自意識!(挨拶)
『妖怪男ウォッチ』ぱぷりこです。恋愛市場という魔窟で、アラサー妖怪男女の相談、演説、悶絶、吐血、返り血を浴びた経験を、筆圧高い文章で供養するブログを書いています。
モテ女子の最終形態、「VERY妻」というキラキラ地獄
「スーパーMARKETで浮かない、秋のオシャレ」
「あのパパ素敵、の奥さんはオシャレ」
「テラスで絵になるファミリースタイル」
ブレない!メゲない!ドラゲナイ!括目せよ!この煽り文句に。雑誌「VERY」は、出版不興もなんのそので部数をのばすカリスマ主婦雑誌。婚活戦力を上げるため、婚活女子たちはモテ雑誌なんてぬるいものではなく「VERY妻勉強会」をしているという噂まであります。
VERY妻は、恋活&婚活で勝ち抜き、「結婚」という切符を得た「勝ち組」のみがなれるもので、いわばキラキラ女子&モテ女子の最終形態。VERYライフの推定世帯年収は1500万。イケダンとかわいい子供に囲まれて、都心でオシャレでリッチでスマートな生活を送る。仕事と子育ての両立をしながら、女らしさも失わない。
はい、うらやましいと思いましたか?「ちょっといいな」って思った?思っちゃった?(オペラ座の怪人のテーマで)
ようこそ地獄の三丁目へ!
この雑誌を見てそんなぬるい感想を持ってるようじゃ、人生ほぼノー戦略といっても過言ではありません。特にアラサー女子の皆様、恋活婚活キャリア戦略があまりうまくいってないんじゃないでしょうか。ギクッとしたなら続きGOGO!
「幸福な私」ではなく、「幸福そうに見られる私」
VERYがキラキラ地獄だと私が思う理由は2つ。1つは「女の格付けマウンティング」の宝庫だから。もう1つは「いかに良く見られるか、羨ましがられる存在であるか」という価値観の上に成立しているから。
「VERY」は、「妻であり母であり女である」という三位一体の価値観の中でも、「妻である」ことを特に重視しています。「妻」という地位があるということは、それだけで「選ばれた女」であることをアッピルできるから。ハイスペ彼氏からハイスペ旦那へと自分のアクセサリーを持ちかえて、「妻」という座に加えて「母」という座も手に入れて、女の幸せフルスロットルの格付け山の頂点を目指す!もうここまでくると新手のアスリートかな?という様相を呈していますが、根源にあるのは一貫した「いかに羨ましがられる存在であるか」という自分の神格化です。キラキラ目指しすぎて、とうとう天界人ゾーンへ!
そして、人から羨ましがられるには、それを見る他者の視線が必要。実際、紙面には
「ハイスペ男性に“選ばれた”」
「スーパーMARKETで”浮かない”」
「お似合いと“言われる”」
など、受動態の価値観が並んでいます。視線がないと死んじゃうタイプの百目妖怪かなにかなのかな?
「素敵と思われる」「羨ましがられる」ことで「女の格付けマウンティング」をレベル上げしていく、キラキラ血みどろ殴り合いゲーム。それがVERY妻、VERYライフの正体です。
自己実現に奔走する女子よ、それはエセ自己実現では?
怖いですね。でもなんで、そんな血まみれマウンティング地獄をわざわざ選ぶんでしょうか?それは「幸せの定義を外注している」からです。ひらたく言えば、思考停止。考えてないから、目先のキラキラに目がくらんで、その先の地獄が見えてない。
仕事も恋愛も生活もがんばる。そんな自分、嫌いじゃない。うんうん、いいね、素敵だね。でもね、その目指している姿、ちゃんと自分の頭で考えました?
「他の人から羨ましがられるような自分でありたい」だけなのでは?「他の女より優れていると認められた勝ち組の女」というプライドと承認欲求を満たしたいだけなのでは?
「こうありたい」「こういう自分が素敵だ」「これが私の幸せだ」という価値観を自分で作らず、他人が作ったものに乗っかっている限り、どんなに頑張っていても、成果を出していても、周りから誉められても「エセ自己実現」です。
本来なら目指す姿の設定にいちばん時間がかかるはずなんですが、ここに時間をかけず手を動かす方を先にやってるなら、それはただの思考停止、現実逃避、「とりあえず手を動かす」とかいって試験前に掃除を始める心理と一緒です。
人生を食べログ感覚で決める女たち
「皆がいいって思うならいいはず!」みたいな食べログ感覚で、自分の人生まで決めてどーするんですか。
他人から☆4.5もらっているうちはいい。でも、加齢や環境変化や心の変化など、「与えられた枠組み」からずり落ちるリスクはいくらでもあるわけです。
☆2.5って言われたとき、こういう「価値観外注タイプ」は発狂します。いやまじで。自分より下の人間を見つけて「大丈夫!あれより私はまだマシ!」って思うんですよ。相対評価でしか自分を測れないから、下にいったら下を見るしかなくなる。
これが、VERY妻ワナビーを待ち受ける精神地獄です。
恋活・婚活アラサー女子たちよ、価値観の外注と相対評価をやめろ
いまいろいろ頑張っているアラサー女子の皆さん、「他人がどう言おうと自分はこれを選んだ、なぜなら〜」と自信を持って理由を言えますか?これを即答できないなら、残念ながら「エセ自己実現」です。そして「エセ自己実現」にハマって気づかないアラサー女子はすっごくすっごく多い。
「人から羨ましがられたい」というモチベーションのもと、恋活・婚活・転職活動をしているなら、いますぐやめましょう。「レディメイドの価値観」に手を伸ばしたら、待ち受ける先は地獄です。
今はよくても、3年後、5年後、もしくは結婚した後、自分が「与えられた枠組み」からずり落ちそうなとき、ずり落ちてしまったとき、「プライド」を保てなくなります。
「自信」とは相対評価ではなく絶対評価である
「自分」がない人間は、死ぬまで飢えと渇きを感じ、他者との相対評価をし続け、「私の方が幸せ」「あの人の方が幸せ」というシーソーゲームを降りられません。相対評価をしている限り、精神の平穏は訪れないのです。
誤解している人がとても多いですが、自信とは「自分は人より特に優れているわけではないが、自分で自分を認める」「自分はこんなクソでも生きるに値する」と信じる絶対評価のみです。「人より優れている」から自信がある、という相対評価ベースの自信はすべてエセ自信です。ニセモノはASAP放棄して、哲学しましょう。
きっちり考えた上でキラキラ生活を望むなら、何もいうことはありません。そういう人は、自分もキャリアアップして世帯年収倍率ドンドンしても、専業主婦としてバリバリ子育てに没頭してもかっこいいでしょう。ぱぷりこでした。