この頃の日本は抒情的なスローガンが多いです。性格のせいなのか、私は特に「女性が輝く日本」がおかしいと思うのです。
ちなみに「日本の女性はもっと社会で大きな役割を果たすべき」という観点においては、私はまったく賛成ですし、そのための政策は大いに応援したいと思います。長年日本のビジネス界に身を置いてきた自分としては、女性が重要なポストに就かないことによって失う着想力や柔軟性が企業の甚大な損失だと主張してきました。
誰でも分かり切った問題ですが、解決が進まない理由は他でもなく、この問題の本質に誰もが触れないからです。たとえば、「日本の男性は輝いているか」という問いに皆さんはどう答えるでしょうか。もし殆どの方々が「いいえ」と思うならば、そもそも「女性が輝く日本」はおかしいスローガンです。
経営を引退して10年経ちましたが、お陰さまで個人としていろいろな国のビジネスマンと付き合うことができました。その中で日本人男性ほど個性を失って輝かない「人種」はありません。日本では女性が重要なポストに就き難いのは確かですが、どちらが輝かないかと言えば、日本女性より日本男性の方がよほど暗いのです。
家族同士の夕食会に誘っても、ほとんど奥さんとお子さん達だけ参加します。北京で3年以上働いている公務員の友人に「今度、絶対家族と一緒に来てね」とお願いしたところ、実現しましたが、「中国に来てから家族同士の会食に出たのはこれが初めて」と聞いてびっくりしました。あの時、パパとママに挟まれながら嬉しそうに食事を食べるお子さん達をみて、私は涙が出そうになりました。
いろいろな国籍の家族が集まる時、だいたい日本人の家族は旦那が来ないのです。忙しいという理由で。では日本企業の生産性が高いのかというとまったくその逆です。わざわざ数字を出すまでもありませんが、日本の労働生産性の低さは昔から有名です。
しかし、「なぜ日本の男性が輝かないか」という質問に私も答えられません。親愛なる読者の皆さんにぜひ聞きたいのです。「いいえ、日本の男性は輝いている」「どうでもいい、俺は輝いている」、「別に輝かなくてもいいのでは」などなど、ぜひご自分の感想を寄せてください。次回の宋メールで皆さまに還元したいと思います。
私個人としては、常に過剰に我慢しないことを心得ています。長い残業が嫌だから、残業しないことを主張したのです。新鮮な空気を吸いたいから終身雇用が良くないと主張してきたのです。お客さんに媚を売るのが嫌だから「科学的営業の仕組み」を提唱してきました。自分の思いに合う企業がないから自ら起業しました。ずっと組織に束縛されるのが嫌だから43歳の時に引退してしまいました。
自分の中に光の素(光源)を持たない限り、人は輝きません。自ら輝かない人が組織や国家の政策によって輝く訳がありません。男性よりも輝いている女性について「女性が輝く日本」とは日本語の間違いでしょうか、それとも問題の本質への不理解でしょうか。
それにそもそも人間は他人のために輝くのではありません。自由で幸福な人々は中から明るさが溢れて輝くように見えるだけなのです。
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個人的には五十台後半を充実させるために日々努力を続けてますが(^^ゞ
「女性が輝く社会」はちょっといただけないキャッチコピーですね(>_<)
家族同伴で食事して、一家団欒で過ごすことが余裕があって輝いているんでしょうか?
