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竹内研究室の日記 RSSフィード Twitter

2014-09-05

発明を企業に帰属する特許法の改正は、エンジニアのやる気を奪うのか?

中村修二さんの青色LEDや私の元上司である舛岡先生のフラッシュメモリなど、発明者が特許の対価を求めて古巣の企業を訴えることが相次いだ時代がありました。

こういった元従業員からの訴訟のリスクを避けるため、特許を現行の発明者ではなく企業に帰属するように法改正する、という動きがあるようです。

この法改正によってエンジニアのやる気が奪われるのか?

結論を先に言うと、さして変わらないと思います。

むしろ、アメリカ企業と同様になると、特許を書くモチベーションは高まるかもしれません。

まず、現在の特許が発明者に帰属するという法律下でも、特許によって成功報酬としてエンジニアに補償金が払われるのは実際はそう多くないという現実があります。

特許は書くだけでは単なるコスト(出願にも維持にもお金がかかる)です。

そして、特許を自社で使うだけでも不十分。

例えば、ものすごくマニアックな技術を開発し、自社だけしか利用しないような特許はあまり意味がないのです。

特許はものすごく細かく内容(請求項)を限定すれば、(新規性は問われるかもしれないけど)特許は取れるかもしれません。

でも、そんな特許は使い物にならない。

特許の価値は、ライバル企業がその特許を使用して(権利を侵害して)、訴訟でお金を取れたり、ライセンス料を取って初めて意味があります。

つまり、相手が使わざるを得ないような、できるだけ広い領域をカバーした特許が良い特許なのです。

私自身の体験からすると、精緻で複雑な技術は論文として技術自体は高く評価されても、特許としてあまり役に立ちませんでした。

むしろ、出願時には

 「そんな特許はどこかに公知例があるだろ」

 「今更、そんな当たり前の特許を出すのか?」

という、広い分野をカバーした特許の方が、ライバル企業が使ってお金になりました。

しかし、領域を広くするほど、前例(公知例)に引っかかる可能性が高まり、特許としてそもそも成立しない可能性が高まります。

特許は出願しただけではダメで、実際は屍累々で特許としては成立して、しかも他社からお金を取れるようになるのは、ごく一部。

特許を出すのは研究開発の初期段階。実際に実用化され、しかも他社が使うようになるのは、10年後などでしょう。

つまり、特許を出願した時点では、そもそも特許になるかもわからないし、自社も使うかわからない。ましてや、他社がその特許をつかって、ライセンス料や賠償金を取れるかなどは全く分かりません。

現在の制度で、特許の成功報酬が入ったとしても、エンジニアからすると、「そういえば大昔にそんな特許書いたっけ?」

という感じではないでしょうか。

では、特許法の改正でどうなるか?

アメリカも特許は企業に帰属しますので、同様な運用になると仮定します。

特許は会社に帰属する代わりに、(特許を書く動機づけとなるように)提案・出願時に発明者に相応の金額が支払われるようになるでしょう。

その金額は企業によっても違うでしょうが、知り合いに聞くと、アメリカ企業では特許一件の出願につき10万円程度とか。

月に3本特許を書くと30万円ですから、ここまで来ると、報酬の一部を特許提案として支払われている、という感じですね。

この報酬のポイントは「出願する時に」というところで、「特許が成立した時」でも、「特許が成立し他の企業からお金を取れた時」でもありません。

つまり、特許が成立するかどうかも、特許によって企業が収益をあげられるかもわからない時に、1件につき10万円もらえるのです。

これは、逆にエンジニアのモチベーションを高めることになるかもしれません。

実際、アメリカ企業に転職した人からは、「日本企業に居た時よりも、俄然、特許を書くモチベーションが上がった」という話も聞きます。

もっとも、特許提案時に支払われる金額次第ではありますが。

さて、この法改正自体の動機付けとなった訴訟自体は、何だか随分昔話のような気がします。

元従業員が古巣の企業に特許の対価を求めて訴訟するというのも以前の話がほとんどでしょうし、しかも、訴えている人もかなりの年配の方が大半ではないでしょうか。

昔は年功序列、終身雇用は当たり前だった。従業員も企業に一生を捧げていた。

そんな時代に、自分が開発した技術で企業は儲かっているのに、自分は社内で冷遇された、リスペクトもされていない。

そういう、企業と個人がウエットな関係で、自分の努力が報われなかった思いが特許訴訟になったのではないか。

もっと言うと、発明した当時は

「そんな技術はリスクが高くて使い物にならない」

「そんな市場は生まれない」

と言っていた人に限って、実用化されると手のひらを返し、

「それは自分の手柄だ」

と言い出す。酷い場合には、製品開発がうまく行くようになると、功労者をプロジェクトから外す場合もあるでしょう。

「人間社会だから技術者に限らずそういうことばかりだ」

「そもそも技術開発できたのは会社に居るからこそ」

と言えばそれまでかもしれませんが、そういった会社や人に対する複雑な思いが訴訟に駆り立てるのかもしれません。

自分も似たような経験があって、それが企業を辞めるきっかけにもなりました。

そんな経験を本(世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記)に書いたところ、ずいぶん反響がありました。

同じような思いをされている方が多く居るのでしょうね。

さて、法改正とは関係なく、今ではそのような訴訟はあまり起こらないだろうと思うのは、そもそも、企業と従業員の関係はドライになりました。

特許のお金がもらえるほど事業が成功するのはごく一部。

また、もし事業が成功したとしても、スマホや液晶テレビの例を見るまでもなく、事業の移り変わりは激しく、グローバルの競争も熾烈です。

事業が成功しても、10年後には事業撤退、リストラも珍しくありません。

従業員も会社を信じて長く同じ企業に居続けたり、もらえるかどうかわからない随分先の特許の補償金に期待するよりは、

「稼げる時に稼ぐ」

と思うようになっているのではないでしょうか。

有力な特許を書くような優れたエンジニアほど、(特許への見返りだけでなく)報酬全体、条件が良い企業に転職することも普通になりました。

もし優秀なエンジニアを引き留めようと思ったら、特許法がどうであれ、企業はエンジニアに相応な対価を払う必要が出てくるでしょう。

エンジニアが企業に不満を持つならば、さっさと条件の良い企業に移れば良いのです。

特許を書くには企業のインフラを使って研究開発する必要があり、しかもその特許が成立して、他社からお金を取れるようになるには、エンジニアだけでなく知財部門などの努力も必要で、エンジニアだけの手柄とは思いません。

ですから知財権は企業に帰属する、というのは本来あるべき姿への変更なのかもしれません。

しかし、それと優秀なエンジニアをどうリスペクトするかというのは別の話。

一人の優秀なエンジニアで企業の存亡を決める場合もあるのは事実です。

年功序列・横並びの人事制度が時代遅れであるのは間違いありません。

優秀なエンジニアにやる気を持たせ、最大限に利用するのは、企業の重要な経営課題でしょう。

エースエンジニアを他社に引き抜かれた企業は衰退していく、という人材の市場メカニズムによってエンジニアの待遇が改善されていくのでしょうね。

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