どうして鈴木みのるは大物なのか。異色の経歴と「バルタン星人理論」。
1.4東京ドームの興奮も冷めやらぬ、翌日の1.5後楽園ホール。噂通り、鈴木みのる率いる鈴木軍が、新日本プロレスに再来襲を果たした。
鈴木軍はセミファイナルのCHAOSvs.新日本本隊の10人タッグマッチ終了後に乱入。試合を終えたばかりの両軍の選手たちに一斉に襲い掛かったあと、最後は鈴木みのるがゴッチ式パイルドライバーでIWGP王者オカダ・カズチカをKO。「新日本の宝(チャンピオンベルト)をすべて奪い取る!」と宣言した。
これを受けて、2017年初のビッグマッチである、2.5札幌大会(北海きたえーる)で、王者オカダ・カズチカvs挑戦者・鈴木みのるのIWGPヘビー級選手権試合が決定。このいきなりのビッグカードは、鈴木軍の実力行使という側面だけでなく、新日本が鈴木の実力とバリューを高く評価している証拠とも言えるだろう。
鈴木は現在48歳で、キャリアは実に28年。現在の新日本プロレスは全体的に若返りが進んでおり、エース棚橋弘至ですら40歳を迎えてからシングルのタイトル戦線からは一歩引き始めている中で、これだけの大ベテランが第一線で闘い続けているのは、極めて稀。
なぜ、鈴木だけはトップでいつづけることができるのか。その秘密は、これまでの経歴と、プロレスに対するスタンスにある。
ノア、全日、そして新日と戦場を転々。
鈴木は2003年に総合格闘技からプロレスに復帰後、2000年代半ばはノアを主戦場に、当時のGHC“絶対王者”小橋建太と日本武道館でタイトルマッチを経験。その後、2006年から全日本プロレスに主戦場を移し、全日本の看板タイトルである三冠ヘビー級のベルトを奪取。トップレスラーとしての地位を確立し、“全日本になくてはならない選手”と思われるようになった。ところが2011年、今度は新日本プロレスに本格参戦した。
新日本では、現在まで続く鈴木軍を結成し、2012年の1.4ドームでは棚橋とメインで対戦。2014年の『G1クライマックス』でのAJスタイルズ戦では、アメリカの有名業界誌『レスリング・オブザーバー』で年間最高試合賞に選出されるなど世界的な評価を受けるが、4年間で新日本を後にし、2015年1月からは鈴木軍全員でノアに進撃。GHCヘビー級を始めとしたノアのベルトを鈴木軍で総なめにして、2年後の今回、新日本に再上陸をはたした。
「バルタン星人の論理」で、永遠のヒールに。
こうしてみると鈴木は、数年周期で主戦場を変えながら、それぞれの場所でトップとして活躍していることがわかる。そして、どこに行っても一貫していることは、鈴木がヒールであり続けているということだ。
鈴木自身はこれを「バルタン星人の論理」と呼んでいる。
「他のレスラーはみんな、その団体の“主人公”になりたがっている。ヒーロー番組で言えば、“ウルトラマン”になりたがってるんだ。でも、ウルトラマンになれるのはひとりだけだし、ウルトラセブンになれるのもひとりだけ。その時代時代の主人公になれるのは、ひとりだけなんだよ。
そしてフリーである俺は団体のエース、つまり“ウルトラマン”にはなれない立場にいる。だったら敵役のバルタン星人になろうと思ったんだ。バルタン星人は初代の『ウルトラマン』に出てきた後、いろんなウルトラマンの敵役として出てきて、平成の新しいウルトラマンシリーズにも出てくる。要は時代も団体(番組)も超えて、いろんなヒーローの敵であり続けている。だから俺も、数年周期で各団体の“ウルトラマン”を倒しに行ってるんだ」
古き良きアメリカンプロレスの「ヒール」を今演じる。
この鈴木の行動は、かつての古き良きアメリカンプロレス黄金時代のトップヒールレスラーの生き方にも通じる。
現在のアメリカマットはWWEの1強時代が長く続いているが、1980年代半ばまでは、全米各地にテリトリーがあり、それぞれが独立した団体として栄えていた。ヒールレスラーはご当地のヒーローと抗争を繰り広げたあと次のテリトリーへと渡り、また新たな抗争をスタートさせる。そうすることでマンネリを回避し、ご当地のヒーローに敗れた後も軍門には降らず、戦場を変えることでトップヒールとしての“番付”を維持し続けていた。
鈴木はいまのプロレス界における、最後の“大物フリーヒールレスラー”なのだ。
大技より、ヘッドロックひとつで差を見せつける。
また、鈴木はプロレスのスタイル、そして持っている技術も、現在の他のトップレスラーとは違う、唯一無二の存在であることが挙げられる。
鈴木は'80年代の末にアントニオ猪木の新日本プロレスで新人時代を送り、その後はUWF、藤原組で格闘プロレスに邁進。藤原組では、伝説のシュートレスラーであるカール・ゴッチに師事し、'93年には船木誠勝らと総合格闘技団体パンクラスを旗揚げした。2003年にプロレスに復帰するまでは、ほぼ格闘技の技術しか持たないプロレスラーだったのだ。
「プロレスに戻った頃、俺は前座のプロレスと格闘技しか知らなかった。だから当初は凄く戸惑ったし、なんとか自分も現在のプロレスに溶け込まなきゃいけないと思って、他のレスラーと同じように大技を使おうとしていた。でも、途中でそれが間違いだと気付いた。基本的な技と格闘技の技術だけで闘うことこそが、プロとして必要な俺の個性であり、最大の武器なんだってね。そこから、よけいな大技はほとんど使わなくなった。その代わり、日本中のどのレスラーよりも、ヘッドロックひとつで差を見せられる自信がある」
感客の心を動かす、たった50cmの落差。
そして、鈴木は基本的な技を出すタイミングを磨くことで、それを大技以上の効果あるものにする術を身につけていく。
「たとえば、危険な大技や派手な空中殺法を出せば、お客さんは『ワーッ!』と沸くわけだけど、それは自分の想像以上のものを見たときの、驚きの声なんだ。だけど、そんなことをしなくても、誰も予想してないところで相手を躓かせるだけで、観客が『ワッ!』と驚くことに気付いた。だから、トップロープ最上段からの投げ技が当たり前のなかで、俺の必殺技であるゴッチ式パイルドライバーは、膝の高さから落とすだけだから、落差が50センチもない。でも、たったこれだけの高さがあれば、観客の心を動かすことはできるし、相手を倒すこともできるんだ」
そしてそれは、1.4東京ドームで46分に及ぶ激闘を展開し、現代プロレスの最高到達点と称えられたオカダ・カズチカvs.ケニー・オメガへのアンチテーゼでもある。
「『鈴木が、オカダvs.ケニーを超えられるのか?』なんてことを言われることもある。でも、そんなのはちゃんちゃらおかしい話でね、超えるつもりもないし、超える必要もない。ケニー・オメガが大技を何十発やっても勝てなかったオカダを、俺はたった一発のパイルドライバーで仕留めてみせるから」
鈴木みのるは、異なる技術と価値観を持ち込むことで、いま48歳にして日本プロレス界の頂点のベルトを奪おうとしているのだ。