新しい道へ
いわい(@iwai)です!!お世話になったホスティング会社を2014年12月末付けで退職します。2005年1月1日付けで入社したので、ちょうど、丸10年です。
最終出社日は、11月14日だったので、実質的な業務はすでに終了しています。次は転職ではなく、起業します。
起業という選択をした理由
今の会社に入るとき、いつかは起業すると考えていたわけではありません。ただ、退職する日が来るなら、もう転職はしないということだけは決めていました。
会社という組織で働く限り、また違う会社に転職しても、自分自身の思うようには行かない部分が必ず出てくるとわかっているからです。
もちろん、独立しても、思うように行かないことは当然、出てきます。いや、むしろ、その方が思うようにいかないことが多いかもしれない。
会社の舵取りをするのは、その会社の社長です。会社組織で働くということは、その人の考え方や方針に従うことになります。
どれだけ意見をしても、最終的には、社長の決定が絶対です(上場企業は違いますが)。良い、悪いの話ではなく、そういう仕組みってこと。
若い頃から、どうもこの組織というので働くのが苦手で、上司に直球で意見して、良く叩かれました。
起業を思い立った理由は、一つではありません。嘘を言いたくないので、全部書きますが、もちろん、会社への不満はあります。
楽しくて、楽しくて、どうしようもない会社をやめる必要は無いわけで。ただ、誰かの組織である限り、どの会社に入っても、多かれ、少なかれ、不満は出ます。
ちょっとぐらい不満があるからって、退職してしまうほど若くも無いし、子どもでもありません。
それよりも、もっと強く起業への思いを突き動かしたのは、年齢的なものです。
42歳という年齢
20代の頃は、人生の終盤について考えることはほとんどありませんでした。
30代も前半までは、20代の延長のように感じますが、後半からは見える風景が変わりました。
まず、自身の体力に衰えを感じます。親も老いてきます。すでにこの世にはいない同年代の人数が増えてきます。
30後半から40前半になり、人生の終わりを現実として捉えるようになったのです。
前職の同僚が、病気で、この世を去りました。誰にでも友好的で、すごく良い人でした。でも、そんなの関係なく、命を落としてしまわれました。
現在、42歳ですが、この年まで大きなケガや病気も無く、生きられたこと自体が、すごく幸運であり、感謝の気持ちでいっぱいです。
医療が発達していない時代や、現在においてもまともな医療行為を受けられない地域の多くの人達のことを考えると、もう、すでに一つの人生を生き抜いたという気持ちがあります。
ここから先の人生は賜りもの。もういつ死んでも後悔は無い。ならば、残りの人生は、本当にやりたいことを追求しよう。そんな思いです。
もちろん、ただ、無謀に飛び込むような馬鹿な真似はしません。
会社への思い
若い頃は3〜4年もすると、その会社のことがわかった気がして、何度も転職しました。10年も在籍した会社は、初めてです。
長く居られた理由の一つは、少し大人になっていたということ。どんな会社にも良いところと悪いところがあるとわかっていました。
「会社」って誰だ?と考えると、これは決して、社長や取締役だけでは無く、そこには自分自身も含まれます。
だから、ただ一方的に不平不満を言うのでは無く、自分自身も改善に取り組む必要があると感じられるようにはなっていました。
これだけ長く同じ会社にいると、同僚との信頼関係も深まります。皆、本当に優秀で、本当に良く助けてもらいました。
10年在籍した会社の後半の5年間は、営業として勤務しました。過去、営業経験はありませんでした。
必要に迫られて営業になりましたが、当然ながら、最初はうまくいきません。
多くのお客さんにお会いし、営業関連の本をいっぱい読んで、営業経験豊富な人から指導を受け、徐々に結果が出るようになりました。
結果が出るようになったのは、自助努力もありますが、それ以上に同僚の支えが大きな力になっていました。
一人では何もできないことを理解し、同僚の助けを求めました。そして、良く助けてもらいました。本当に本当に感謝しています。
皆のことが嫌いで退職するわけじゃないので、会社の皆と袂を分かつのは本当に寂しいです。
退職の日
普段は名古屋ですが、最終出社日は、東京本社で勤務しました。夕方、会社の勤務終了時間が近づき、パソコンや社用携帯を管理部署に返却。
ああ、本当に今日で最後なんだという実感が湧いてきます。最後の挨拶を行う時間が近付いてきて、部屋から押し出されるような切ない気持ちになってくる。
皆とは、もう会えないわけじゃないけど、次の月曜からは、内線電話で話すことも無くなる。
自分の仕事を引き継いでくれた後輩達のことは今でも気掛かり。会社組織だし、皆、優秀だから問題は無いんだけど。
湿っぽいのは嫌いなので、寂しい素振りは微塵も見せないようにした。でも、本当は寂しかった。
最後に皆の前で少し話をした後で、木製バット折りというのをやった。失敗して、病院送りになるんじゃないかと心配した人もいたようだ。自分もその一人だった(笑)
足の方が折れたら、シャレにならないと思いつつ、バットが折れてくれたので、一安心。
過去、20年前に一度だけやったことがあったけど、そのときは、まだ若かったし、折ったバットも1本だけだった。成功するかどうか、ちょっと不安もあった。
皆に自分のことを、ほんの少しだけ、長く覚えてて欲しいな〜という思いと、これから独立して厳しい道を歩いて行く自分に活を入れるという思いを込めてやりました。
これから
これからは、このブログでも取り上げているダンボールアートを軸にした事業を立ち上げていく予定です。もちろん、今のように一点もの制作では、事業継続が困難なので、事業として成立する方法を考えています。
来年は、準備期間として、色々なことで生計を立てながら、再来年の法人化を目指して、準備を進めます。
これからのことは、引き続き、ブログで書いていきます。今後ともよろしくお願いします!!