで行いました。プールって、水がのっかりますから非常に重たいんです。地盤は頑丈なんですが、1ミリでもずれると縁からの水の落ち方が変わるので慎重に行いました」
若い頃、映画の演出をするのが夢だったという永田さんが下地さんの力を借りて完成させたインフィニティプールは、美しい海をさらに美しく“演出”し、そこを訪れる人に、絶景と溶け合う至福の体験を味わわせてくれる。今沖縄では、インフィニティプールがゆっくりと増えている。「無限のプール」によって、心揺さぶる風景がますます沖縄に満ちていく。そんな予感がする。
チルマ 沖縄県国頭郡今帰仁村運天506-1 電話:0980-56-5661
元共同通信英文記者。翻訳家。初めて訪れた沖縄島のヒトとマチに恋をして1999年に移住。以来15年間、素朴で飾り気はないものの沖縄のエッセンスがギュッと詰まった小さな宝石のような築半世紀のカーラヤー(瓦家)に暮らす。建築に興味を持つようになったのは、雑誌で見たファンズワース邸に感動したのがきっかけ。好きな建築家はジェフリー・バワ、そして沖縄の素敵な風景を作り上げてきた無数の名もなきアマチュア建築家たち。