移民問題は、欧州連合(EU)と近隣諸国との関係を治める上で最も重要な最優先事項になった。議論を呼んだトルコとの合意から2カ月たち、続々とエーゲ海を渡ってきたシリア難民の波は落ち着いてきた。しかし、毎月何千という人がさらに危険な経路である地中海中央を渡って命を危険にさらし続けている。2014年の年初以来、海で命を落とした人は総勢1万人以上にのぼる。一方で、審査を受けていないように見える移民に対する人々の敵意が、欧州大陸における過激主義政党の台頭をあおっている。このような苦境に対応することは不可避だ。
こうした背景から、欧州委員会は移民問題に対する協力の促進や、協力的でない場合の罰則を盛り込んだ方策を中東やアフリカの各国政府ととりまとめる提案をしている。ひな型はトルコ政府との合意で、密航ルートの取り締まりと引き換えに資金を提供し、EUを旅行する際のビザ(査証)を免除するというものだ。
移民対策をこの政策にまで広げることで、貿易や開発援助、ビザの免除まですべてが交渉の切り札として使われる可能性もある。欧州委は経済的に脆弱な国々に投資できる620億ユーロ規模の官民対外投資向けの基金を創設したい意向だ。ナイジェリアなど移民の出身国は、それと引き換えに要件を満たさない移民を再び受け入れるよう求められるだろう。経由地であるニジェールやレバノンなどは密航業者を取り締まり、出身国に近い難民に対して支援するよう求められるだろう。移民管理をEUとそれぞれの国との関係の中心に据える目的であるのは明白だ。
この対策は外交政策に対していくつかの懸念を浮上させている。
一つは倫理的側面だ。EUは長いこと自らが国境を越えて民主的価値と法の支配を促してきたと自負している。仮にEUがサハラ砂漠を越える主要ルートの一部を閉鎖するなら、かねて政府による深刻な人権侵害の歴史を持つスーダンなどの国々と取引をかわす必要があるだろう。これはEUの「ソフトパワー」に深刻な打撃を与えかねず、EUが域内の政府、例えばハンガリーやポーランドなどに移民の人権に関する責任を問うことが難しくなる可能性がある。
移民と開発援助をひとくくりにすることにも問題がある。開発援助機関は、最も必要とされるところに資金が回らなくなる可能性を懸念する。また、一部の政府は、これを「ゆすってくれ」と言わんばかりの政策だと見るかもしれない。ニジェールは既に協力の対価として国内総生産(GDP)の14%に相当する10億ユーロを要求してきた。また同時に、新たな基金によって可能になる投資に対して、欧州委の見積もりは楽観的に見える。経済的なインセンティブが結局いくらになるのかは全くはっきりしない。
とはいえ、アメとムチといったやり方でも慎重に使えば違いを生むことができるかもしれない。
実現し得る同様な方策の一例は、レバノンにいるシリア人難民の生活環境や法的立場を改善する取り組みと引き換えに、同国の基礎的な社会サービスへの資金提供で合意することだ。また、シリア人労働者を一定割合雇うヨルダンの経済地区からの輸出に優遇措置を与えるというのももう一つの例だ。それらの国々にいる難民への支援を一段と整える必要性は急を要する。そうした難民は収入を得る手段さえ整えば出身国の近くにいることを望むだろう。
欧州委は、異なる各国の利益を調整し、移民危機に対して一丸となった対応の枠組みを作ろうとしており、これはEUにとって自身の存在に関わる問題になってきている。この計画への拠出に必要とされる金額は莫大な金額ではない。さらに言えば、欧州によるアフリカや中東への取り組みはここ何年も断片的で、どう見ても中途半端だった。しかし、この提案は少なくとも同地域に関与するための一貫した取り組みといえる。なかには気乗りしない妥協もあるかもしれないが、追求する価値はある。
(2016年6月9日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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