トランプ米大統領の首席戦略官で、大統領の頭の中の最も邪悪な声の主であるスティーブン・バノン氏はメディアや企業、「ダボスの参加者たち」はトランプ政権がやろうとしていることを理解できていないと指摘したがる。
企業の最高経営責任者(CEO)、特に米ウォール街のトップの間で就任式前に広がっていたムードから判断すると同氏は正しい。先月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、一部の人はまだ無邪気にホワイトハウスの新しい主が減税と規制緩和をしてくれると沸いていた。
だが、1月27日の大統領令で導入された唐突で無秩序な移民入国制限が、彼らを現実に呼び戻し始めた。米多国籍企業が対峙する大統領とは、大声を出す気取り屋であるだけで、米アップルや米ゴールドマン・サックスの経営に実際にはほとんど影響を与えないタイプなどではない。考え方では、根本的に敵対する大統領だ。
■今回の入国禁止、手始めに過ぎない
バノン氏と、司法長官に指名されたセッションズ氏が自分たちの考える政策を実行できるなら、シリアからの難民と他の国からの市民の入国禁止措置はほんの手始めにすぎない。バノン氏が言うようにセッションズ氏はトランプ政権の各政策に「違憲でないというお墨付きを与える立場」にあるわけで、今後必ず就労ビザの規制強化を打ち出してくるだろう。
「多様であることは、選択の問題ではない。我々があらねばならない姿だ」。ゴールドマンのロイド・ブランクファインCEOは1月末、従業員にメールでこう書いた。これを「世界の運営方法をすべての人に指図したがる」エリートを激しく批判する元ゴールドマン幹部のバノン氏や、あるいはシリコンバレーの経営者たちが高い能力を持つ移民は不可欠な存在だと主張するのは「嘘」と一蹴するセッションズ氏に投げかけてみたらいい。
この数十年、多くの経済的変化をもたらしてきた多国籍企業は、存亡の危機に直面している。歴代の大統領とは異なり、トランプ氏は企業を服従させたいと考えている。同氏は選挙戦中、グローバル化とナショナリズムのいずれに軸を置いて事業を進めるのか、経営者に問うていくと約束した。それが本気だったことが判明したということだ。
■バノン氏の考えまず「米国第一」
バノン氏の考え方には矛盾がある。中国の国家資本主義とイスラム原理主義に疑念を持ち、米国の戦後の経済的奇跡をもたらしたと同氏が考える「ユダヤ教とキリスト教が混じった資本主義」(編集注、利益を出すのは大事だが、他人を助けることも大切という考え方)を支持してきた。だが現在彼は、もはや他者を助ける必要はなく、「あらゆる戦いの中で、どんな手段を使おうとも、どんな代償を払おうと」、とにかく米国を第一に考えようとしている。
多国籍企業は、バノン氏らが規制強化をしかけてくるのを無視することもできないし、そうした試練がそのうち静かに消えていくと期待してもいけない。米電気自動車メーカー、テスラの創業者イーロン・マスク氏はツイッター上で、大統領に経済政策を助言する「大統領戦略・政策フォーラム」に移民入国制限の「特定修正条項」を提案すると訴えたが、あまりに楽観的と言わざるを得ない。
企業は反撃に出なければならない。トランプ氏が違憲の政策を出してきたら法廷で争うと同時に、世論を味方につける必要がある。経営者は、トランプ氏の標的になったら苦しくても戦い抜くしかない。米アマゾン・ドット・コムなどが以前そうしたように、表だって戦う勇気ある企業は、倫理的にも、経済的にも道理にかなった戦いをしているということになる。
バノン、セッションズ両氏の分析はわけがわからない。セッションズ氏は、能力ある移民の流入が大幅に減れば、同じ数だけ米国人が仕事に就けるようになると考えている。しかし、実際には移民の流入で起業家精神やイノベーション、経済成長が刺激されてきた。
米国の移民の数は昔に比べ増えている。4000万人以上の米国人は海外生まれで、全労働者に占める外国生まれの労働者の割合は1995年から2014年に11%から16%に上昇した。これは米国にとって必要なことだった。移民がいなければ米国は高齢化が進み、経済の弱体化が避けられなかっただろう。
最も成功を収めた米企業、特にハイテク企業は、その変化対応力や多様性を称賛されている。米マイクロソフトと米グーグルのCEOがどちらもインド生まれだという事実は、米国の開放性を象徴する。排外主義がはびこれば、米国の世界での地位は低下する。
■国を越えた人材、成長もたらす
企業は自分たちがしっかりした哲学を持っていることを示さない限り、この戦いには勝てない。「ウーバーはコミュニティーだ。我々は互いに支え合うために存在する」。ウーバーのトラビス・カラニックCEOは、米国への入国を禁じられた運転手へ支援を表明するメールにこう書いた(編集注、同氏は2日、「大統領戦略・政策フォーラム」のメンバーを辞任した)。運転手を直接雇用せず、運転手に対しごく一部しか責任を負わない企業がこうした言葉を発したのは奇妙ではあった。
多くのハイテク企業は多国籍企業として各国できちんとした条件で人を雇い、現地で税金を納めるといった責任ある行動をとらなかったことで企業としての信頼を損ねてきた。米国企業としての義務を果たしていない企業は、トランプ氏の攻撃の格好の標的になる。
だが、企業にはまだ打つ手がある。ニューヨークやロンドンなどの街頭で米国の移民入国制限に抗議している群衆の中には、大企業に懐疑的で、「新自由主義」を非難する人は多いが、リベラル的な考えを全く否定しているわけではない。つまり、トランプ氏は彼の政策によって様々な事態が今より悪化し得ることを証明したということだ。その意味で彼は、多国籍企業に名誉挽回の機会を与えたといえる。
これを足がかりにすればいい。グローバル企業は国境を越えた発想や人の流れ、国をまたいでの最も優秀な人材の採用、民族や国籍より起業家精神や才能を重んじる姿勢がいかに自分たち企業の競争力を高めてきたかを証明するほど、戦いの勝算は大きくなる。バノン氏の宣戦布告は、この課題がいかに緊急なものかを明確にした。
By John Gapper
(2017年2月2日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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