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米中戦争勃発の可能性は「16分の12」だ! 500年間のケース分析は警告する

From The Atlantic(USA) アトランティック(米国)
Text by Graham Allison

ILLUSTRATION: CSA IMAGES / PRINTSOCK COLLECTION / GETTY IMAGES

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古典的名著『決定の本質』で、いかにしてキューバ危機が起き、いかにして核戦争が回避されたかを解明したハーバード大学の碩学、グレアム・アリソン。
500年間の「支配勢力」と「新興勢力」の争いを分析したアリソンは、紀元前5世紀に大戦争でギリシャを崩壊させた「トゥキュディデスの罠」が現代の国際政治でも発動する、と目前の巨大リスクを警告する。


「戦争なんて起きない」と考えることが戦争のリスクを増やす

2015年9月、米国のバラク・オバマ大統領が、訪米した中国の習近平・国家主席と会談した。
この会談の席で、ほぼ確実に話題にならなかったことが1つある。

その話題とは、「10年以内に米中戦争が勃発する可能性がある」というものだ。

両国の首脳陣にとって、米中の武力衝突など起こりえない話なのだろう。また、米中の指導者たちには、「戦争を起こすほど自分たちは愚かではない」と考えている節がある。

だが、人類はこれまでとんでもない愚行を何度も犯してきた。100年前の第一次世界大戦を振り返ってみるといい。あなたが「米中戦争など起こりえない」と言うとき、それは「米中戦争が起きる可能性はゼロだ」と言っているのだろうか。それとも「米中戦争が起きる状況を自分は思い描けない」と言っているだけなのだろうか。

1914年の時点で、まもなく「世界大戦」という未曾有の大戦争が起こり、想像を絶する数の人が死ぬと予見できた人は、ほとんどいなかった。
だが、その4年後、第一次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパは荒廃し果てていた。

ドイツからは皇帝がいなくなり、オーストリア=ハンガリー帝国は解体され、ロシア皇帝はボリシェヴィキによって打倒され、フランスは一世代分の国民を失い、英国からは若者と富が奪われた。
それまで何百年もの間、ヨーロッパが世界の中心だったが、そんなヨーロッパ中心の時代が突然、終わりを告げたのだ。

いま問うべきなのは、はたして米中の2大国が「トゥキュディデスの罠」を回避できるのか、ということだ。

「トゥキュディデスの罠」とは、「新興勢力が台頭し、それまでの支配勢力と拮抗するようになると、戦争が起きる危険性が高まる」という歴史的な経験則である。
古代ギリシャ世界で支配勢力だったスパルタに新興勢力のアテナイが挑んだときも、いまから100年前、支配勢力の英国に新興勢力のドイツが挑んだときも、結果は同じだった。
すなわち大戦争が起きており、その結果、支配勢力も新興勢力も大きな損害を被っている。

ハーバード大学ベルファー科学・国際関係研究所の私の研究チームは、この500年の歴史をひもとき、支配勢力と新興勢力が拮抗した事例がどれくらいあったのかを調べてみた。
その結果、事例は16件見つかり、そのうちの12件で戦争を起きていた。戦争を回避できた事例では、支配勢力と新興勢力の双方が、すさまじい努力をしていたことがわかった。

要するに、いまの流れから判断すると、数十年以内に米中戦争が勃発する可能性は充分にありうるのだ。いや、一般に想定されているよりも可能性は高いといっていい。
歴史を調べると、このような状況では、戦争が起きる確率のほうが、戦争が起きない確率より高いからだ。

また、現状では、米中戦争など起こりえないと決めつけ、そのリスクをまともに考えない人が少なくない。そのせいで、かえって米中戦争のリスクが高まってしまっている。

「トゥキュディデスの罠」のポイントは、予想外の大事件が起きなくても、大規模な紛争が勃発してしまう可能性が高い、ということだ。
1914年、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件は、通常であれば、紛争に発展することなく鎮火できる事件だった。だが、新興勢力と支配勢力が拮抗している状況では、そのような事件が無数の反応を引き起こし、その結果、どこの国も望んでいない悲惨な事態につながってしまったのである。

もちろん、必ず戦争になるというわけではない。16件の事例のうち、4件では戦争が起きていないのだ。
世界各国の指導者たちが、これらの事例から学べることは少なくない。

「トゥキュディデスの罠」に陥らないようにするには、甚大な努力が必要なのだ。習近平は2015年9月、シアトルでこう述べている。

「『トゥキュディデスの罠』なるものは、この世に存在しません。しかし、世界の主要国が、戦略的な判断を繰り返し間違えると、そのような罠を自ら作り、自らそれにはまってしまうことになりかねません」

「罠」を考察したトゥキュディデスが見たもの

いまから2400年以上前、アテナイの歴史家トゥキュディデスは次の卓見を示した。

「戦争を避けられなかった原因は、強まるアテナイの力と、それに対するスパルタの恐怖心にあった」

ほかにも、アテナイとスパルタの死闘となったペロポネソス戦争の原因を論じた人はいた。
だが、トゥキュディデスの洞察は、本質を突くものだった。アテナイとスパルタというライバル同士のパワーバランスが急速に変化したので、両国の関係に構造的な負荷がかかるようになったというわけだ。

トゥキュディデスは、新興勢力側と支配勢力側の2つの力が働いていることに着目している。
新興勢力側は、国力が高まり、自信を持つようになり、いままで以上に発言権と影響力を持とうとしていた。一方、支配勢力側は、不安感を抱き、万難を排して現状を維持しようとしていたのだ。

著書『戦史』でトゥキュディデスが描きだしたのは、ペルシャ戦争を乗り切った紀元前5世紀の古代ギリシャ世界だ。

アテナイは文明国として発展しはじめていた。哲学、歴史叙述、演劇、建築といった文化が花開き、民主政治が実施され、海軍力が高まっていた。
このアテナイの台頭にショックを受けたのがスパルタだった。スパルタは、100年ほど前からペロポネソス半島最強の陸軍力を誇る覇権国家だった。

トゥキュディデスに言わせれば、アテナイの行動は、無理もないものだった。

自国の影響力が増して自信がついたので、過去に受けた屈辱を晴らすためにも、これまでの取り決めを見直し、最新のパワーバランスを反映したものにするように求めたのだ。

一方、スパルタの行動も、もっともなものだった。スパルタ側にしてみれば、アテナイが繁栄できたのも、スパルタが築き上げたシステムのおかげだった。アテナイがそのシステムを崩すことになれば、アテナイの繁栄も危うくなる。
つまり、アテナイは恩知らずなだけでなく、非合理的に思えたのである。

アテナイもスパルタも、パワーバランスが相手のほうに傾かないように、相次いでほかの都市国家と同盟を結ぶようになった。
もっとも、同盟を結ぶことは、両刃の剣だった。

PHOTO: ANTON VIOLIN / GETTY IMAGES

PHOTO: ANTON VIOLIN / GETTY IMAGES


複雑にからみあった同盟の結果、何が起こったか。
二流都市国家のコリントスとケルキラの間で紛争が起きると、スパルタは同盟を結んでいる手前、コリントスに加勢した。その結果、アテナイは、同盟国のケルキラを支援する以外の選択肢がなくなってしまったのだ。

このようにしてペロポネソス戦争は始まり、終わるまで30年もかかった。
名目上の戦勝国はスパルタだったが、戦争が終わった頃には、スパルタもアテナイも、すっかり荒廃していた。

やがて、ギリシャ世界はマケドニアの侵攻を許すこととなる。

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