旧ソ連を歩いて:(8)コサックとは何者か

2014年08月18日

ドン・コサック軍団のアタマン(頭領)、ビクトル・ゴンチャロフ氏=同軍団提供
ドン・コサック軍団のアタマン(頭領)、ビクトル・ゴンチャロフ氏=同軍団提供

 ロシアでコサックの存在感が高まっている。帝政ロシアの先兵としてシベリアやカフカスの征服に駆り出され、列強との戦争でも最前線に立った騎兵軍団の子孫たち。今年2月、ロシア南部で開催されたソチ冬季五輪ではムチを手に大勢が警備に立った。そして、ウクライナ情勢。3月に南部クリミア半島をロシアが制圧した際に姿を現し、現在は東部の親露派武装集団に加わっている模様だ。コサックとは何者か。ロシア南部の歴史的中心地、ドン川流域で約4万7000人を率いる「ドン・コサック軍団」のアタマン(首領)、ビクトル・ゴンチャロフ氏(53)にロストフナドヌーでインタビューした。

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ロシア南部のコサック陸軍幼年学校の一つを訪問したプーチン大統領。国家を挙げてコサック復興を支援している=2008年2月撮影、ドン・コサック軍団提供
ロシア南部のコサック陸軍幼年学校の一つを訪問したプーチン大統領。国家を挙げてコサック復興を支援している=2008年2月撮影、ドン・コサック軍団提供

 −−コサックとは何者か。民族だろうか。

 ロシア正教徒の愛国者だ。民族かどうかは、コサック内でも大きな議論となっている。15〜16世紀は民族だった。17世紀以降、スラブ化が進み、ドン地方にスラブ民族が多くやって来るようになった。18〜19世紀には更に大規模なスラブ化があった。1890年の国勢調査では、コサックたちは自らについてロシア人、ウクライナ人と書いた。コサックは身分だと強調された。この問題は複雑で学者たちも議論している。現在でも自らの民族をコサックと認識する者もいれば、ロシア人と認識する者もいる。これは心の問題だ。

ロシア南部ロストフ州で伝統の騎馬行進を行うドン・コサックたち=2010年9月撮影、ドン・コサック軍団提供
ロシア南部ロストフ州で伝統の騎馬行進を行うドン・コサックたち=2010年9月撮影、ドン・コサック軍団提供

 −−現在と100年前の違いは。

 違いはとても大きい。現在、ロシア南部のロストフ州、ボルゴグラード州、カルムイク共和国、ウクライナ東部のルガンスク州、ドネツク州にはドン・コサックの子孫が住んでいる。ロシア革命前までは一つの行政単位で、アタマンは事実上、ドン地方の知事だった。ソ連時代、宗教が禁じられ、コサックは抑圧され、殺され、移住させられた。だが、子孫は結局のところ、この土地に残った。

ロシア南部ロストフ州で、コサックの伝統衣装をまとった子供たち=2014年6月撮影、ドン・コサック軍団提供
ロシア南部ロストフ州で、コサックの伝統衣装をまとった子供たち=2014年6月撮影、ドン・コサック軍団提供

 現在、ドン軍団の基盤であるロストフ州の農村地方では約7割が子孫で、都市部でも3〜4割はそうだろう。だが、全員がコサック組織の構成員ではない。ソ連時代、伝統や習慣は忘れられたが、1980年代の終わりから90年代初頭にコサックの復興が始まった。

 ロシアは過去に起きたことの罪を認め、ソ連政府の責任も負って、復興を最大限支援している。大統領の下に復興問題評議会が設立され、全国の州や地方に委員会が設けられている。地域発展省の担当だ。ロストフ州などには六つのコサック陸軍幼年学校が開設された。コサック学校は数多くあり、工業学校、大学もある。復興は幼稚園レベルから行われている。この先10年でコサック社会は復活しうる。だが、それは革命前とは同じものにはならない。

 −−ロシアにおけるコサックの地位は。

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