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異色の訪問記「硫黄島からのメール」第2回 時間が止まり、今も戦争が続いている島
Text and Photographs by Mitsuharu Hino
日野光春 ひの・みつはる 1974年生まれ、編集者。雑誌・書籍の出版やウェブマガジンへの寄稿などで活動中。ライフワークは世界各地への旅行。
PHOTO: PHAN LEE MCCASKILL
第1回はこちら
【前回のあらすじ】8年前、仕事に疲れ果て、2週間の休みをもらった私は、飲み仲間の山田君、宮川さんと3人で硫黄島の自衛隊基地に飲食のアルバイトに行くことになった。都心から南へはるか1250㎞、太平洋戦争の激戦地として知られ、今は一般人の立入が禁じられている孤島。私は、風変わりな30人ほどのアルバイト仲間たちと共に入間基地から自衛隊機に乗り、すさまじい強風が吹く硫黄島の飛行場に降り立った。
サメの餌にはなりたくない
硫黄島の飛行場に到着して、アスファルトのなだらかな下り坂を宿舎に向かう私たちは、肌寒さにぶるぶる震えていた。日差しは強いものの、海からの風が激しく吹き荒れ、互いの声もよく聞き取れない。
「3月に……こんな寒い日は……ほとんどない……ですね」
目の前に広がる真っ青な太平洋を見つめながら、宮川さんが途切れ途切れに言った。
もともと高円寺のブックカフェ「ベルッチ」の飲み仲間で、私に硫黄島行きを誘ってくれた宮川さんは、このアルバイトをするのは今回が3回目。いわばリピーターである。以前もこの季節に硫黄島に来たことがあるらしい。
「そう、こんな寒さはめったにないことだぞ」
こう隣で応じたのは、元自衛官でこのアルバイトの責任者である下司(しもつかさ)さんだ。80歳くらいと思われる高齢だが、背筋はしゃんと伸び、足取りも力強い。孫のような私たちアルバイト要員たちより、気力も体力もあるのではないかと感じさせた。
「いやあ、泳ぎたかったんですけど、この気温じゃ無理ですね」
普段は映像ディレクターをしている山田君が残念そうに言った。山田君はわざわざ、水中撮影用のカメラ機材と釣竿まで持ってきていた。彼の言葉を聞いて、下司さんがいきなり叱りつけた。
「こら、説明会で俺が言ったことを忘れたか。海で泳いだらサメの餌になるだけだぞ!」
そうだった。市ヶ谷で行われたアルバイトの説明会のとき、下司さんは「海で泳いじゃダメだからな。サメがウヨウヨいるから」と私たちに釘を差したのだ。山田君はそれを忘れていたか、あるいは上の空で聞いていなかったらしい。
山田君はすぐに「すみません」と謝った。それから私に小声で「同じ死ぬのでも、硫黄島の海でサメに食われるという死に方はかなり嫌ですねぇ」と耳打ちした。
宿舎に近づくに連れて、私は少しずつ緊張してきた。まもなく、硫黄島にたった一軒しかない食堂(店名は「硫黄島食堂」という)でのアルバイトが始まるのだ。
基本的に自衛隊員だけが客という特殊な店で、何かトラブルがあっても日本本土に逃げ帰る交通手段は一切ない。そんな環境の中、はたして最後まで無事にやって行けるのだろうか……。
この静かなビーチで、かつて上陸を図る米軍と迎え撃つ日本軍が死闘を繰り広げた
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