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望郷・オブ・ナッシング

 

今日、電車に乗り遅れそうだったので駅まで走っていたら、雨に濡れた犬の糞を踏んで足を滑らせて転んだ。服は泥泥になるし、ズボンは破けるし膝は擦り剥くし結局電車には乗り遅れるし最悪だった。しかしもっと早く家を出なかった自分が悪いのだ、今後はもっと時間に余裕をもって行動しよう。

駅に着いて、次の電車までまだ時間があったので自販機で缶コーヒーでも買って飲もうと思った。今日はホットかアイスか微妙な気候。でもさっき転んで服が濡れて少し寒いしホットにしようかな。自販機を見ると、「つめた~い」コーヒー、「あったか~い」コーヒー、「しんど~い」コーヒー。ん?「しんど~い」コーヒーとはなんだ?

今の私の気分を代弁しているようなコーヒーだ。よし、いっちょ買ってみたろかいな。チャリンチャリン、ポチッ。ガシャン。おー出てきた出てきた。これが「しんど~い」コーヒーか、なんかぬるいな。賞味期限とか大丈夫かいな?まあええわ、飲んでみたろ。プシュッ、ゴクゴク。

なんや、ただのぬるいコーヒーやないか。なにが「しんど~い」やねん。どういうこっちゃ。

と思った次の瞬間。「東北でよかった、東北でよかった、メルカリで現金売買バイバイ倍倍、米軍基地、朝鮮半島、トランプ、不倫議員、不徳の致すところでした~」という歌が陰鬱な短調のメロディーに乗って耳鳴りのように聴こえてきた。その歌声はソプラノ歌手がヘリウムガスを吸って逆立ちしながら歌っているような歌声だった。とても不快だった。

しんどくなってきた。もう何をやってもうまくいかないような気がしてきた。一切の生存活動が空虚な悪あがきに思えてきた。幸福がはるか遠くの水平線の彼方に消えていくような感じがした。もう、お先真っ暗という感じがした。だんだん視界が霞んできて目の前が真っ暗になった。

私は暗闇に迷い込んだ。真っ暗な何もない空間にいた。手足が麻痺して感覚がない。擦り剥いたはずの膝も痛くない。ここは天国だろうか地獄だろうか。どちらかというと地獄っぽい。だけどもう不快ではない。というか感覚がない。何も見えないし何も聴こえない。

どないしまひょ。でもどないもこないもする必要あらへんような気もしてきた。わてはもう死んでしもうたんやろか。えらいこっちゃえらいこっちゃ。と言いながら私はフラダンスを踊った。千年踊り続けた。

私が踊り続けた千年は、楽しくも無ければ、苦しくも無かった。少なくとも不幸ではなかったが、迷い悩み傷つき苦しみながら人間として生きていた日々をときどき懐かしく思った。