大林宣彦監督、逝く…薬師丸ひろ子、原田知世、富田靖子ら育てた“映像の魔術師”

映画製作への情熱を持ち続けた大林宣彦監督
映画製作への情熱を持ち続けた大林宣彦監督
大林宣彦監督の主な作品
大林宣彦監督の主な作品

 「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の“尾道3部作”などで知られる映画監督の大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)さんが10日午後7時23分、都内の自宅で肺がんのため死去したことが分かった。82歳だった。2016年8月にステージ4の肺がんで余命3か月の宣告を受けてからも創作意欲は衰えることなく、「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を完成させた。同作は4月に公開予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で公開が延期されており、ファンの元に届けられなかった。

 「余命3か月」の医師の宣告を映画への情熱ではね返してきた“映像の魔術師”が、ついに力尽きた。

 大林さんは16年にステージ4の肺がんであると宣告された。それでも映画製作の意欲は増すばかり。宣告直後に「花筐/HANAGATAMI」の撮影に入り、17年に公開。その後、「海辺―」を製作した。

 約20年ぶりに故郷の広島・尾道を舞台とした同作は、2月末に開催予定だった「尾道映画祭」のオープニング作品に選ばれており、大林さんも凱旋を楽しみにしていた。だが、新型コロナのため映画祭は中止に。劇場公開も延期された同作の当初の公開日は4月10日。くしくも、同じ日に旅立った。

 最近は、歩くこともままならず、車いすで移動することも多かったが、映画にかける思いは衰えることがなかった。昨年11月、特別功労賞を受賞した東京国際映画祭で行われたトークショーでも、頬がやせ細った姿で登場し、心配する周囲をよそに雄弁に語り、映画ファンを喜ばせていた。

 後年の作品では、平和の大切さ、戦争の愚かさを訴え続けた。黒澤明監督から「僕たちの続きをやってくれ」と託された願いを胸に刻み、「戦争を知っている私が、知らない若い人たちのために作らないといけない」と言い続けた。東京国際映画祭の舞台あいさつでも「戦争は明日にでも起きますが、平和は400年かかる。観客が世界を幸せにする力を持っているんです。それが映画の自由な尊さです。やり遂げなければいけません」と話していた。

 撮影所出身ではなく、CMディレクターとしてチャールズ・ブロンソンを起用した「マンダム」のCMなどを手がけ、77年に「HOUSE ハウス」で商業映画の監督デビュー。当時としては異色の経歴だったが、ファンタジーあふれる表現力やみずみずしい少女の描写、愛に満ちた人間ドラマで多くのファンを集めた。

 特に尾道への思いは強く、「転校生」(82年)、「時をかける少女」(83年)、「さびしんぼう」(85年)の尾道3部作を発表。薬師丸ひろ子、原田知世、富田靖子らをスターに押し上げた。自らの過去作の撮影地などでロケを行った「海辺―」は「人生の集大成」と自信を見せていた。

 ◆大林 宣彦(おおばやし・のぶひこ)1938年1月9日、広島・尾道市生まれ。CMディレクターなどを経て77年「HOUSE ハウス」で監督デビュー。82年「転校生」、83年「時をかける少女」、85年「さびしんぼう」は“尾道3部作”と称される。主な作品に「異人たちとの夏」「なごり雪」など。長岡造形大の客員教授も務めていた。

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