花なんて自分の人生には関係ないと思っていた。
腹の足しになる訳ではないし、見ると確かに綺麗だけど虫は付くし、世話をしないといけない。
気まぐれで買ってみた観葉植物とかサボテンとか、枯らしてしまったり虫が湧いてしまったりでもう植物はいいや、と思った。
妻も全く同じで、新婚の時の引っ越し祝いに頂いた観葉植物は実家へ持って行った。
子供が生まれてから部屋に緑をと思って買った観葉植物もやはり虫が湧いて実家へ持って行った。
そういえば私の母は植物が好きで、実家の狭い庭にはいろんな植物が溢れていて、小さい頃・・・いや、いまだに虫が多いので好きじゃない場所である。
ある時、子供と散歩していると「ちれいなおはなー♪」(きれいなお花ー)と娘が言った。
父親なので「ほんと綺麗だねー」と言わざるを得ないのだが、改めてみると確かに綺麗な花だった。
ある時、娘と二人買い物に出かけると花屋さんの前で娘が、「ママにお花買って帰ろうよ!」と言った。
その日、花を買って帰った。
花なんて家にあっても何の役にも立たないと言っていた妻はなんて思うだろうか。
娘がインターホンを鳴らし、手を後ろに回してカメラから花を隠してドアが開くのを待つ。
「おかえり」
「はいママ!綺麗なお花を買ってきたよ!」
それから花を買うようになった。
この頃の写真を探してみたが、花を撮った写真は見つからなかった。
やがて出かけた時に周りを見るようになった。
「赤い実がなってるよ!」
「ほんとだ!」
「いちょうの葉っぱ綺麗だねー」
「きれいなきいろ!」
「今日はママにピンクのお花買って帰ろうよ!」
「そうだね」
ふと足元を見ると、さくら色だった。
春。家族でおにぎりを持って公園へ行った。
娘の幼稚園で育てたトマトが上手く育たなかったので課金してリベンジした。
ふと見ると、花は綺麗だと思った。そして写真を撮るようになった。
「お花買って帰ろう?」
「いいよ、何色にする?」
また春が来る。生きているって素晴らしい。
「今日は黄色のお花にする!」
「どうして黄色?」
「ママの好きな色だから」
夏には朝顔。プライバシーを保ちつつ写真を撮るのが難しい。
「うわー綺麗!今日はピンク色のお花にしようよ!」
「いいよ」
「ママにお手紙を書こう♪」
今日は何の記念日でもないし、「と」が反対向きだ。
気持ちのいい黄色だ。
カメラを持って、娘と二人散歩へ行くようになった。
ミラーレスのカメラは小型なので7歳の娘でも扱うことができる。
私が撮ると上からになる。
娘が撮ると横からになる。子供の見えている世界が見れてとてもいい。
娘にカメラを独占される。だがそれがいい。
子供が撮っても私が撮ってもカメラがちゃんと綺麗な写真を残してくれる。
これも子供が撮った。
私が撮ると日の丸構図?とか意識してしまう。
子供にはそれがない。見たままの世界。撮ろうと思って撮る。
撮ろうと思って撮る。
「この白いお花綺麗ー♪」
お花屋さんで聞く。
「この黄色いやつ、1本だけでも買えますか?」
「もちろんですよ!1本でも良いですよ。」
「何本買う?」
「じゃあ3本にする!」
花が綺麗に撮れるのはどの角度だ?どこが正面だ?
横からか?
上からか?
「パパ!下から撮ると電球がお月様みたいだよ!」
私が撮ると上からになる。娘が撮ると下からになる。
娘の撮った写真を見ると、本当に月が出ていた。
娘が妻に花を買って帰ろうとしたら、花屋さんが閉まっていたらしい。
「パパが帰りに花を買って帰るからママに渡してくれる?」
「いいよ!」
「何色にする?」
「黄色とオレンジのお花!ママが好きな色だから!」
「わかった。」
「パパ!この写真お花畑みたい!」
本当にお花畑みたいだった。
つぼみが付いていると生き生きして見えてとても綺麗だ。
書き忘れそうになったが、本物の花は色んな匂いがするのが良い。視覚と嗅覚で楽しめる。ちなみに触るとひんやりしていて、触覚でも楽しめる。
子供が花は人生に“色”を与えてくれるのだと教えてくれた。