ASUStekのEee PCがヒットしたことは、多くのPCベンダにとって驚きだったに違いない。ひょっとすると「衝撃」だったのかもしれない。Eee PCは、それまでのPCの常識を覆してしまったからだ。 ノートPC、特にEee PCのような携帯性を訴求したモバイルノートPCで求められるのは、
の4点である。しかし残念ながら、この4点すべてを満たしたモバイルノートPCは今もなお存在しない。どこかに犠牲を払わない限り、現実の製品とはならないのだ。
従来型のモバイルノートPCでは、PCとしての性能や機能を極力犠牲にせず携帯性を高める、というアプローチが採られた。その結果は価格にしわ寄せされ、同じ性能、機能のスタンダードノートPCに対し、明らかに割高となった。スタンダードノートPCに対し携帯性という付加価値を加えたのだから、その分価格が高くなってもしょうがない、というアプローチだ。 PCベンダは、携帯性を高めるに際して機能や性能に妥協しなかったことを誇ったものの、それによる価格プレミアムについては口を閉ざしがちだった。価格プレミアムを乗せた高性能・高機能PCの方が利益を確保しやすかっただろうし、性能や機能を下げてまで価格を抑えたモバイルPCがどれくらい売れるのか、誰も分からなかったからだ。 Eee PCの衝撃は、性能や機能をある程度犠牲にしても、携帯性と価格にウエイトを置いたモバイルPCが市場として成立することを実セールスで示した点にある。ユーザーは、XGAを前提にしたWebサイトを閲覧するにもスクロールが必要になるディスプレイ、Officeスイートをインストールすることさえできない4GBのストレージ、動画のエンコードやトランスコードには現実的ではない性能のプロセッサであっても、価格が一定以下であれば、そのスペックに相応しい用途を見つけ出し、買ってくれるのだ(それだけ市場/ユーザーが成熟したとも言えるのだが)。 もちろん、Eee PCのような低価格モバイルノートPCが、PC市場全体における主流となることはないだろう。おそらくは、1台目のPCを補うセカンドマシンとしての利用が大半だと思われる。が、この従来型モバイルノートPCとは明らかに異なるアプローチが、立派に市場性を持つことを実証した意義は大きい。高値安定だったモバイルPCの市場に、低価格の風を吹き込んだという意味で、パンドラの箱を開けてしまったとさえ言える。コンパックショックならぬEee PCショックというわけだ。 しかしだからといって、これで従来からの高価格フルスペック型のモバイルノートPCが無くなってしまう、とも思わない。企業ユーザーを中心に、この種のモバイルPCを必要としているユーザーは少なくない。特に訪問先への移動が電車になることの多いわが国では、フルスペック型モバイルノートPCに対するニーズがなくなることはまず考えられない。高価格フルスペックモバイルノートPCと低価格モバイルノートPCは、市場で共存するのだと思う。それでも、低価格モバイルノートPCの存在は、常に価格面でのプレッシャーをフルスペックモバイルノートPCに与えることにはなるだろう。 ●MID市場に切り込むIntelと、その対応を迫られるMicrosoft 同じようにプレッシャーを受けているのがMicrosoftだ。性能と機能を削り込んだ低価格ノートPCに、同社の最新OSであるWindows Vistaが必ずしも好適ではないことは明らかだ。Windows XP Home Editionの提供期間延長は、図らずもこれを自ら認める格好となってしまった。Microsoftには、低価格PCにも使える、軽量なWindowsの提供というプレッシャーがかかっているに違いない。 Microsoftにプレッシャーをかけているのは、一義的には市場であり、低価格ノートPCのベンダである(そうでなければMicrosoftは動かない)。が、さらにその裏にはIntelがいる。Intelは、低価格ノートPCや、さらにリソースの限られるMIDといったプラットフォーム向けに、新しいプロセッサ(Atom)の開発まで行なっており、こうしたプラットフォームのOSとしてLinuxの可能性を述べてきている(もちろんWindowsを否定したことはないが)。これがプレッシャーにならないハズがない。x86の64bit拡張ではMicrosoftにAMD64の受け入れを飲まされた格好のIntelが、低価格PC向けOSではやり返した、と見るのは穿ちすぎだろうが、Intelがポイントをとったことは間違いない。
そのIntelのAtomプロセッサだが、これも従来の同社製品とは毛色の違ったものになっている。基本的にIntelのプロセッサは、その歴史とともにトランジスタ数が増え、性能が向上し続けてきた。それがムーアの法則だと言われればそれまでだが、消費電力が問われるノートPC用のプロセッサにしても、新しいプロセス技術で消費電力を下げるというより、そのマージンを使って性能を向上させる(結果、消費電力は据え置き)、というパターンが多かった。 その点からするとAtomプロセッサは、既存のx86プロセッサに比べて性能が低下するのを承知の上で、消費電力の引き下げと製造コストの削減を目指したという点で、異色のプロセッサだ。省電力と低コストのためにトランジスタ数を大幅に削減する必要があり、そのためにトランジスタ数がかさむOut of Order実行や投機実行等をあきらめ、in orderパイプラインを採用した。 もともとOut of Order実行や投機実行といった技術は、スーパースカラ型のRISCプロセッサにおいて、IPCを向上させるために導入されたものだ。それをあきらめるということはIPCの低下、つまりは性能の低下を意味する。それでもトランジスタ数を減らせるメリットをとったのがAtomプロセッサなのだと思う。 おもしろいのは、Atomで高性能を実現するためお技術として採用されているのが、Hyper-Threadingと極めて深いパイプライン段数(スーパーパイプライン)である、ということだ。いずれも消費電力の高さが深刻な問題となったPentium 4(NetBurst)を思い出させる。 Atomのパイプラインは16段で、Core 2 Duo(コアマイクロアーキテクチャ)の14段より深くなっている。消費電力を下げるのが目的でありながら、高性能実現のために動作クロックを上げやすいマイクロアーキテクチャを採用したとも見て取れる。実際、Atomの動作クロックは、MID用のZ5xxシリーズ(Silverthorne)でも最高1.86GHzに達しており、動作クロックだけを見ればノートPC用のULVプロセッサよりはるかに高い。Intelは近い将来、1Wの消費電力(平均)で2GHz動作を実現するとも述べており、まだ動作クロックを上げるつもりだ。いずれにしても、このクラスのプロセッサとしては、動作クロックが最も高い部類に入る。 つまりAtomは、消費電力の枠を維持しながら性能を引き上げるという従来のポリシーを覆し、性能が下がっても消費電力を引き下げた、という点で異例なだけでなく、一度は自己否定したかに見られた高クロック化の技術を用い、実際に高クロックを実現しているという点でもユニークだ。つくづくIntelは、1度開発した技術をめったなことでは捨てない、無駄にしない会社だと思う。そして、高性能で省電力なプロセッサを作る、という1つの目標であっても、実に多岐にわたる技術の組合せが可能であり、さまざまなアプローチが可能であることを痛感する。 最後に1つ訂正を。以前、USB-VGAアダプタを紹介した際、Wireless USBで複数のバンドを利用することで、データ転送速度の向上が期待できるのではないか、といった趣旨のことを書いた。しかし、Wireless USBの規格では、複数のバンドを利用する場合も、時分割で利用されるため、最大データ転送速度が向上することはない。複数バンドを利用するメリットは、複数のWirelss USB機器を利用した場合の干渉軽減による速度低下の防止や接続の安定性向上にある。このように改めると同時に、お詫びしたい。また、ご指摘いただいたNECパーソナルプロダクツには感謝したいと思う。 □関連記事 (2008年5月12日) [Reported by 元麻布春男]
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