こんにちは。Bibakoです。


私は今まで、シンガポール🇸🇬の不透明さが嫌いであった。また、『明るい北朝鮮』の異名を取る意味もよくわかっていた。




でも、今回、ヨーロッパ旅行から戻り、一部であったとしても、私が気になっていた都市を訪問して、その都市の市民やEUに加入する諸国の社会問題を、国民目線で考えたとき、シンガポール🇸🇬はなんていい国なんだ!と、安堵感を覚えた。

それは、シンガポール🇸🇬の場合は、政府がある程度国民に寄り添い公平的な考えで政治を行ってくれているので、シンガポール🇸🇬国民は、政府に対して不満はあっても、今の生活がかなり悪いと思っている国民も少ないのではないか?と思う。



もちろん、私は日本人なので、日本が好きであり、日本もいい国だと思っている。



でも、ひとつ、私が日本を嫌いだと思うところは、日本は、見るに耐えない訳のわからない犯罪が起こりすぎる。これが、許しがたい。


ついこの間の『京アメ』の事件もそうだ。

私が親しくしている、日本の親戚が宇治に住んでおり、京都アニメーションにお勤めだった、私の親戚の知り合いの方がいたらしい。逃げ遅れて亡くなったと聞いた。

私は、亡くなったその人のことは直接は存じ上げてないが、親戚から犠牲者に知り合いがいたと聞いて、とても心が痛かった。

こんな凶悪とも言える事件、日本では普通にある。今や日本は、無差別的な殺人などは最近珍しくなくなってしまった。

他にも、幼児や老人への虐待、DV、イジメ、ハラスメントの類…。さらにもっと恥ずかしい事は、バイトテロ。本当に目を塞ぎたくなる。

どれもこれも、私から言わせると『日本人エイリアン👽達』が起こす事件である。この類の人は、『自分さえ良ければいい』という考えが共通にあるのだ。人の事など考えられない人達なのだ。





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シンガポール🇸🇬の国民が実質上『言論の自由』を持たないことや、政府の規制が厳しいこと、また、人権などを考えたとき、刑罰などもかなりきつく、本当にいいのか?と考えてしまう事もあった。

でも、今の日本を見てみると、シンガポールほどでなくても、刑罰ももっと厳しくでもいいのでは?と思う事も多くある。裁判員制度が始まっても、結局は、そこで、刑罰がもっと厳しくなったケースは少なく、容赦的な話が多いのではないか?と思う。

日本人エイリアン達のように、なんでも、自分の都合がいいように解釈する人間がおり、何が起こっても、自分は悪くないと言い張って、自己弁護がきつい!だから、そんな人には、周りも容赦なく厳しい態度の方が私は良いと思う。




こんな人達が何故?日本に多く存在するのか?




日本人エイリアン達の出生の秘密は、私は、教育者なので仕事柄、教育の観点から、親が子供に寄り添い過ぎた結果だと思う。


親の道徳や常識自体が既に違うので、まともな躾けが子供に施す事ができず、結果的に、子供の言いなりになり、子供を好きにさせてしまったのかも?しれない。

または、過干渉すぎて、子供の思考力や自分で考える力を奪ってしまったのかも?しれない。

世の中に核家族が浸透し、古き良き時代の話を、おじいちゃんおばあちゃんから、日常的にきく事が少なくなり、子供には逃げ場がなくなってしまった事も原因ではないか?と思う。

日本全体として、古き良き時代の考え方も忘れてはならないという事がなくなったのかも?しれない。




私が子供の頃『小さな親切運動』(1963年より政府が実施)というのがあった。

つまり、日本人の助け合いの精神を培うための運動である。でも、これは現在でも行われているにも関わらず、最近ではあまり取り上げる事がないのは、何故なんだろう?

たぶん、日本人の世代が変わり、自分だけが良ければいいという考えの人が多くなってきた事が原因なのではないだろうか?