私の父はデパートの鮮魚仕入担当でしたので、朝が早く夜も早く寝てしまいました。
家族との会話は晩御飯とお風呂の少しだけ。
土曜日も出勤でしたし、長期の休みも余りとりませんでした。寡黙に家族のためお客様のためと思い仕事をしていたと思います。
そんな父は輝いていはいなかったかもしれませんが、尊敬しています。
対外的によく見えなくてもいいと思います。
家族を思う姿勢は人それぞれだし、社会への貢献の方法もそれぞれです。
輝かなくても、後ろ指さされず、尊敬される人でありたいと思います。
例えばインドネシア人男性とセルビア人女性の輝き度を比較したらどうなのかと考えると、水平展開出来ない客観性のない論点だとお分かりいただけるかと思います
是とも非とも判断する基準のないテーマそのものが、論じるに値しないものだと思いますし、そこから導き出された「男性のほうが輝いていない」という結論もまた、正当性に欠けると思います
夜空に大きく打ち上げられた花火のような輝きを放つ女性と、夏の思い出とともにしんみり見つめる線香花火の輝きを見せる男性を比較しても詮無いことだと思います
また、宗さんの次の発信を楽しみにしてます
そんな中で、輝く(=自己主張する)ことは勇気のいることです。趣味も楽しみももたない多くの同僚の前で、「俺はこんな趣味で楽しんでいる」「こんな経験をした」と話すことは、しばしば妬みの原因となります。場合によっては、ただでさえ低い彼らの生産性を棚に上げ、彼らの仕事を押し付けられる羽目に。
その為、一部の輝ける人達も公には出てこず、多くがひっそりと輝いているのです。私もその一人だと思っています。社内の付き合いだけでなく社外の付き合いを楽しみ、多くの趣味をたしなみ、家族の愛に恵まれて人生を楽しんでいる私は、成果を出しているにも関わらず、しばしば「楽をしているのではないか?」と囁かれます。自宅でコツコツ自己研鑽に励んでいることを知らず、家に帰ってもボーっとテレビを見て過ごす人達に・・・
最近、特に輝いている?(単純に言えば素敵!)と思える男性が残念ながら世の中から減っているように思えます。男女ともに、精神的に成熟し、内からの輝きで素敵に見える大人が増えることを期待する次第です。素敵な男女が増えれば、婚姻率も上がり、結果、少子化にも歯止めがかかる可能性もあるのではないか、とも。
私は日本が大好きですが、日本人は「思い込み」が強いと感じます、無宗教が影響しているのかもしれませんが、視野が狭いため空気を読みすぎだからです。例えば、「有休は全部使うものじゃない」とか「平日昼間に遊んでちゃいけない」とか。空気に価値観をも押し付けられてしまっています。もちろん日本人の行儀良さとマナーの面は世界に誇れると思いますが、思い込みのせいで輝けてない(自分や他人を束縛している)面が多いのではないでしょうか。
五十代の今となっては、少し自信がなくなりました。
どこの国も宋なのかも知れませんが、歳を取るにつれて、出来ることが、いや自分の限界が見えてきますね。
ひょっとすると、その限界を隠して年寄りが頑張ってしまうのが、日本が息苦しく思える原因かも知れませんな。
私個人の考えですが、人生の目的を見失っているのではないかと思います。仕事をする時間が大半を占めているにも関わらず、私生活とは別と割り切り、食べるための仕事(ライス ワーク)に徹している人が多いのだと思います。それなら、そういう風に割り切れば良いのに、仕事上の出世などに囚われており、無意味に長時間の仕事をしているのではないでしょうか。
この問題には、個人の考え方だけでなく、日本社会の偏見も影響していると思います。本来であれば、自分の時間の大半を使うのですから、仕事を楽しみながらできるようになりたいと思います。
このような現実があることに対して、日本社会は何の援助もありません。そこに、女性が輝く場を声高に言っても虚しい嘘にしか聴こえません。女性が活躍できる場を増やすということには、賛成ですが。
実は、私自身は“女性が輝く日本”というスローガンに対して特に違和感は感じていなかったのですが、言われてみると、これはおかしいというのは確かに一理あると思いました。
