バンビのあくび

適度にテキトーに生きたいと思っている平民のブログです。

夫の祖母と同居していました

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私が現在住んでいる家は、夫の実家であり、私達が住むにあたって多少リフォームをして暮らしている(主に水回り)。

昔ながらの家で柱は太く、屋根裏部屋(物置きになってるけど)は丸太がででーんと横たわっているような造りでとても頑丈そうである。

部屋もどうやら「1畳」が私が思っている1畳より大きいようで、6畳の部屋でも広く感じる。よって家が私達の生活レベルからすれば広いのだが、この辺りの家は各家庭で葬式や法事をしていたため、襖を取っ払った部屋に30人分ぐらいの座布団は敷けるように・・ってのが基本的考えらしい。(だから座布団がめちゃくちゃたくさんあるので、いつか大喜利大会を開きたいと思っている。座布団運びは息子がやる予定)

 

私がこちらへ引っ越してきた時、最初はアパートに暮らしていた。

夫の実家には義父と夫の祖母がいた。

義母は自分の家に住んでいた。

義母と義父は離婚こそしていなかった(義父が許さなかったらしい)のだがあまり上手くいっておらず、更に嫁姑問題なんかもあったので、常々、義母は家を出たいと思っていたようだ。そしてバブル期に一生懸命働いたお金でとうとう自分の家を建ててしまったのである。なんともパワフルな人である。

 

そんな不思議な感じでもなんとか成り立っていたのだが、ある時義父が急死した。

そうなると大きな実家には祖母が1人だけになってしまう。

 そこで、私達は祖母と同居することにした。

祖母は「自分のことは自分でするから気にしないで」と何度も言っていて、実際、それを実行していた。

だから私は祖母に対して特に何かしてあげたという記憶はない。

それでも1人で暮らすよりはもしもの事があった時に助けになるかも知れないとは思っていた。

 

1度だけ祖母が浴室で倒れたことがある。夫も慌てて救急車を呼ぶべく電話をかけていたため、私は浴室から1人で祖母を担いでリビングまで運んだ。

もう90歳近い年齢だったし、小柄な方だと思っていたけどずっしりと重たかった。

何歳になっても女性だから・・と思い、救急車が来るまでに私が服を着せてあげた。そうしている時に、近くに住む叔父がやってきた。

叔父は祖母と一緒に救急車で病院へ行った。私は少し様子を見るために入院してくるだろうと思っていたのだが、次の日の朝には祖母が戻ってきていてとても驚いた。何でも「帰りたい」と自分で言ったらしい。そして、浴室で倒れた記憶は一切飛んでいて何も覚えていなかった。

私は何事もなかったようにぱくぱくと朝ごはんを食べる祖母をとても不思議な目で眺めていた。

 

私の娘はよく祖母の部屋に出入りしていた。

いつも「なんかたべたい」と言っているような娘なので、祖母の部屋でお菓子やご飯をもらって食べてくるのだ。そして一緒に歌を歌ったり遊んだり。

歳を重ねていくとだんだん子どもに戻ると言うが、そういうことなんだろうなと思った。2人は波長がとても合っていた。そこには私なんかは入れない空気が流れていた。

 

私と祖母の関係は良くもなく、悪くもなく・・と言ったところだったと思う。

さすがに「孫の嫁」では嫁姑問題は成立しないのだろう。

お互いがお互いの距離をわかっていた。

私はフルタイムで仕事をしていたので、祖母は気遣って洗濯物を取り込んだりしてくれていた。

私のことを「ちゃん」付けで呼んでくれていたので孫も同然だったのかもしれない。年末などに帰省すると告げると「ほら、少しの足しにしなさい」と私にお小遣いをく渡してきたりした。断っても渡してくるので、有難く受け取り、祖母のお土産を買って帰るような感じだった。

 

その祖母も突然倒れて急死した。

 

急死というのはこちらに心の準備がないまま、物事が進んでいく。

知らぬ間に通夜が終わり、知らぬ間に告別式が終わる。

そしてお別れの儀になり、花を棺にたくさん入れていた時、急に涙がぽろぽろとこぼれて止まらなくなった。何か色々込みあげてくるものがあった。

娘と息子は花を棺に入れる時、何も言っていなかったのに祖母の顔の周りを彩るように手向けていた。それが近しい間柄であるがゆえの心の表れなんだろうなと思えたら、また涙が止まらなくなった。

 

火葬場へ移動するために涙を拭い、のろのろと歩いていたら伯母(義母のお姉さん)がやってきて私にこう言った。

「大変だったわね。孫の嫁が同居してみてたんだもんね・・」

そんな大層なことはしていないけど、そう声をかけてもらえたことはとても嬉しかった。そして助けられたと今も思っている。

 

***

 

 今も子ども達が祖母の真似をしたりする。

私達がおでかけする時に祖母に伝えるのを忘れると言われる言葉。

 

「あのな、心配やでさぁ。早く帰ってこやんか?」

 

これを忘れない限り、私達はずっと祖母と一緒に暮らしているんだと思っている。