「正しい人」が怖くて、悲しい。それはたとえ、家族であっても。

この2つのツイートと、今日の夫婦のすれ違いと、こちらのブログを読んで、感じることがありました。

「家族の中での正しさと怖さ」について、考えてみます。

正しいことを言われても、怖い人と怖くない人がいる。

「正しいこと」と一口に言っても、いろんな種類があります。
常識やマナーは時代や場所によって変化するので、私はあまりその分野での「正しさ」は重視していません。
誰かに厳しく指導されても「ああこの人はそれが正しいと思っているんだ」と受け入れ、対応できる範囲で応じるようにしています。

そういう「正しい人」は、私にとっては「その場その範囲で正しい人」なので、私には怖くはありません。
その正しさに納得がいかなければ、そこから離れればいいのですから。

道理的に正しいこと、というのは確かにあります。
たとえば、期日が決められた提出物の期限は守らなければならない、などは確かに正しいことです。
でも、それにどうしても反してしまうことも、時に起こってしまいます。

そのときに間違っているのは、間違いなく反してしまった本人です。
私がその正しくない行動をしてしまったとき、後悔と謝罪の気持ちでいっぱいになります。
「あなたの行動は正しくなかった」、そう指摘してくる人がいたら、素直に謝ります。

「正しくなかった」ときに、味方だと思っていた人に一方的に批判されると怖くて、悲しい

なぜそんな結果になってしまったのか。
それには、体調が悪かった、すっかり忘れていた、曜日を間違えていた、理由は様々です。
でもその理由をさておき、私は「正しくなかった」ことを悔いて、「正しくなかった」自分に悲しくなります。

ただただ、その場で重ねて「正しさ」の中に個人の持っている常識やマナーを重ねて、私のことを批判してくる人が、怖いと感じています。
特に普段親しく味方だと感じていた人が、私の「正しくなかった」行動のとたんに態度を翻す様が、とても怖いのです。

「あなたは正しくなかった、なぜそれができなかったのか」

そう問われて正直に答えたところで、彼らの頭の中の常識やマナーとそぐわなければこう返ってくるでしょう。

「できないなんておかしい」「人として残念だ」「常識がわかっていない」「言い訳ばかりして」

私はこれらの言葉を、父と夫によく言われます。
毎回何度もあきらめずに説明するのですが、彼らにとっての「常識やマナー」「俺の中にある正しさ」は揺るぎないもので、私の理由など関係ないのでしょう。

もう一つそのときに感じる気持ちは、「悲しい」。
私は「正しくなかった」という行動を反省して後悔している、味方だからこそわかって欲しいのに、通じ合えない悲しさ。

相手は何をして欲しいんだろう、私はどうしたいんだろう

最近はもうそんなやりとりにすっかり慣れてしまって、傷つきながらも、相手は口では私を批判するんだけれど本当は何をして欲しいんだろうか、考えるようになりました。

「とにかく早く正しい行動に移して欲しいから、厳しく言っている」のか、
「自分の正しさが否定され、自分自身まで否定されたように感じて過剰に批判している」のか。

まだ他にもありますが、とにかく上記2つのパターンが多いように感じています。どちらも含んでいる混合型もあって、未だどう対処すればいいかわかりません。

もう一つ思い当たる節があります。
私にも相手に「反省していない」と思われる原因があり、相手がより厳しくなっているのかもしれません。

「正しくない」という行動をしてしまった自分に落胆して元気がないときですから。
そう気づかされたツイートがこちらでした。

ADHDという脳特性を持っている私は、複数のことを同時にこなすことがとても苦手です。
なので、「正しくないことを申し訳ない気持ち」を抱えながら「正しくないことをしてしまった理由」を説明するという対極のことを同時にこなすにはキャパシティーが足らず、表情や声色まで気を遣えていない可能性が大きいのです。

…ということを、父はともかく、夫にどう説明したら理解してもらえるでしょうか。
また、正しくないと批判されるのでしょうか。
家族なのに、こんなやりとりが続くのが怖くて悲しくて涙が溢れるので、今の私にはすこし、無理みたいです。
でもちゃんと私のことを伝える努力をしていかないと、きっとこの流れは何度も繰り返されるのだろうと思います。
また悲しい気持ちになりたくないから、こんど、落ち着いているときに。

家族だから、一方通行じゃないコミュニケーションがしたい

先日お知り合いに言われて印象的だったのは、「喧嘩して顔なんて見たくなくても、寝て起きて隣にいるのが家族」という言葉でした。

どんなに怖くて悲しくても、家族。
父と子の関係性は、逃げられるものではなく耐え続けた幼少期でした。
夫婦関係においては、家族をやめるという選択肢を、大人になった私は持つことができます。

でも、一方通行じゃないコミュニケーションを望む気持ちがある限りは、悲しいという気持ちが残っているうちは、まだその選択肢をとらないのだろうと思います。

「喧嘩して顔なんて見たくなくても、寝て起きて隣にいるのが家族」

元々他人だった夫婦が一緒になるというのはきっとこんなやりとりの繰り返しなんだろうと、今は思うことにして、今夜はそろそろ眠りにつきます。おやすみなさい。

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