画像:FlickrユーザーのNATSUKO KADOYAMAにより2011年3月14日に撮影されたもの。CC BY-NC-ND 2.0
先日、長野県で震度6弱(マグニチュード6.8)の地震が起きた。今回の地震により41人が負傷、54棟が全半壊するなど、被害はこの記事(注:リンク先は英語表記)にある数々の写真が示すように、大きなものだった。
【余震も】長野北部の地震 家具が倒れ、道路に亀裂 新幹線は緊急停車(画像) http://t.co/VKEvzWka1w pic.twitter.com/MRPEUVMvdw
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2014, 11月 23
それにもかかわらず、メディアでの報道は従来ほど大きくないようだ。死者が1人も出なかったことも一つの要因かもしれないが、地震発生時に速報は流れたものの、その後も大きく取り上げているメディアは少ない。
震度6弱という規模の地震が起こっていながら、その取り上げられ方は以前とは明らかに異なる。メディアそのものが、地震に対する人々の意識を表しているようにも思える。
これだけの規模の地震なのに、テレビが地震慣れし過ぎて、速報からすぐに、ワイドショーネタに、すぐさま戻ってしまったのが、とても怖い事態だと思うんだが…
— TETSU (@mediaplaning) 2014, 11月 22
一方で、地震関連のツイートは数多くつぶやかれている。今回の長野での地震に対する報道の少なさを指摘する声や、大きな地震に慣れてしまった結果など、Twitter上での反応は地震に対する様々な意識を可視化する。
地震が来ても恐怖に怯えるどころかなんかtwitterが賑わうあたり日本って地震慣れしてる感ある
— kamini. (@kamini_doll) 2014, 11月 22
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(以下、3.11とする)を経験してから、地震そのものに対する人々の意識が大きく変わってしまった。今回長野で起きた地震が浮き彫りにしたのは、日本に住む人々の地震への「慣れ」だ。Twitter上では、以前は一大事と感じていた地震に対し現在はそれほど恐怖心を抱かなくなったことに、危機感を示すツイートが多く見られた。
震災の前はちょっとした地震も怖くて、震度3とか死ぬと思ってたくらい本当に怖かったんだけど、あの震災の地震を体験してそれ以降もずっと頻繁に揺れてたからびくともしなくなった。慣れってこわい。だから震度4でも普通にテレビみてる自分あぶないって思う
— 宮地☆みっちゃん (@sajun1022) 2014, 11月 22
別のユーザーは、個人だけでなく社会全体の雰囲気が変化したことを指摘する。
東北の地震くらい凄いものを体験したからなのか今回も凄い地震が長野で起きている筈だけど感覚が麻痺?何なのか東北の時みたいにザワザワしたままじゃなく割と普通に生活を送ってしまっている辺り慣れ?の感覚って怖いなぁって思う。
— Rei@11/25ぼっちキャラクロ (@Re1o627) 2014, 11月 23
この「慣れ」に対する危機感を抱く者は、3.11からわずか1年後の2012年の時点でも多く見られた。頻発する余震を経験することで、被災地から離れた場所では「異常」な環境を「異常」と感じなくなった人が多くいたためだ。
岩手県沖震源で震度4か。普通なら大きな地震なんだけど、もはや報道すらあまりない。慣れって恐ろしい。麻痺してるんだ。
— John Neo (@Johnneosan) 2012, 7月 29
「慣れ」という言葉が蔓延してしまっていること自体を危惧する声も上がる。
海外の建物なんて日本で言う震度3でも全壊してしまうのもザラにあります。「地震慣れ」なんて寝ぼけたこと言ってないで建物から離れましょう。それは「慣れ」ではなく「麻痺」です。
— 妙見@12/20クリーマクラフトパーティ (@myoken11) 2012, 8月 31
3.11以前は、震度6といえばかなり大きな地震を指すものだったはずである。たとえば、1923年(大正12年)に起こった関東大震災では、東京などの最大震度は6。しかもこれは、当時はまだ震度7以上の震度階級が設定されていなかったため、結果として震度6という数字となったのだ。実際の被害状況などから判断すると、震源地である小田原などは震度7に達していたと推定されている。関東大震災が起こるまで、「震度6」というのは予想され得る中で最大の震度だったのだ。
気象庁が10階級で示す震度の分類によると、今回起きた「震度6弱」の地震は8階級目に属する。最高階級からわずか2ランク下がっただけなのだ。実際、一般的な「大地震」の定義が「マグニチュード7以上」であることを考えると、今回の長野で起きた地震(マグニチュード6.8)は限りなく「大地震」に近い。
