理想とリアルの折衷案

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自由気ままに記事を書く!結果はどうでもいい!っていうのが負け惜しみっぽく感じてしまって、なんかイヤだ。

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自分がやりたいことなんだから、結果は関係ないんだよ!


ってのは至極正論である。正しい。でもそれは理屈だけの話である。


人の視線に触れる物については全ての物について評価が下される。明確な指標を有していないものにでも、認識している人は無意識的にランク付けをする。それによって対応を変化させるのが人間の処世術である。


なんにでも評価は下されるのだ。例え数字が存在しなくても。


ということはブログなんていうメディアなんかは、数字が怒涛の勢いで乱入してくるのであるから、どうしたって数字からのプレッシャーを避けることは比較的難しい。


文章を書くのが好き!考えるのが好き!日常の何気ない事を思い出に残しておくのが好き!


そんな自分が好きだと思っている事については、他者と繋がりたいと思うし、他者に理解されたいと思うし、他者に評価されたいと思う。それと一緒にお小遣いなんかも稼げたらいいなぁ、なんて思ったりもする。


人の欲望は雪だるま式に膨らんでいくので、些細な欲望、微かな楽しみでも、次第に形を大きくしていく。



だから書くのが好きな人の多くはブログを始める事が多い。


すると自然に、アクセス数やらコメント数やら評価やらを意識し始めてしまう。



アクセス数、コメント数、他者からの評価が高いブログこそが絶対的正義!!!



そんな価値観が自然と植え付けられてしまう。


最初は好きで気ままに書いていた文章が、商業的比較的社会的な重荷に変貌してしまう時が来る。

勝てばいいんだよ!


まぁ、そりゃあ成功すれば別に何の問題もないのである。


好きな事やって、アクセス数も稼げてファンがたくさん付いてくるのならば、何の問題もない順風満帆な人生である。



しかしながら、自分の好きな事を書くってのが世間一般にウケるっていう図式は必ずしもイコールにはならない。というか、大概は競合他者がわんさかいるので、好きな事を好きなようにやっているだけでは良い結果は得られない。


結果として、「好きな事をやって成功しちゃいましたぁぁぁぁぁwwwww」なんて言っといて、ちゃんと世間一般にウケるような内容のブログを構築して、「好きな事を好きなように書けば、今は成功する時代だぜ!」なんて言う聞こえの良い台詞を吐きつつ、ファンの財布に手を突っ込むのである。



そんな言説を信じるか信じないかはさておき、書くのが好きな人は書くのである。


今の時代ならば、書くのが好きな人はブログを書くのである。そして数という評価基準の型に「自分の好き、気まま、自由」を押し込めてしまう。



世間の目に触れているという事は、

  • これだけ続けてるのに、このアクセス数とかマジクズ!!
  • 売れること意識して書いてるのか?このバカは!!
  • 頭わるそうな文章。かわいそう!!!

なんていう、侮蔑と憐憫の感情をミックスしたような攻撃を受ける事になるかもしれない。

書くのは好きですか?


書くことが好きで始めた。


その延長線上でちょっといい思いができればいいなぁ。そんな軽い気持ちで。


その結果として、どうなっただろうか?


好きな事が書けているだろうか?

売れる文章を求めていないだろうか?

アクセス数に気を取られていないだろうか?



別に途中で商売にシフトチェンジしたのならばいい。


だが、好きが高じて始めた文章を何の実りもないからと言って、好きだと思う感情までをも腐らせる必要はないと思う。


ブログという数の暴力から離れて、自分の好きな事をローカルで書き続けるって手段だってある。

数に関する何かは一切気にしない事にして、好きに文章を書く!と覚悟する事だってできる。


ただ、「好きな事」と「数の暴力」の両方から縄で引っ張られて首が絞まって苦しんでしまうのは、どうにも悲しい話である。



どうして始めたのか?

なぜ今続けているのか?


それは時間の経過につれて大きく乖離する。


そんな自分の気持ちを見直して腹をくくる機会があってもいいかもしれない。