それにも増して、じゃあ日本の男性は輝いているのか?との問いかけには、耳が痛い(私にも、大多数の男性が輝いている様には見えません...)思いです。
一方、私は輝いていますよ!とアピールして他人にそれを認めてもらうという事ではないと思うので、男性にしろ女性にしろ個々人の満足度(特に“やりがい”とか“達成感”など?)を上げる事や、仕事に関して言えば、とにかく生産性を上げる為の有効なサポートを行ったり施策を打つ事が重要だと思っています。
来週金曜日(9月12日)に、日本政府も主催者である「女性が輝く社会に向けた国際シンポジウム」の公開フォーラムをたまたま聞きに行くので、まずはそれがどんな内容なのかを見極めてみたいと思っています。
サラリーマンの中で輝いている人は見かけないと思います。
理由は個人の信念において仕事をしている人が少ないためと思います。
信念はあるが、個人の信念よりも会社組織の中での約束事や流れに流されているので個人が輝かないと思います。
いまだに「滅私奉公」を美徳とし、「120%全身全霊仕事にささげる」精神論が評価され、上司より先に帰らないのを礼儀とするような、無意味な風潮から変えていかない限り、個人の幸福なんてあり得ないと思います。根深い問題です。
いやいや、それがあるから日本はここまで来れたんだ、死ぬ思いで働いて日本をよくしてきた先人を否定するのかとも、聞かされますが、がむしゃらに働けばよいとは思いません。がんばれば方向性が間違ってても許されるという意味では、ある種の甘えですらあると思います。
これらの間違った精神論を「伝統」と称して正当化する向きも多いです。
根深いのですが、でもこのレベルからの反省がない限り、今後も、くたびれた男たちが働き続け家庭に父親がいない構図は変わらないと思います。
年間3万人の自殺者、子供の引きこもり、いじめ、うつなど、いろんな問題の根源と思っています。
私個人としては、会社の上司、トップの会長に頭を下げるのがいやで54歳の時に退職しました。
日本の男性には自由と幸福がないだけでなく、言葉がありません。会議で発言しないのは当然で、普段でも見知らぬ人と気楽に挨拶ができません。大会社の役員までなった人が引退して近所に住んでいましたが、すれ違って挨拶しても挨拶を返しません。日本は便利な国で、おもてなし、あうんですべて済むので言葉が要らないのです。風呂、飯、寝るの世界です。海外ではそうは行きません。グットモーニング、サンキュウーの世界です。発言しない人はいない人と同じです。バス停に黙って立っていたら、バスはパスして乗せてくれません。バスの運転手には何も言わない人はいない人です。
日本の男性が輝くにはもっと話すことです。自分の言葉で。知らない人にも気楽に話しかけることです。社交家になることです。ともかく何か言うことです。黙って我慢していけません。自分の道は自分で切り開くことです。
明日からホノルルに行って来ます。「七夕の星が伝える愛」を2ヶ月遅れで見に行ってきます。残念ながら、そっと握る妻の手はありませんが。
恐らく女性が働いやすい環境を作るにしても、いやいや働くのではなく、輝いて働いてほしいという意味を込めてこのスローガンを作ったのだと思います。
その意味で私も宋さんと同感で、スローガンは素直に「女性が自由に働ける環境を整備しよう」でいいと思います。
私の経験で、他人から見て輝いていた時期もあっただろうし、沈んて時期もあったと思う。
そして希望を持ってやりたい事が出来ていた時は輝いていただろうし、仕事に情熱が持てない時は沈んていただろう。
アベノミクス3本目の矢「成長戦略」を進めるには、女性の仕事への積極的な進出も重要だが
働く人の会社も含めた社会環境が重要だと思います。
働く人の目標が明確であり、それに向かって意欲的に働いてる姿は皆輝いています。
そのような輝く人であふれる活気のある社会が実現すればいいですね。
その為に政府がすべきことは、働く人が夢を持てるような、成長が見込まれる新事業を支援すrことも重要だと思います。
もちろん生活していくためには、意に沿わないことをやらなければならないこともあるかもしれませんが、その中に楽しみややりがいを見出す努力をすれば、おのずから輝いて見えるのではないでしょうか?