今の日本人の多くの人は、人の事より自分優先。自分が困っている時は助けを人に乞うのに、人が困っている時は知らんぷりをする。

それが親子関係であっても、兄弟であっても、いい時は寄り添い、悪い時は『関わりたくない』と肉親関係を断つ人も居る。


たとえば、大人になっても親離れできない、大人になった子供と離れられない『くっつき親子』がいれば『ネグレクト』と呼ばれる育児放棄をした親に育てられる子供もいる。

これらの存在は、どちらも厄介だと感じる。

また、私が勝手に名付けいるだけだが『日本人エイリアン達』は、なんでも、自分の都合がいいように物事を解釈して『自己の権利』ばかり主張する人も目立つ。

エイリアン達は、自分の事だけしか見えていない。人の気持ちを汲んだり、感じたりする事が苦手である。

他には、エイリアン達は、ネット炎上などの行き過ぎたコメントなども、本名が出ない事をいい事に、好き勝手なコメントをする。本当に人間性を疑う。

でもエイリアン達は、反対に自分が相手から言われると、耐えられない癖に、自分はかなり酷い事を平気で相手いい、それがどれだけ相手の心を傷つけているのか?もわからないようだ。






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エイリアン👽とトラブルを起こした事がある私は、吉本の宮迫さんの事と、私の職場のエイリアン👽との共通点を感じた。


吉本の宮迫さんタイプの人は、自分の弁護が先に立ち、自分への反省は後になるタイプ、つまり、失敗をした時に必ず言い訳をするタイプである事が伺える。

また、何事も、自分は責任を取りたくないが、保護されたい気持ちが大きく、何があっても、自分の非を結果的に認めない。話しをすり替えてしまう。それも、わざとなのか?わざとではないのか?わからないが、私からすると、とにかく厄介な人の類である。


たとえば、誰かが自身が失敗して、その事で、何か人に迷惑をかけたとしよう。


世の中は、結果重視であり、失敗は失敗、嘘は嘘でそれに対する本人からの反省と、今後の対策だけで充分なのだ。

その人が、たとえやむを得ない経緯があったとしても、世の中の人はそんな事は気にしていない。
起こった事例に対して、今後どうするか?だけ知りたいだけである。

ところが、世の中の『日本人エイリアン👽』達は、自己保護が強く、自分の責任は取りたくなく、打たれ弱いのが特徴である。
自分への弁護のためには、嘘は日常的に堂々とつける人のカテゴリーなのだ。


私も、職場のエイリアンに、迷惑を被った事があった。この事があってから、私は本当の意味で彼女だけでなく『日本人エイリアン👽達』がシンガポールから居なくなればいいと、本気で思うようになった。



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私は日本人エイリアン達ほど『言論の自由』を自分の都合のいいように解釈するカテゴリーの人達はいないと思っている!


私は、以前、エイリアンに対して、彼女の仕事としての言動について改善を促したくて、老婆心的に話した事があった。

打たれ弱い彼女はそれに対して、私からの嫌がらせ的にとってしまい、パワハラを私から受けて嫌がらせをされていると、私の上司に訴えた。

そう、宮迫さんも同じでエイリアン達は、自分への褒め言葉は大好きで、先輩達が、老婆心的に苦言を呈しても、自分にとっては耳がいたい話は聞かないのである。

宮迫さんも、闇営でお金を受け取った事実を隠蔽した件で、松本さんの苦言に対して何も聞こうとしなかった事が、松本さんははっきりと言わなかったが、松本さんの言葉から私はそれを察した。


私の場合は、エイリアンの彼女は、自分の時間がないという理由で、私がメールにて、彼女の仕事について、そのいい加減ぶりや誤魔化しぶり、職場での常識に欠ける言動など、他のスタッフの意見を含めて、彼女に言わなければならなかった。これは、イジメでもパワハラでもなく、彼女の職場での言動や仕事ぶりについて、事実を先輩として彼女に直接話しただけであった。


それについて、彼女は耐えられなかったらしい。彼女は、今までも、人からの自分にとって耳が痛い話は聞かなかったのだと思う。

だから、私にはっきり言われた事について、心のキャパがなかったのだろう。でも、だったら、普通に『申し訳ありません、以後気をつけます』でよかったのではないか?

