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成毛眞の外資系企業探訪記:第2回は日本での快進撃著しい北欧ブランド「ボルボ」!
Text by Yasuyuki Onishi
今回の訪問先は、スウェーデンのメーカー「ボルボ」の日本法人である。
ボルボ・カー・ジャパン株式会社 Volvo Car Japan Limited
本社所在地:東京都港区芝公園2-6-3芝公園フロントタワー
創立:1977年4月
従業員数:約250名(本社約70名、直営店約180名)
社内公用語:日本語、英語
初回のマイクロソフト日本法人は“殿”こと成毛眞「HONZ」代表(編集注:呼称の由来は当連載第一回をご参照ください)の古巣だった。
二回目にボルボ・カー・ジャパンを選んだのは、この会社のトップを務める木村隆之社長の経歴がとてつもなくユニークだからである。
大阪大学工学部を卒業してトヨタ自動車に入った木村氏は、「技術がわかる営業マン」として欧米で活躍し、MBAも取得する。
ところが、MBAで経営に目覚めた木村氏は社長業に興味を持ち、ユニクロを傘下に持つファーストリテイリングに転籍。2年後にはヘッドハンティングで日産自動車に。インドネシア日産、タイ日産とアジア・パシフィック日産の社長を務めた後、再びヘッドハンティングでボルボ・カー・ジャパンの社長になった。
大前研一氏の著作を愛読する木村氏は「やりたいことは全部やる」を信条に数々の会社を渡り歩き、外資のトップにたどり着いた。やりたいことは全部やってきた殿とは、いかにも相性が良さそうだ。
木村「ようこそ、お越しくださいました。どうぞどうぞ」
木村社長の部屋からは、正面に東京タワーを望む絶景が広がる。
成毛「おお、これはこれは」
いきなりスマホを取り出し、写真を撮り始める殿。
成毛「おっ、これは」
窓辺に飾られたミニカーを目ざとく発見して、手に取る殿。
木村「はい、ボルボのラインナップです」
さすがは世界を股にかけた敏腕営業マン。抜かりがない。なんとかミニカーのバックに東京タワーを収めようと様々なアングルからの撮影を試みる殿。なかなか仕事熱心である。ようやく満足のいく写真が撮れ、ご満悦でインタビューが始まった。
成毛「工学部なのに営業職。いきなり変わったキャリアですね」
木村「はい。トヨタには新卒で500人くらいエンジニアが入りますから、1人くらい、変わった奴がいてもいいだろうと。技術部の言葉がわかる営業ですね」
確かにトヨタのような巨大企業で人と同じことをしていたのでは、「その他大勢」になってしまう。木村氏は「海外営業の商品企画」を担当することになった。ご本人曰く「海外で売るためにこんな車を作れ、とチーフエンジニアの首根っこを押さえる仕事」である。
成毛「そのあと、ブリュッセルに行かれていますが、英語は問題なく?」
さりげなくインコースをつく殿である。
木村「いや問題は大ありで。あの頃はTOEICが500点あるかないか、というレベルでしたから。赴任前はNHKの『やさしいビジネス英会話』で勉強しました。飲んで帰っても必ずラジオはつけるのが、習慣で。2年半は続けました」
成毛「えらいなあ」
木村「いつかアメリカに行きたいと、狙っていましたからね」
成毛「それで、狙い通り留学されるわけですね」
木村「はい。MBA留学が10年ぶりに復活すると上司に聞いて、すぐ手をあげました」
成毛「ああ、バブルの頃のMBA組は、みんな会社を辞めちゃいましたからね。懲りた会社が留学制度をなくしたんですよね」
木村「そうです。しかし海外でマネジメントをする仕事が増えて、やはりMBAは必要だから、中堅を行かせようということになったんですね。35歳なら家族もいるし、辞めないだろうと」
成毛「でも木村さんは辞めちゃうわけだ」
木村「はい。MBAを取ったら、どうしてもマネジメントがやりたくなって。子会社でも現地法人でもどこでもよかったんですが。トヨタにいると、ずっと役員レースをやって、なれなかったら55歳で子会社の社長、というパターンなんですが、とてもそれまで待てないなと」
「社長になりたい」というのはわかるが、それにしてもなぜ転職先がファーストリテイリングだったのか。
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