家族と過ごすことや個人の楽しみを削って会社に奉仕しなければ、パンや地位を得られないと思いこんでいるサラリーマンが多いような気がします。もちろん仕事をほっぽり出して家族の元に帰れば、それなりの制裁(評価)を受けるかもしれませんが、それも時と場合によります。自分できちんとした優先順位を確立すべくでしょう。むしろ家族とも計画的に過ごすようにすれば(趣味もそう)、それに合わせて仕事を計画的にするようにもなると思うのですが。
でも働き蟻の法則でいうと、2割のリーダーは輝いているのではないでしょうか?6割の普通の蟻を輝かせるのは、本人の自覚次第と思うのですがいかがでしょう?
私自身の体験になりますが、かつて日本企業のロサンゼルス支店長として赴任した際、着任当日に支店のメンバー20名ほどが歓迎会をしてくれたのですが、歓迎会の途中で何人ものアメリカ人社員が「じゃあこれで私は失礼します」と言って平気で帰っていくのです。
残ったメンバーも「じゃあね」と笑顔で送り出しています。。。
日本だったら「支店長の歓迎会で先に帰るなんてとんでもない」という話になるのでしょうが、実は先に帰った人ほど歓迎会ではすごく親切にしてくれていましたから「早く帰るためにもやることはちゃんとやろう」という姿勢だったのでしょう。
考えてみれば、日本だろうがアメリカだろうが長時間の酒席が苦手な人はいるわけで、そういう自分の気持ちを素直に出せるのがアメリカで、押し殺してしまうのが日本人なんだな・・・と着任当日にカルチャーショックを受けたのを覚えています。
その後も同様の経験に遭遇するたびに、アメリカと日本・・・彼我の生き方の違いに考えさせられることしきりでした。
宋さんが述べられているように「日本人は我慢しすぎ」「周囲を気にしすぎ」だと私も思います。
残業の多さ・・・なんかはその典型でしょうね。
もちろん周囲への気配り的なものは必要ですが、意味もなく自分を押し殺しても誰も得をしませんし、一度限りの人生で今日という日は残された人生の最初の一日なのですから、もっとのびのびと機嫌よくかつ生産的に生きていくべきですよね。
私が以前勤めていた会社を辞めて自営業になったのは、アメリカでの体験があったからでもあります。
宋さんのご意見、私も素直に納得です。
62歳男性です 小学校入学のためフィリピンから一人で帰国したという意味で帰国子女です
帰国以来いまにいたるまで日本人の男社会に特有だと感じている特性は「とにかく目立ったことはしない」という鉄の掟を遵守していることです
だから「個がかがやく」と常に発言する経営者のいる会社でも男同士の陰口が絶えないのだと見ています
他の国や民族の方々からは「サムライ」が日本人男性のイメージでしょうが むしろ江戸時代の町人イメージの方がしっくりきます
元禄時代のエピソードを一つ 幕府が規制したくなるほど華美な風潮が蔓延したとき最高のおしゃれは男性用キモノの裏地だったそうです 見方によっては日本固有の「粋(いき)」文化を象徴しているのですが同時に「表立った」意思表示を好感できない体質をも現しているように感じます
わたしが帰国したときフレンドリーに接してくれた日本の女性たちも男児の母親になるとわが子に男社会の掟を叩き込みます おそらく母親が変わらない限り「商人(あきんど)風情」に染まったエリートしか生まれないと思います
日本の有名経営者でわたしが輝いていると感じる方々もほとんどが所謂「嫌われ者」あるいは「変わり者」です
以上が60年間で得たわたしの見解です
お役にたてば幸いです
はじめまして。
いつも楽しく拝見させて頂いております。
さて、「なぜ日本の男性が輝かないか?」という問いに関して、私の私見では、日本の職場はできるだけ輝かない(≒個性を発揮しない)ようにしている方が良い、というような雰囲気、不文律?があるような気がしています。そんな男性たちも、趣味や子供の話をする時には輝いているように見えます。できるだけ目立たない、輝かないようにするというのが日本のカルチャーの根底にあるような気がしますが如何なものでしょうか??
大坪拝