そこが宮迫さんと一緒で、エイリアンの彼女も、自分の頭がでかいのだ!自己評価が高い人間は、人から自分の耳が痛い話を聞くと相手を恨んでしまう事もよくある事だ。厄介な人達なのである。


エイリアンの彼女からの話は、宮迫さんと同じく、自分へ保護的な話ばかりで、自分は、仕事をきちんとしているとの事であったので、話は平行線だった。

エイリアンは、どんな時でも自分に対する反省はほとんどなく、言い訳的な話や反論、自分を保護する事ばかりの話しか口からでない。

最終的には、自分は全く悪く無いと言い張り、自分への弁護や保護を、相手より権力がある人に訴えることで助けを乞うのである。まるで子供だ!


私は、自分の責任は自分で取れる人間だ!どんな失敗をした時でも、自分が正しい時でも、私は職場で言い訳はしない。

私の座右の銘として『世の中には自己評価は存在しない。自分の評価は人が決める』と、父から教わった。

だから、エイリアンの件で上司に呼ばれたとき、実際のところ、彼女が話している事が全て嘘であったのだが、その事は指摘せずに、自分の名誉に関わるところだけは否定したが、あとは言い訳しなかった。

こんな場合、私にとっては、真実は一つなので、たまたま仲裁に入った上司の態度では、頭から私の話を聞こうとしていないとわかったので、私の正義を貫くためには、こんな上司に話す事も時間の無駄であり、こんな頭の悪い上司とは、話したところで、話し通じないだろうとの判断で『辞職』を選ぶだけであった。私の腹は上司に会う前から決まっていた。


世の中では、どんな事でも相手が自分に対して、一旦、胡散臭いと思われているなら、何を話しても時間と動力の無駄である。だから言い訳など必要ない。

相手が指摘した事が本当の事なら謝罪し、事実と違ったり、嘘なら、私のように何も言わなくても、相手からそんな風に思われているなら、そんな職場を辞める選択をするといい事だ。

でも、私の場合は、私が辞表を出しても、社長が受け取らなかった。会社が私の辞任を承認しなかったのは、社長の思惑があったのだろう。だから、私が言い訳してもしなくても結果は同じなのだ。

また、その時に、自分が居残る条件として、エイリアンを自分の管轄から外してもらいたいと申し出た。私としては、今後は彼女のような『嘘つき』とは仕事ができないと判断したからだ。

だから、宮迫さんも、私みたいに何も言い訳しなくてもよかったのではないか?と思う。今後のことや後輩芸人の事は、岡本社長とひざを付き合わせて、心が話せばわかってもらえる相手ではないだろうか?


あんな公の場で、会社の内部告発的に、自分の待遇の悪さを言う必要がどこにあったのだろう?


宮迫さんは、お金を受け取らなかったと世間に言った。だから、その事、つまり、世間に嘘をついた事をお詫びして、今後の事は会社と話すといえば、あんな世間を騒がせる事も、他の芸人さんを巻き込む事もなかったのに…と、私は思う。



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世の中は、悪いことばかりでない。言い訳しても言い訳しなくても、真実は時間が経てば誰にでもわかるようになる。

宮迫さんだって、嘘をついた事を記者会見で謝罪するだけでよかったのだ。余計な話は要らない!

そうすると、政府まで関与しなければならない会社の問題にはならなかった。

宮迫さんの内部告発を喜ぶ人はもちろんいたとしても、あんな大きな組織の中では、芸人さんやタレントさんだけでなく、一般社員の方々でも、喜んだ人より、迷惑を被った人の方が多いのではないか?と思う。


宮迫さんは、あくまでも、自分や田村さん達の弁護の事しか考えていなかったのだろう。でも、それは、やっぱり宮迫さんも『エイリアン』だからだ!



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私は、今回の吉本の事件や自分が経験した職場のエイリアンとのトラブルを通して、日本が『言論の自由』が保証されている国でよかったという思いもある。

でも、それとは裏腹に、日本人エイリアン達は、『言論の自由』すらも、自分の都合がいいように解釈し、嘘も公でつけるカテゴリーの人々だ。

これが、うちのエイリアンや宮迫さんにとっての『言論の自由』なのであろう。



怖すぎる!