地震に対する意識の変化は、同時に被災者への意識の変化にもつながる。3.11当時頻繁に叫ばれていた「復興」や「絆」という声は、時が経つにつれて少なく、小さくなってきている。ジャーナリストの石島照代は、2013年の記事の中で震災後日本が抱えている問題は「『絆』という言葉だけでは覆い尽くせない」という。
彼女の記事の中で、ある大学教授がこう述べる。「東北の人の耐える姿が美談として語られ、そのことによって耐えることが求められる地域にもなってしまい、震災1年後の時点ですでに限界が見えているケースもありました」苦境を耐え忍ぶ姿は美談として語られがちだが、あまりにも大々的に、そしてより美化されて取り上げられることで、それが当然であるかのような錯覚が生まれる。そしてそういった美談は、本当に見つめるべき問題を、「強さ」や「美しさ」の影に覆い隠してしまう。
あるツイッターユーザーは3.11からわずか5日後、地震への「関心」の高まりとともに低下する「意識」を指摘する。
言い方がちょっと変だけど、地震への「関心」は高まったけど「意識」が低くなった気がする。決して震度5、6が小さいわけじゃない。被害者数だって「あの県は1人しか死者がでてない」じゃなくて、1人の人間が亡くなってしまった。すごく大きいことだ。慣れは怖い。
— 味噌汁 (@iam_misosoup) 2011, 3月 15
そして被災者たちが、政府からも市民からもしばしば政治的に利用されてしまうこともまた事実である。政治家が選挙で市民の共感を得るために、ほかの政党を批判するために、あるいは逆に市民が反原発などの政府批判をするときに、それぞれの主張のために真っ先に引き合いに出されるのは、被災者たちである。その様子に苦言を呈する者も多い。
大雪の時に天ぷらを食べてたとか昼のバラエティー番組にでたとか、相変わらず安部総理への下らない批判を繰り返す野党。仮設住宅に入れない被災者が何万人もいるならともかく、仮設住宅に何万人住もうが、それを理由に首相の行動が制約される理由はない。いい加減三陸や福島の政治利用はやめて欲しい。
— 高木 史郎 (@TakagiShirou) 2014, 3月 21
タレントで衆議院議員の山本太郎が、震災後の現状を伝えようと天皇に直接手紙を渡したことに言及し、こう述べる市民もいる。
山本太郎がたった1通の手紙を渡しただけで「天皇を政治利用した」と批判するのなら、その前に「天皇」も「拉致被害者」も「東日本大震災の被災者」も「福島第一原発事故の被害者」もカタッパシから政治利用してる安倍晋三のことを批判しろよ。
— きっこ (@kikko_no_blog) 2013, 11月 1
主張ばかりが先立ち被災者を置き去りにしてしまうものが多いとの意見もある。
反原発厨は、地震が起こると被災者への心配よりまず先に原発批判・自民批判を展開するのか。どっちが人でなしだか解らんな>RT
— 山極 由磨 (@YuumaYamagiwa) 2014, 11月 22
こういった地震関連のツイートが露呈したのは、地震に対する私たちの意識の薄れだ。未曾有の大震災からもうすぐ4年。その意識をもう一度、見直すべき時期に来ているのではないだろうか。
現在までにグローバル・ボイスにて執筆された日本の地震・震災関連の記事は以下。記事内容は特に言及がない限り英語表記である。
-Strong Earthquake in Japan's Nagano Injures Dozens, Topples Homes
-1,000 Days Since 2011′s Great East Japan Earthquake and Tsunami
-20 Bitter Voices Rise From Fukushima After Japan's 2011 Nuclear Disaster
-Mapping Earthquake Reconstruction in Tohoku, Japan
-Fukushima: No Place Like Home
-Earthquake Hits Awaji Island in Japan
-Evacuate the Children of Fukushima
-Fukushima's Children Are Getting Sick
-Earthquake Debris Disposal Divides Japan
-After Japan Earthquake, a New Local Newspaper by Citizens
-Japan: Citizens Respond to New Nuclear Power Policies